柳田國男の遠野物語を読んだ所、マヨヒガなるものが出てきた。あの有名なマヨヒガか、と読んでみた所、実に短い記述であった。どうも調べた所によると、マヨヒガが全国的に知られるようになったのは、外ならぬ遠野物語のためであるらしい。
六三 小國の三浦某と云ふは村一の金持なり。今より二三代前の主人、まだ家は貧しくして、妻は少しく魯鈍なりき。この妻ある日門の前を流るゝ小さき川に沿ひて蕗を採りに入りしに、よき物少なければ次第に谷奥深く登りたり。さてふと見れば立派なる黑き門の家あり。訝しけれど門の中に入りて見るに、大なる庭にて紅白の花一面に咲き雞多く遊べり。その庭を裏の方へ廻れば、牛小屋ありて牛多く居り、馬舎ありて馬多く居れども、一考に人は居らず。終に玄關より上りたるに、その次の間には朱と黑との膳椀をあまた取出したり。奥の座敷には火鉢ありて鐵瓶の湯のたぎれるを見たり。されども終に人影は無ければ、もしや山男の家では無いかと急に恐ろしくなり、駆け出して家に歸りたり。此事を人に語れども實と思ふ者も無かりしが、又或日我家のカドに出でて物を洗ひてありしに、川上より赤き椀一つ流れて來たり。あまり美しければ拾ひ上げたれど、之を食器に用ゐたらば汚しと人に叱られんかと思ひ、ケセネギツの中に置きてケセネを量る器と爲したり。然るに此器にて量り始めてより、いつ迄經ちてもケセネ盡きず。家の者も之を怪しみて女に問ひたるとき、始めて川より拾い上げし由をば語りぬ。此家はこれより幸運に向かひ、終に今の三浦家と成れり。遠野にては山中の不思議なる家をマヨヒガと云ふ。マヨヒガに行き當たりたる者は、必ず其家の内の什器家畜何にてもあれ持ち出でて來べきものなり。其人に授けんが爲にかゝる家をば見する也。女が無慾にて何物をも盗み來ざりしが故に、この椀自ら流れて來たりし成るべしと云へり。
○此カドは門には非ず。川戸にて門前を流るゝ川の岸に水を汲み物を洗ふ爲家ごとに儲けたる所なり。
○ケセネは米稗其他の穀物を云ふ。キツは其穀物を容るゝ箱なり。大小種々のキツあり。六四 金澤村は白望の麗、上閉伊郡の内にても殊に山奥にて、人の往来する者少なし。六七年前此村より栃内村の山崎なる某かゝが家に娘の壻を取りたり。此壻實家にいかんとして山路に迷ひ、又このマヨヒガに行き當たりぬ。家の有様、牛馬鶏の多きこと、花の紅白に咲きたりしことなど、すべて前の話の通りなり。同じく玄關に入りしに、膳椀を取出したる室あり。座敷に鐵瓶の湯たぎりて、今まさに茶を煮んとする所のやうに見え、どこか便所などのあたりに人が立ちて在るやうにも思はれたり。呆然として後には段々恐ろしくなり、引き返して終に小國の村里に出でたり。小國にては此話を聞きて實とする者も無かりしが、山崎の方にてはそはマヨヒガなるべし、行きて膳椀の類を持ち來たり長者にならんとて、壻殿を先に立てゝ人あまた之を求めに山の奥に入り、こゝに門ありきと云ふ處に來たれども、目にかゝるものも無く空しく歸り来りぬ。その壻も終に金持になりたりと云ふことを聞かず。
なんと、この程度の量の文章から、知られるようになったらしい。
ところで、柳田國男は、まだ著作権が切れていないらしい。まあ、上は引用の範囲であろうから、問題はないだろう。
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