2013-11-09

最近、コンピューターの性能に対して保守的になっていた

最近、私はコンピューターの性能に対して、保守的になっていたように思う。

以前は財布の中身も考えた上で、それでも、高いパフォーマンスを持つコンピューターを欲しがっていた。ところが今は、あまりコンピューターの性能を気にしなくなっている。

もちろん、ここ4,5年、コンピューターの性能がそれほど上がっていないこともあるだろう。ただ、最近の私は、安定性と長期利用性を重視するようになっていたのだ。

安定性は大事だ。私は安定性のためならば、処理速度が下がってもいいと思っている。長期利用性も大事だ。コンピューターを使いやすく設定するのは面倒なので、よほどパフォーマンスが時代から遅れない限り、コンピューターを変えたくはない。それから、パーツの交換もしたくない。面倒だからだ。

最後のパーツ交換に関しては、残念ながら果たせていない。今のPCはかれこれもう6年は使っているが、GPUは性能に不満があったため三回取り替えたし、電源ユニットも壊れたので取り替えたし、CPUクーラーも壊れたので取り替えた。HDDもOSを変える際に取り替えている。私の今のPCは、一般人なら普通は買い変えるべきところを、パーツの交換でやり過ごしてきた。電源ユニットやCPUクーラーは粗悪だったのかもしれないが、壊れたのは保証も切れた4年ぐらい利用しての後だから、なんとも言えない。GPUは故障していないが、ここ6年の性能向上が著しかったのだ。

とはいえ、できるからといってやりたいとは限らない。パーツ交換には手間と時間がかかるからだ。

ところで、私が最後にノートPCを買ったのは、9年前のことである。そのノートPCも、5年ほど前に壊れたし、また、ノートPCを使う必要もなかったので、ノートPCからはだいぶ離れていた。

そして、今にわかにノートPCが必要な状況になったのだが、調べてみると、ノートPCを取り巻く状況が劇的に変わっている。

まず、ノートPCは圧倒的に安くなったということだ。以前、私が満足いくパフォーマンスのノートPCを買うには、パーツを指定して注文できる中国、韓国、台湾あたりのPCメーカーの直販で、15万から20万はしたものだ。それが、いまや私が満足できるパフォーマンスのノートPCの価格が、10万以下に落ち込んでいる。というより、今、20万もするノートPCといえば、日本の主要なボッタクリ価格メーカーとか、ノートPCで真面目にゲームができるような廃スペックのものとか、あるいは耐衝撃防塵防滴など、とにかく特殊なものしかない。

さらに、5万以下の安価なノートPCも一般的になっている。昔は小型のノートPCも、小型というだけで技術的に難しく高かった記憶があるが、いまや小型のPCが安い。

そもそも、ノートPCという物自体が、スマートフォンやタブレットといった新しい形のコンピューターに、客を奪われつつある。

ああ、時代は変わったものだ。ノートPCを使う必要性がないからとしばらく注目しないでいるだけで、タイムスリップしてきたかのような感覚を覚える。

ただし、一つ気になることがある。ノートPCの価格は、全体的に安くなったし、パフォーマンスや大きさといったバリエーションも増えたし、消費者としてはよろこばしいのだが、ひとつ気になることがある。ディスプレイの解像度がクソすぎることだ。

ここ数年で発売された、10インチ程度の小さく安いノートPCも、15インチもある大きくてそれなりのパフォーマンスを有するノートPCも、ディスプレイの解像度がクソすぎるのだ。

なぜか、1366x768というクソ解像度が多い。ディスプレイの大きさは違っても、解像度だけは同じ、しかもどれも申し合わせたように1366x768。なんだこれは。呪いか?

もちろん、ディスプレイの製造というのはCPUのようにはいかないこともあるのだろう。モダンなCPUは、あまりにも精密になりすぎて、完璧に製造することができないでいる。そのため、設計段階から、回路にある程度の冗長性を持たせ、一部が正しく製造できなくても問題ないようにしている。そして製造されたものに動作チェックを行い、より厳しい条件でも動作するものを、厳しい条件に設定してハイエンド、緩めの設定なら動作するものを、ミドルエンドからローエンドとしてい売っている。

ディスプレイとして今一般的な液晶パネルはこれが難しい。いかにドット欠けが許容されるとは言え、隣り合わせに連続して数十個のドット欠けは許容しがたい。ドット欠けが多いものをミドルエンドからローエンドとして売ることはできない。

つまり、液晶パネルは、CPUのように、プラス100ドルで上位品ということができない。そのため、どのPC製造者でも、パネルの差別化が難しいのだろう。

それにしても、十分な性能のCPU、GPU、メモリ容量、はては光学ディスクドライブまで取り付けておきながら、15インチや17インチで低PPCMのディスプレイを使うここ数年のノートPCは、やはり歪だ。

リーナス・トーバルズが、「まともな解像度」とか、「ノートPCが売れないのも当然だ」とか吠えたのも分かる。

11 comments:

Anonymous said...

Windows8で、ストアアプリをスナップ(画面を分割し複数表示する機能)を使うために、
必要なピクセル数が 1366 x 768 以上なので、それが影響してるのではないでしょうか?

Anonymous said...

そんなマイクロソフトが悪いみたいなこと言われても…
事実は逆でしょ

Anonymous said...

そんなつもりはないのだが、そう見えたのか…
悪いのは、(スナップに必要な)最低要求でごまかしたハードメーカーだ

Anonymous said...

とはいえ、生産数の少ない解像度のパネルを採用してしまうと、
コスト下げられなくて競争力が落ちるというのも、わからんでもないが。

Anonymous said...

Windowsの解像度のデフォルト値が96dpiになっているからだと思います(15.6inchだと1366x768が100dpiで96dpiに近い)

文字やUIを大きく表示させるためにDPI設定を変更することもできますが、一部のアプリケーションでUIが崩れたりします。ソフト側の互換性を維持するためにハード側が制約を受けている状況なのでは?

Anonymous said...

液晶パネルは生産特性上、コストに見合うパネルサイズ及び解像度というのがある程度決まってくる、というのが理由だったはず。
15inch以外にもその解像度が多いのはそれが理由。

減価償却が終わらないうちに要求が変わってしまったけど・・・という感じか、中小メーカーが中古市場に流れてきた生産設備を使って安く生産してるとか、そのあたりじゃないかと。

あとこれは完全に推測ですが、そのへんのおっさんおばさん等、「Windowsで文字が大きくないとダメ」という人に需要があるのではないかと。うちの親がそうなので。

Anonymous said...

↑に補足。

液晶パネル生産は大雑把に言うと、でっかいガラス板(マザー)を作って、それ上に基盤を形成し、それを分割するのです。

そのとき半導体製造技術上MAXのdpiは決まっており、マザーガラス全体がそのdpiになります。

ここで「捨て部分」がない状態で有効な液晶パネルに分割するにはどうすればいいのか・・・という制約をつけると、パネルサイズとその解像度が決まってきます。

あとは生産設備ですね。半導体系の生産設備はものっすご高いし、液晶パネル向けはそんなに調整が効かないはずなので(ここは古い知識なので今は違うかも)、マザーガラスのサイズやdpiをそんなにフレキシブルには変更できないと思います。

あー自分は今の液晶パネル解像度はクソだと思ってますので、念のため。縦1080なんてプログラマには足りないんだよチキショウ。

Anonymous said...

値段以外の理由はないでしょう。
いまはappleがRetinaなノートPCを売り出したので、各社追従しているところでは。

あと、windwosの画面が崩れるとか、何年前の話だよって感じだわ。Windows7でピクセル自体が仮想化されたのはそのためでしょうに。

Anonymous said...

「まともな解像度のノートPC」は今のところ東芝と富士通とHPから出てるけどやっぱりお値段もそれなりになっちゃうね。

エヌユル said...

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51875372.html
彼のようなギーグでも,「文字が細かい」とか言って,高解像度を避けるのに,この問題の根深さを感じます.
OSXのような過去を切り捨てるOSでも,文字サイズを満足に広げることができない.
なぜ,不自由なシステムは,GnomeとKDEのように,まともな文字変更が出来るOSを開発できないのでしょうか…
私はKDE使うので,解像度は高ければ高いほど良いですが.

Anonymous said...

KDEは、アイコン類がSVGなので、おおむね良好らしいですが、
Gnomeはまだですね。
テキストはスケールしますが、アイコン類が破綻します。
スケジュールだと、対応はGnome4以降の予定になってたような。