私の家の近所には、コンビニが何軒かある。そのこと自体は、別段珍しくもない。珍しいのは、そのコンビニの前に、毎日決まって立っている、ある客だ。私はこの珍客を、「鬼ころしのじいさん」と勝手に名付けている。
さて、この鬼ころしのじいさんは、毎日、近所のコンビニの前に立って、ひとつ百円の、紙パックの鬼ころしを飲んでいる。いつも決まった時間にいるというわけではない。時には早朝、時には昼間、時には夕暮れ、まったく定まっておらぬ。ただ、毎日、少なからぬ時間を、コンビニの前に立って過ごしているであろうことは、間違いがない。
じいさんは毎日、くたびれた背広を着て、コンビニの前に立っている。手には、鬼ころしの紙パックひとつ以外、何も持っていない。彼がツマミを食べている光景には、未だかつて出くわしたことがない。また飲んでいる所の酒も、他の酒ではなく、必ず鬼ころしである。その顔には、一切の表情らしき表情がない。笑いもせず、泣きもせず、怒りもせず、ただ顔面を木石と同じうしている。そうして、たったひとつの紙パックの鬼ころしを、ストローでちびちびと、飲んでいるのである。
不思議である。このじいさんはどこで何をして暮らしているのであろうか。この近所のコンビニでしか見かけないということは、同じく近所に住んでいるのであろう。なぜ、コンビニの前で、立ちながらにして飲まねばならぬのか。何故鬼ころしなのか。何故ツマミ等を買わないのか。何故、どこかの居酒屋に飲みに行かないのか。
一体、全国には、鬼ころしという同名の酒が、数多くある。これは、どこが商標を持っているというわけでもない。鬼ころしという名称が、あまりにも一般化しすぎているためなのだ。中には、いい酒もあるのだろうが、コンビニやスーパーで売られているのは、醸造用アルコールに香料を混ぜただけの、安い粗悪な酒である。
それにしても、紙パックの鬼ころしは、安いとはいえ、ひとつ百円する。毎日買っているのであれば、その分の金で、もっと好い酒が、いくらでも買えるはずである。また、同じ鬼ころしにしたって、もっと大容量のパックを買えば、安くて大量に手に入るはずである。そもそも、彼は裕福には見えないものの、金に困っているようにも見えない。一体、何故、他の酒を飲まないのか。
就中、あの無表情はどういうことだろう。コンビニの前で鬼ころしを飲んでいるのである。楽しいはずはない。しかし、彼の表情からは、不満の色も見えないのである。彼の顔は、まるで顔面の筋肉の使用法を忘れ果てた如く、一切の表情から遠離している。一体どのような人生を送ってきたら、あそこまで無表情になれるのであろうか。分からない。
今日も、彼はコンビニの前に立ち、鬼ころしの紙パックを、ストローでちびちびと飲んでいることだろう。何故だろうか。
3 comments:
アルコール依存症の人は家で飲んでいると家族に止められるので外で飲むようになる場合がよくあるそうです。
なるほど、すると、あのじいさんは、アルコール依存症で、
飲み屋に行けないように、家族から小銭程度のお金しか持たされておらず、
紙パックひとつしか買っていないのは、大量に飲んで帰ると家族に気付かれてしまうからということですか。
うーん。果たして真相は。
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