2010-03-24

奇妙な夢を見た

我々は、ある会議室で、C++について論じていた。とうとう、FDISが出たのである。ようやく制定された規格書は、何故か、複雑な状態遷移図のようなものが、びっしりと書き込まれていた。これを読みとくのは骨が折れる。

議論の後、我々は、呑みに行くことになった。私は、何か他の用事で、一体部屋を出た。用事を済ませて、部屋に戻ってくると、そこは、すでに会議室ではなかった。

部屋の中には、何故かフル武装した自衛隊員がいて、猛烈に訓練をしていた。これは一体どういう事か。さっきまで議論していた人たちは、どこへ行ったのか。

私は、部屋を間違えたのかもしれぬと考え、隣の部屋を覗いてみた。そこでも、やはり、よく鍛えられた自衛隊員が、訓練をしていた。どういうことだろう。

まあいい、とりあえず、駅に行けば、なんとかなるだろう。どうせ、彼らも駅前にいるに違いないと考えた。駅名は、何故か、ロシア駅であった。私は、ロシア駅という名前については、何の疑問も生じなかった。

さて、「ロシア駅」に着いたが、彼らは見つからなかった。私は、携帯電話を全く使わない主義なので、携帯のアドレス帳に、彼らの電番号やメールアドレスは、入っていない。途方にくれていると、ふと、ある地べたに座っている集団が目についた。見覚えのある顔だ。何と、彼らは、私の小学生時代の級友であった。

級友等とは、小学校以来、全く会っていないはずである。しかし、その顔は、見覚えのある顔であった。なぜここに座っているのだろう。我々は、しばらくの間、久闊を叙した。

さて、再び、駅前をうろついていると、とうとう、仲間と再開した。彼らは五、六人ぐらいいて、その中に、イケメンのアキラさんと、マッチョなメルポンさんもいた。

私が、「呑みに行く店は、もう決まっているのか」と訊ねても、彼らは、「決まってる、決まってる」というだけで、なんという店かは、答えてくれなかった。

我々は、ある建物の階段を上がっていった。その階段は、やたらにせまく、人がひとり通るだけで精一杯であった。しかも、なぜか、途中で何回も、左右に分岐していた。

私は、前の人を見失わないようについていった。階段は、分岐するたびに、左右の壁が、狭くなっていった。もはや、体をヨコにしなければ、通ることすらできない。果たして、マッチョなメルポンさんは、通り抜けることができるのだろうかと、心配した。

階段の左右の壁は、いよいよ狭くなってくる。もはや、肋骨がつかえて、進むことができぬ。いよいよ進めないと諦めかけたときに、ようやく、目的の店についた。

その店は、こぢんまりとした小さな部屋であった。床の間に、座布団を引いて、ひとりの婆が正座していた。

「いらっしゃい」

(いや、「いらっしゃい」どころではないだろう。何なのだこの階段の作りは)と思いながら、部屋を見回すと、こたつがひとつ、備え付けられていた。イケメンのアキラさんは、涼しげな顔をして、すでにこたつに入っていた。

私も、こたつに腰をおろした。狭い階段をくぐり抜けてきたせいか、やたらと暑い。私は、外套を脱ぎ、トレーナーを脱ぎ、さらに、セーターを脱いだ。こんなに狭い通路を通るのだと知っていれば、こんなに厚着してこなかったものを、と不満に思った。

マッチョなメルポンさんは、いつまでたっても、上がってこなかった。

みると、先程の、床の間の婆は、いつのまにか姿を消していた。こたつの上には、いつの間にか、土鍋と食材が置かれている。と思うと、いつの間にか、こたつに、婆と爺が座って、世間話をしていた。

爺「やれやれ、最近は、こんな変わった店じゃないと、客も来やしない」
婆「いや、これでもさっぱりだよ。やっぱりあれだね。儲けようと思ったら、こんな商売じゃなくて、楽器の教室の先生をするに限るね」
爺「どんな楽器だい」
婆「シンバルだよ」

果たして、シンバルの演奏法を専門に教える教室の需要はあるのだろうか。

と、ここで目が覚めた。

私は、トレーナーとジーンズを着込んだまま、布団にくるまって、壁際で寝ていた。枕元には、D&Eと、C++ Templatesと、柳田国男全集が、読みかけで開いたまま、置いてある。変な夢の原因は、これらだろう。

あれだけ長い夢を見たと思ったのに、時間は、22時である。なんと、たったの数時間しか、うたた寝していなかったと言うのか。一炊の夢とは、よく言ったものだ。

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