中村文則著、「銃」の主人公が、私に似ているという声を受けたので、読んでみた。私に似ているとは、とても思えない。
まず、主人公はタバコを吸う。これだけで私にとっては、その全人格と全業績はおろか、存在自体を否定するに足る。また、何かにつけて女と寝たがる。これも理解できない。私は今まで女と無縁の生活をしてきたし、これからもそうするつもりである。それにしても、なぜタバコと女を書かなければならないのか、私には理解できない。物語に全然関係がないと思う。
まあ、これらは無視しよう。タバコに関しては無視できないのだが、何とか努力しよう。物語というのは、偶然中を拾った主人公が、やたらと能動的になり、また銃を使いたい衝動がどんどん加速していく、というものだ。
銃を隠し持つとか、使うというのは、分からないでもない。ただ、表面を磨き上げるだの、袋に入れて常に携帯するだのと言うのは、どうも理解できない。無論、撃った後の銃は分解して清掃するのが好ましいが、作中で行っているのは、ただ表面を磨くだけである。また、実際に使いたい場合は、携帯するのも当然だろうが、主人公は特に使うあてもないのに携帯している。使う予定のない銃は単なる荷物にすぎないのではないか。この辺の心情は、私には理解できない。
私がこの小説の主人公のような立場になったらどうなるかを考えてみたが、どうせタンスの奥にでもしまい込んで、すぐにその存在を忘れてしまい、数年後、数十年後に、全く関係ないことから、偶然に所有が発覚して捕まるという筋書きになると思う。小説の筋書きとしては、展開が遅すぎるので難がある。
文学的にはどうなのかというと、可もなく不可もなくといった感想になる。文章力や構成力は、読むに耐えぬほどひどいという事はない。ただ、個人的な嗜好として、一人称の文体が好みではないし、そもそも、「私」という一人称は、この主人公にふさわしくない。また何度も言うように、何かにつけてタバコと女が出てくるのも、理解できない。本当に必要なのだろうか。
それにしても、久しぶりに最近の小説を読んだ。
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