2010-04-02

芥川の杜子春について

Mixiの芥川龍之介のコミュニティで、芥川龍之介の杜子春は、原作の杜子春におけるひとつの結論を出したのではないかという高尚なトピックが立っていたので、バカバカしくなって、ふと書いたコメント。なかなか悪くないと思ったので、記録のために、ここにも貼りつけておく。そもそも、原作と、芥川版で、結論は違うのだ。

そもそも、原作と芥川版の、根本的な違いというと、

杜子春は、三度目に金を受け取るのを断ったが、結局受け取った。 こんどは、田地屋敷を買い、妻をめとり、子をもうけ、使用人を雇い、それなりに堅実な生活をした。 しかし、それでもまだ、満足できずに、仙人の住む、山奥の屋敷を訪れ、自分も仙人になろうとした。

その後、芥川版とほぼ同じ幻が、地獄まで続く。

あの世でも、杜子春は一切口を聞かなかったので、地獄に落ちた。 地獄の拷問でも、杜子春は、一切声を上げなかった。 さて、刑期を終えて、転生することになった。 一切口を聞かない反抗的なものを、男として転生させる価値はないとして、女として生まれ変わった。

杜子春は、生まれ変わっても、一切口を聞かなかった。

杜子春は、美しい女性へと育っていった。 しかし、無口な妻の方が、おしゃべりな妻よりいいという男と結婚して、子供も産んだ。

ある時、夫が、実の子にすら、一言も口を聞かないのは、どういうことだと腹を立て、子供を投げ落として、殺してしまった。 杜子春はそれを見て、「あ」と声を挙げた。

その「あ」の声が未だ終わらないうちに、現実に引き戻された。

仙人は、仙人になるための仙薬を作っているところだったが、あと少しというところで、杜子春は仙人のテストに合格できなかったことに失望した。

「お前の心は、すでに喜怒哀懼惡慾を離れたが、愛だけは離れることができなかった。仙才の得難きや。たとえ薬を飲んだとしても、お前は仙人にはなれん」

杜子春は、諦めて、家に戻った。

後に、ともかくお礼だけは言っておこうと、再び仙人の住んでいる、山奥の場所を訪れたが、そこには、すでに何もなかった。

しかし、そもそも、芥川の杜子春と、原作の杜子春傅は、ぜんぜん違うものでしょう。

原作は、仙人になるのがいかに難しいかということに重点を置いているのに対して、芥川版は、一切の苦楽を排除しても、愛だけは遠離できなかったということを、結論としているわけですから。

じゃあ、芥川版で、仙人が、「お前を殺してしまうつもりだった」と言っているのは何なんだという疑問もわくのです。 愛のない人生なんて、いくら仙力があろうと、無価値であるから、自分と同じ轍を踏ませたくなかったのでしょうか。 それなら、最初から、大金を渡さなかったほうが良かったのではないかと思うのですが。

芥川は、他にも、「仙人」というタイトルの小説を、二つ書いています。(厳密には、三つありますが)

ひとつは、乞食のような格好をした仙人が気まぐれに、貧乏人に金をやる話で、仙人はこの世を超越しているから、貧苦が恋しくなって、わざとそんな格好をしているのではなかったかと結論しています。

もうひとつは、純粋すぎる男が、いともあっさりと仙人になった話です。

これをみても分かるように、芥川の仙人感は、まったく一致していませんね。

まあ、基本的に、芥川という男は、古典を適当にひねくり回して、それで食っていた、売文の徒ですからね。あんまり深い意味を期待しても、無駄だと思いますよ。

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