毎年、私は鬼を笑わせるため、未来の予想をする。今年も12月、未来を予想してみよう。
まず、もう、これ以上、現行のCPUの純粋な性能は大幅に上がらない。汎用ではなく特殊な用途や、あるいは並列処理などは、もう少し性能向上の余地はあるだろうが、それも小幅な性能向上にとどまる。
回路の集積度は、もう少しだけ上がる余地がある。
おそらく、将来は省電力や、SoCと呼ばれるひとつのチップにやたらに詰め込む方向に進むだろう。自作PCといったところで、選択肢はマザーボードの載っている外部端子の種類と数、PCケース程度になってしまい、APUはみな同じものを使っているかもしれない。
ソフトウェアは、完全に、自由なソフトウェア市場と不自由なソフトウェア市場に別れる。不自由なソフトウェア陣営であるWindowsやMac OS Xといった環境では、ひとつのOSがひとつのアーキテクチャで動き、ひとつのソフトウェア流通システムを強いられることになる。もはや選択の自由はない。
このような不自由な環境では、プログラミングすら不自由になる。WindowsやMac OS Xでは、MicrosoftやAppleの許可を得ずして、利用者に任意のプログラミングを可能にさせるソフトウェア、すなわちコンパイラーやインタプリタ―の類を公開することは不可能になるだろう。なぜならば、プログラムを流通させる唯一の方法は、公式の流通システムであるApp StoreやWindows Storeだけになるからだ。これ以外の流通経路を経て入手したソフトウェアは、実行できないようになる。そして、この流通システムは、プログラム可能なソフトウェアの流通を明示的に禁ずるのだ。
これは、ハードウェアレベルで保証される。すなわち、UEFIのような仕組みが、ユーザーランドにまで及ぶのだ。今は、カーネルに属する部分、すなわちブートローダーやカーネルやカーネルドライバーのみを認証しているが、じきに、ハードウェアレベルで、実行されるあらゆるコードは、ある秘密鍵で署名による認証を必要とするだろう。その秘密鍵は、企業や国家が管理し、プログラムに署名を受けるには企業や国家の事前の検閲を受ける必要があるのだ。
したがって、今年が、自由なハードウェアを入手できる最後の年になるかもしれないのだ。
私は、何も空想を語っているのではない。すでに、現実に起きていることを書いているに過ぎない。
たとえば、邪悪な企業であるAppleの提供するソフトウェア流通システムであるApp Storeは、事前の検閲を行なっている。また、プログラム可能なソフトウェアは明示的に禁止している。
たとえば、ゲーム専用機という制限された汎用コンピューター、ハードウェアレベルでコードの認証を行なっている。SonyやMicrosoftや任天堂が管理する秘密鍵で署名されたコードでなければ、実行できないようになっているのだ。
したがって、WindowsやMac OS Xのような不自由なOSを使ってはならないし、また、ゲーム専用機のような不自由なハードウェアを使ってはならない。
さもなくば、将来、我々がプログラミングというとき、それは不自由なソフトウェアの脆弱性をついて、任意のストレージ上のデータの改変を行った上で、実行するということになる。たとえば、以下のような行為だ。
この動画では、ポケットモンスターのイエロー版の脆弱性を利用し、メモリを利用者の任意の値で書き換えることにより、自由にプログラミングをしている。
恐れよ。今脅威を自覚しなければ、我々のプログラミング環境は、ここまで落ちてしまうのだ。
我々が、「制限されたiPhoneやAndroidをjailbreakする」というとき、何をしているかというと、このような脆弱性を利用して管理者権限を取得しているのだ。すなわち、jailbreakされたスマートフォンというのは、脆弱性を放置しているコンピューターということになる。コンピューターは、所有者の支配下になければならないはずなのに、多くの制限されたスマートフォンは、所有者に支配力を与えない。これは人道上の罪である。
将来は、「所有」という概念すらなくなるであろう。
従来、我々が物理的な物を正規の方法で譲渡された場合、その物をどうしようと、我々の自由であった。他人に売ろうが、燃やそうが、誰も止めるものはいなかったのだ。もちろん、有害物質を含む物については、法律によって処分方法が定められており、勝手に燃やすと処罰を受けるかもしれない。しかし、燃やすという行為を直接的に止める方法はなかった。これまでは。
しかし、デジタル化といい、電子化といい、物理的媒体に束縛されない情報の媒体が発明された今日では、所有という概念を消したがっている邪悪な勢力が存在する。彼らは言う。
お前は所有していない。お前は「利用する権利」を与えられたに過ぎない。その権利は、我々の一方的な都合で破棄できるものと心得よ。また、権利は、「どのように利用するか」という制限も含む。我々が許可しない方法で利用するのは犯罪である。
制限されたコンピューターは、真に所有しているのではない。自分の支配下においているのでもない。「制限的に利用する権利」は、所有ではないし、支配もしていない。
そのような未来では、ハードウェアも、ソフトウェアも、所有できないし、支配下におくこともできない。
その時、自由に価値を見出す人間は、無産のヤミ市(これは自由市場と呼ばれ、党員は利用してはならぬ犯罪市場である)で、数十年前に製造されたコンピューターを購入し、ひそかに日記をつけはじめる。
我々はコンピューターをテレスクリーンと呼び、入力装置をスピークライトと呼んでいるだろう。チョコレートは配給制になる。チョコの配給量は、昨日30gだったが、今日はなんと、党の寛大な処置により25gに増えたのだ。昨日30gだと言及しているあらゆる情報は遠隔操作で破棄される。
嗜好品を入手することは不可能になる。我々は代用コーヒーと代用砂糖で我慢しなければならなくなる。
これは、何も妄想ではない。現に今、我々は代用ビールを飲んでいるではないか。
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