まだ村上春樹が、今のように腐っておらず、cutting-edgeな小説を書いていた初期の作品に、「1973年のピンボール」という本がある。そこでは、3フリッパーの「スペースシップ」というピンボール台が出てくる。主人公は、昔遊んだこのピンボール台を探し、ついに、個人的なコレクション倉庫の中で見つける。
今の村上春樹は、どうしようもない枯れた才能の残りカスみたいな小説しか書かないが、当時は確かにいい文章を書いていたのだ。思うに、今の村上春樹は、マーケティングで成功したのではないかと思う。作家ムラカモの名は、外国でも有名で、皆、翻訳されたマラカモの小説を読んでいる。外国の作家賞を頻繁に取っているのも、マーケティングの一種ではないかと思う。だいたい、元はといえば日本語で書かれた小説なのに、日本語もろくに読めないような奴らに賞されて、何が嬉しいのか知らん。もっとも、村上春樹は、アメリカのある新聞か雑誌のインタビューで、処女作である「風の歌を聴け」は、当時経営していたジャズバーの片隅で、まず英語で書いていたと答えている。何でも、日本語だと、多くの表現を知りすぎているため、自分を制限する必要があったのだとか。
話が、それた。タイトル通り、パチンコの話をする。私がパチンコを嫌っていることは、今さら言うまでもない。世からパチンコ屋が、パチンカスもろとも消滅してくれたらどんなに嬉しいだろうと思う。私は日々、パチンコの消滅をFlying Spaghetti Monster様に祈っているのだ。というのも、私の信奉する神は、FSMのみである。あの完璧に茹で上がったパスタと(預言者ボビー・ヘンダーソンによれば、FSM様のパスタはアルデンテではないらしい)、ジューシーなミートボールを形取られたFSM様は、未だ憐憫の聖なる触手を垂れてくださらぬようだ。
話が、またそれた。どうやら私は、つくづくパチンコが嫌いなようだ。パチンコのことなど考えたくもない余りに、無意識のうちに、話を枝葉にそらす癖があるらしい。私の言わんと欲する所は、このリンク先のページのことだ。
@nifty:デイリーポータルZ:パチンコ台を思い通りにしたい!
なるほど、クギ師というのは、丁寧にコンコンとクギを叩く仕事ではないらしい。ガンガン打ち付ける仕事らしい。確かに、軽く叩く程度でクギが動いてしまうのならば、タマが当たっただけで動いてしまうはずである。
No comments:
Post a Comment