2009-07-15

最近、読むべき小説がない

asahi.com(朝日新聞社):芥川賞は磯崎憲一郎さん、直木賞は北村薫さんに決まる - 文化

芥川賞といえば、世間知らずとビッチなガキ二人(実は自分の方が年齢的に下であることを棚に上げていうのだけれど)を受賞させてみたり、中国人を受賞させてみたりと、その作品の質よりも話題集めによる一時的な売り上げの増加を期待する賞だったはずだ。だいたい、中島敦も太宰治も評価できずして、何が文学賞の面目か。直木賞も似たり寄ったりだろう。結局は出版社側の宣伝にすぎない。

それにしても、なぜ最近の小説はこんなにクソなのか。ここ最近、読むべき価値のある小説はでていない。最近、古文ばかり読んでいるのも、現代小説に読むべきものがないからだ。

高校生の頃、一時期ラノベに凝ったこともあったが、すぐに飽きてしまった。どのラノベを読んでも、やれ歴史上実在する人物の生まれ変わりだの、あるいはそこから取った名称を必殺技として用い、あるいは、エターナルフォースブリザード、一瞬で相手の周囲の大気ごと氷結させる、相手は死ぬ、といった程度の浅はかな発想で物を書いているのである。しかも、作品中のあらゆる場面において、萌えと称する性欲的写像を伴う。こんな駄作は世間の酷評を買うに違いないと思っていると、不思議なことに、むしろその逆で、その性欲的小説をして、人生を写し得たものとして認めている。人生は果してそんなものであろうか。

ラノベ自体に反感があるわけではなく、中にはいい作品もある。高校生当時、面白いと思ったラノベを挙げてみれば、時雨沢恵一の「キノの旅」や、増子二郎の「ポストガール」、橋本紡の「半分の月がのぼる空」などだ。機会があれば、今刊行されている続編も読んでみたいとは思うが、今は古典のほうが面白い。

今は、古典を読んでいる。結局、それぐらいしか読む物がないというのが実情なのだが。

ただ、論語を読んだおかげで、造次顛沛といった言葉を読んで、その意味が感覚で分かるのは、利点だが。

2 comments:

Anonymous said...

最近ではないけれど、中村 文則の「銃」をまだ読んでいなければ是非。どうも僕にはあなたが「銃」の主人公に見えて仕方ないのですよ。

江添亮 said...

2003年発売というのは、私からすれば最先端の文学ですな。
人が小説の主人公に似ているとは、また珍しからぬ仰せ。
文庫本が手軽な値段なので、後で読んでみます。