本の虫: 神奈川県が欺瞞に満ちたプリンター業界による詐欺キャンペーンの片棒を担ぐと題して、プリンター業界の詐欺を暴いたところ、問題をすり替えた批判が見られた。
曰く、「インクジェットプリンター業界は、利益率の高いインク代で儲けている。したがって、インクカートリッジに制限装置を組み込み、インクの囲い込みを行わなければ、インクジェットプリンター本体の値段がとても高くなる」と。
値段設定に関して、この主張は正しい。インクというものは、本来とても安いものである。制限装置を加えたインクカートリッジの値段も、それほど高くはない。インクカートリッジに制限装置を加えて、プリンターの生産者、あるいは生産者から認可を得たインク生産者からのインク封入済みカートリッジしか使用できないように制限すれば、プリンター本体を不当廉売しても、十分に利益が出る。何故ならば、利用者は必ず、自社の不当に高いインクカートリッジを買わなければならず、利益率の高いインクカートリッジが売れるからだ。
この商法は、囲い込みを行う消耗品商法であり、邪悪である。物は所有者の意に従うべきであり、生産者の意に従うべきではないからだ。
ゲーム専用機業界も、同じ囲い込みを行う消耗品商法をしている。ゲームというのは、消耗品である。ゲームは、いつか飽きるものである。したがって消耗品である。ゲームというソフトウェア、つまり情報は、何らかの情報媒体によって、流通される。磁気テープ、光学ディスク、PROM、フラッシュメモリー、あるいはネットワーク回線を介したやり取りなどの、情報媒体を通じて流通される。情報媒体というのは、とても安いものである。
一方、コンピューターは未だに高い。ゲーム専用機というのは、邪悪な制限された汎用コンピューターである。生産者の認可したソフトウェア以外は、実行を拒むよう、制限機能が組み込まれている。したがって、これは制限コンピューターと呼ぶべきである。なぜならば、所有者や利用者の意に反して、ソフトウェアの実行を妨げているからだ。このような邪悪な制限コンピューターでは、所有者と言えども、自由にプログラミングを行うことができない。生産者は、制限コンピューターを不当廉売し、ソフトウェアを不当に高く売る。殆どの場合、不自由なソフトウェアである。
これは、囲い込みである。
不自由なソフトウェアも、邪悪な囲い込み商法である。ソフトウェアが不自由であるとは、すなわち、
- 自由0: ソフトウェアを任意の方法で実行できる自由
- 自由1: ソフトウェアの実装を調べ、改変する自由(ソースコードの公開はこの自由を保証する前提条件である)
- 自由2: ソフトウェアを再配布する自由
- 自由3: ソフトウェアの改変版を再配布する自由(ソースコードの公開はこの自由を保証する前提条件である)
この4つの自由を満たさないソフトウェアを、不自由なソフトウェアという。
不自由なソフトウェアは、ソフトウェアの生産者を、利用者より高い階級におく不平等で邪悪な存在である。
ある者言う。「しかし、自由なソフトウェアは、誰でも改変や再配布ができるので、まともに売れないではないか」と。
自由なソフトウェアで利益を出す方法はいくつかある。まず、ソフトウェアは自然に発生しない。必ず、誰かが書かなければならない。今、ソフトウェアが必要であれば、自分で書くか、あるいは誰かに書いてもらうしかない。誰かに書いてもらうには、金を払って書いてもらうのが一番効率がいい。ここに、需要のあるソフトウェアを書くことに対して利益を出すことができる。
ソフトウェアがあるからといって、利用者が使いこなせるわけではない。例えば、今、私にコンピューターがあり、回線があり、自由なソフトウェアのApacheがあるからといって、すぐさまHTTPサーバーを立ち上げられるわけではない。私はApacheの使い方を知らないからだ。Apacheは巨大なソフトウェアであり、またHTTPサーバーの管理も非常に煩雑な作業である。もし、サーバーの管理ではなく、サーバーを使って提供する機能の実装に注力したいのであれば、自分にはできない。自分にできなければ、他人にやってもらうしかない。他人にやってもらうには、金を払うのが一番効率がいい。ここに、ソフトウェアを使うことに対して利益を出すことができる。
自由なソフトウェアは、囲い込みを引き起こさない。なぜならば、ソフトウェアは自由であるので、たとえソフトウェアの生産者が、「いくら金を積まれても、その機能は実装しない」と言ったとしても、誰か別の人間に金を払って実装してもらうことができる。もちろん、金があり、また実装可能な機能であればの話だが。あるいは、自分に能力があれば、自力で実装できる。
不自由なソフトウェアでは、不平等な階級社会であるので、これは不可能だ。いくら懇願しようが、金を積もうが、また自分に実装できる能力があろうが、不自由なソフトウェアの生産者が否といえばそこまでだ。
囲い込みの害は、今は問題がなく思えたとしても、将来必ず現れる。例えば、ある囲い込まれた制限コンピューターや不自由なソフトウェアに依存していて、将来、提供元が一方的に利用料金を釣り上げたり、既存の重要な機能を無効にしたとしても、どうすることもできない。唯々諾々と受け入れるか、利用を拒否することぐらいしかできない。制限のない汎用コンピューターと自由なソフトウェアによって囲い込みを受けていなければ、たとえオリジナルの提供者が邪悪に走ったとしても、自分で行うか、別の提供者を探せばよい。
もちろん、提供者を依頼するには、金を払わなければならないだろう。これは正当な対価である。したがって、自由なソフトウェアは無経済ではない。
しかし、問題の本質は、囲い込みの害は想像以上にひどいということだ。囲い込みを行う商法は、絶対に避けねばならない。
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