2009-07-14

ドラクエってそんなに面白かったかな

ドラクエ9に対する酷評が続出しているようだが、はたして、過去のドラクエはそんなに面白かっただろうか。

私のコンソールゲームといえばスーファミになるので、ファミコンのドラクエについては、語ることができない。ただ、スーファミへの移植作でも、それほど面白いとは思わない。

私がドラクエをやっていた時、何が不満だったかといって、キャラの移動速度ほど不満だったことはない。あまりにも遅い。これは、ドラクエ6で改められ、移植版ドラクエ3でも、受け継がれたが、それまでは、耐え難いほど、移動速度が遅かった。

クリアに必要なのは単に作業という点もある。「レベル上げ」と称して、延々とその辺をぐるぐる歩き回り、モンスターとエンカウントするや、ひたすらボタンの連打をしなければならない。とても退屈な作業だが、やらないわけにはいかない。なぜなら、次に攻略しなければならないダンジョンのボスが、あまりに強いからだ。

また、攻略には、ある場所を調べるであるとか、ある一連の動作をしなければならない場合もあるが、これがまたひどい。その情報を教えてくれる人物が、これまたその実際の場所とは全く関係ない場所にいる。そこに行くには、リアル時間で5分か10分はかかる。退屈この上ない。しかもこれは、あらかじめその場所が分かっている場合の最短時間であって、実際には、その情報を教えてくれる人を探さなければならない。これには何時間もかかる。探す方法はといえば、町人全員に「はなす」だとか、画面上の行ける場所すべてに行ってみるだとか、延々と「しらべる」を繰り返すだとかが必要である。必要なのは、ただ時間と作業量である。

魔法も問題だ。所謂、攻撃魔法というのは、まともに使うことができない。なぜなら、HPを回復するために、MPは温存しておかなければならないし、そのダンジョンの奥には、ボスがいるかもしれないからだ。ボスと戦うためには、なおさらMPを温存しておかなければならない。そんなのはあらかじめ分かっていることであり、バランスを取るのが面白いのではないかという意見もあるだろう。もっともである。ところが、ボスがいるかどうか、そのダンジョンがどれくらい長いのかというのは、攻略本でも参照しない限り、絶対に分からない。なぜなら、ゲーム中のヒントはないからだ。従って、攻略本を参照せずにクリアしようと思ったら、極力魔法を使わずに行くしかない。MPを回復するアイテムは貴重であり、また、入手できたとしても、大量のゴールドが必要だったりするので、これまた面倒で単調な作業が必要になる。

マリオをクリアするには、タイミング良くボタンを叩く必要があり、ゼルダをクリアするには、より頭を使う謎解きが必要である。ドラクエにはそれがない。必要なのは作業だけ。皆、そんな作業などしたくないので、攻略本を買う。今から思えば、攻略本もビジネスの一部ではなかったのかと思う。たとえば、公式攻略本以外を排除する訴訟もあったからだ。やはり、攻略本は儲かっていたのだろう。単なる情報に対して権利を主張できるかというと疑問ではあるが。

では、ストーリーはどうだったか。私が当時の友人達とドラクエについて話す時に思ったのは、皆、キャラクターの名前などを、あまり覚えていないということである。私はかく言うとおり、「単調作業」が嫌いな人間である。単調作業は、人間たるものの行うべきことではないと考えている。一方、その友人達はいずれも、レベルをアホみたいに上げるほどドラクエをやり込んでいた人たちであった。それなのに、キャラの名前すら記憶に残っていない。結局、作業ができれば何でもよかったのだろうか。

私の持っている単調作業への本能的忌避は、私をしてドラクエをクリアさせしめるのに、数年を要した。気が向いて暇な時だけやっていたのだ。

1 comment:

周時 said...

まあ、その時代に合った遊びであればそれは楽しかっただろうことはよくわかるんだけど。

私がドラクエ1、2、3、に夢中になったのは中学生時代でした。
もっとも、3については高校受験直前の2月10日だったため、実際に楽しんだのは高校1年になってからだったんだけども。

当時を振り返って思うのは、最高に楽しめる”ごっこ遊び”を友人と共有できたことだと思う。
あのダンジョンのボスは自動的に回復するから強いとか、そういう話題もそうだが、ドラクエ2では回復魔法を使える仲間が二人と戦士タイプが一人の従兄同士3人パーティーで、回復魔法の強さやHPやMPの残量の配分が絶妙なバランスだった。
だから、HPが高めでMPが少なめのサマルトリア王子は弱い回復魔法でムーンブルク王女を手当てし、直後にムーンブルク王女がサマルトリア王子のHPに見合った強めの回復魔法で手当てする場面などはまさに助け合いながら冒険をする気分が味わえた。

また、8bitのファミコンというやつは(今では考えられないことだが)バグが攻略に直結しバグ技とか裏技と呼ばれていたことも手伝って面白かった(例えばドラクエ3の最後のボスは回復魔法のベホマで大ダメージを与えることができた)。

ちなみに4と5を遊んだのを最後に6から9は興味がまったく湧かずやっていないんですね。
4と5はhitoさんの言うような作業的要素が出始めたうえ、5では主人公が奴隷にされたり石像に変えられたりで時間軸上12年だったか何年だったかは冒険ではなく苦境に立たされる”のみ”の場面があった。

2で最も顕著だった”ロールプレイを楽しむ”という楽しさは、主人公の敗北というシナリオがない。
時々戦闘で全滅してしまっても、シナリオ上どんな困難があってもそれを楽しめるのがロールプレイだという哲学がある。
テーブルトークゲーム”ダンジョンズアンドドラゴンズ”のマスターズルールブックには強調して書かれている哲学だ。

RPGに限らず、そんな哲学やポリシーが一貫しているゲームは、おっさんになった今でも時々遊ぶ。
そして改めて思うのはスーファミよりもファミコンのほうが面白いゲームが多いということなんですね。

ドラクエ9がNDS向けに作られたのは時代に合ってるかもな、とは思う。

ポインティングデバイスや音声入力っぽい機能、ワイヤレス対戦はGBAと比較するとケーブルの有無の違いのほかに、カートリッジが1個でも4人までぷよぷよやテトリスの対戦ができること、Wi-Fi通信でインターネットの向こうの知人と遊べるなど、可能性を最大限かつポータブルに盛り込んだNDSは評価できる。

ただ我々筋金入りのGEEKには目新しくもなんともない機能だわ。
マイノリティは一般人ほど流行りで金を使ってくれないので、ドラクエをNDSで出したのは正しい選択ですね。