2012-04-01

自由なドキュメント

自由なソフトウェアの力は素晴らしい。とすれば、自由の威力はドキュメントにも及ぶはずだ。現在、ほとんどの紙書籍は不自由である。Web上にホストされている検索可能なドキュメントの多くは、後述する通り、複製や公衆送信や翻案を暗黙に許しているわけだが、たいてい、明示的な許諾が与えられていない。そのため、Web上のドキュメントは真に自由なのではなく、ある程度は自由のように振る舞うことを黙認されているだけである。この現状は不自由である。

いかに現行法が実情にそぐわないものであったとしても、今を生きる我々は現行法に従わねばならぬ。コピーレフトなライセンスは、著作権法を利用した賢いハックである。著作権法は、著作物の利用の独占を許している。本来、独占は禁止されているが、著作権法や特許法や商標法などは、独占を実現することが目的なので、独占を禁止する法律の適用外である。独占者たる著作者は、著作物の利用許諾を与えるに際し、条件を課す。例えば、金線による利用料の支払いだ。コピーレフトなライセンスは、この条件に、派生物はこの同じライセンスに従うという条件を課した。このため、自由なライセンスの派生物も、自由であることが保証されるのだ。

さて、自由なライセンスを利用した自由なソフトウェアは成功した。今や、自由なソフトウェアの質は、競合する不自由なソフトウェアを完全に凌駕している。我々はここでさらに一歩を進めて、自由なドキュメントについて真剣に考えるべきである。

今、この2012年において、ある事柄について調べたいとすれば、一体どうするだろうか。近所の本屋に行って不自由なドキュメントを探すだろうか。近所の図書館に行って不自由だが無料で閲覧できるドキュメントを探すだろうか。否、我々はインターネットの検索サイトで検索を行う。もはや、検索できない情報や著作物というものは、存在しないも同義なのだ。

ところで、この検索が機能するためには、Webサイト上の著作物は、著作権法で独占を認められたいくつかの権利の無断利用を黙認しなければならぬ。検索サイトは著作物を複製し、検索しやすい形に翻案し、さらに検索した者に対して、概要が見られるように翻案して公衆送信しなければならない。しかるに、Web上の多くの著作物は、明示的な許諾を与えていない。いまや、Web上の検索サービスの有用性を疑うものはいないにも関わらず、許諾がない。故に、これらの著作物は不自由な著作物である。

もちろん、これは現行法があまりにも実情とかけ離れているために起こる問題である。そのため、根本的な解決には、法律を改正しなければならない。日本国では、日々新たに生ずる、新しい状況での著作物の妥当な無断利用を許すべく、正確に言うと、妥当な場合には著作権が制限されて権利が及ばないように、常に変更されている。日本の著作権法は、実に改正が多い。何故ならば、日本ではfair useの概念を認めておらず、すべて明示的な著作権の制限という形で列挙しているからだ。もっとも、fair useとて、有能な弁護士を雇う権利だと揶揄されるように、万能ではない。これは、現行の著作権法が根本的に実情に合っていないために起こる問題である。

とはいえ、先に述べた通り、我々は現行法に従わなければならぬ。しかし、自由なソフトウェアが自然なように、自由なドキュメントもまた自然なのだ。従来の法律では、著作権の無断利用となる検索サービスが一般化したことは、自然なことなのだ。自由は自然で当然だからだ。

ここに、自由なドキュメントのためのライセンスの存在意義がでてくる。すべてのドキュメントは、本来自由であるべきなのだ。我々は自由なドキュメントを明示的に自由であると宣言し、不自由なドキュメントの所有を拒絶するべきである。不自由なドキュメントには、もはや所有する価値がない。不自由なドキュメントは反社会的かつ半倫理的で、人道上の罪である。

これをもってこれを考えるに、今私が執筆しているC++の参考書は、自由なドキュメントとして公開するべきだろう。ただし、私は商業的利益を放擲するわけではない。自由かつ商業的利益も得られる方法を模索する。

自由なドキュメントというと、WikiやGitHubのような仕組みの上でバザール型の執筆をするという案がある。しかし、おそらくこれは、参考書の執筆にはうまく働かないだろう。すでにひと通りのまとまった自由な参考書が存在していて、それを土台としてWikiで編集するならばうまく行くだろうが、無から創り上げるのはうまく行かないだろう。やはり、誰かが、十分なコミュニティが形成されるまでの間、孤独に耐えて最初の土台を作らなければならぬのだ。

ともかく、C++の参考書の完成が先決だ。私の現在の参考書執筆の環境は、自由なソフトウェアと許諾的ソフトウェアライセンスのclangにより、飛躍的に向上した。もっと早く不自由なソフトフェア環境から脱却していなかったのが悔やまれる。

参考:Why Free Software needs Free Documentation - GNU Project - Free Software Foundation (FSF)

1 comment:

Anonymous said...

自由かつ商業的利益も得られる方法を発見される事を心から祈っています。
残念ながら現在の私には見つけられそうにはありません。