ハイエクが隷属への道で書いたように、民主的な集産主義はうまくいかない。
なぜならば、人々は理想に対して合意することがないからだ。その結果、政治は停滞する。すると、民主的にもっとも人気が高くなる政党は、浅はかでモラルの低い人間によって構成されることになる。愛国心だとか私を捨てて公のために奉仕せよなどと唱える連中だ。具体的な問題の解決を訴えるのではなく、愛国心のようなわかりやすいもので煽る。そういう曖昧なもので結束するしかない集団なのだから、当然モラルも低くなる。
人民を計画に基づいて行動させるために、プロパガンダが多く流される。目にする情報媒体は、必ず党中央のプロパガンダを含むようになる。人民の思想を計画するためである。
あらゆるものが計画される。人民の仕事は計画される。個人の能力にかかわらず、党中央から仕事が決定される。娯楽すら計画されるのだ。人民は党中央によって完璧に計画された娯楽を行うようになる。
最終的に、失敗は犯罪となる。
とまあ、計画の基づく経済という集産主義は、うまく行かないのだ。ハイエクが言うように、自由な競争こそが、もっとも効率のいい経済をもたらすのだ。集産主義では、ボタンやカミソリなどといった小物すら、生産量が計画されるようになる。そのような計画に基づく生産は、実際の需要と合うことはない。自由な競争による生産であれば、需要と供給は効率的に釣り合う。結果は計画された生産よりも優れている。そのため、ハイエクは、無意味な規制を取り払うことこそが、経済と技術の発展に重要なのだと書いた。
しかし、世の中にはなんと、計画が多いことか。
たとえば、クリーンエネルギーだとかなんとか言って、風力だの太陽光だので発電をまかなえるとする声がある。しかし、残念ながら、コストの計算が、政府による補助金を見込んだ上での計算になっているのだ。本当に実力があるのであれば、補助金なしでも機能するはずだ。
韓国では、インターネット上の通信販売や銀行取引に際して使われる、暗号を計画した。しかし、この暗号の実装は、不自由なWindowsで動く不自由なIEで動く不自由なプラグインという形でしか存在していない。そのため、韓国はWindowsとIEに縛られるようになった。韓国では、実名がインターネット上の犯罪を防ぐとして、人民にユニークIDを振り、その使用を義務付けた。しかし、インターネット上での犯罪は全く減らない。しかも、Webサイトが個人情報であるユニークIDを保管しなければならなくなったので、むしろ犯罪の口実を与えてしまった。
最近の日本でも、DRMの回避や、許諾なきダウンロードを犯罪にした。これは、日本の芸術を歪んだ方向に進めるだろう。公平な競争のない世界では、歪んだ芸術しか生まれてこない。現に、今の音楽は腐りきっている。もはや、音楽CDは音楽の媒体としては販売されていない。握手券だの投票権だのといったくだらない権利のために販売されている。その中身の音楽の質については、誰も気にしないのだ。
思うに、今後はますますコピーレフトなライセンスが重要になってくる。すなわち、自由を保証するためのライセンスである。自由とは、利用者側にかかるものだ。派生物にも自由を求めるというコピーレフトの考え方は、自由を強力に推し進めることができる。芸術は自由に利用されてこそ発展するのだ。残念ながら、日本ではライセンス(許諾を与える契約)という考え方が普及しておらず、まだ利用例は少ない。しかし、真の芸術家たる我々は、自由の価値に目覚めるべきである。
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