この物語は、クッキー・クリッカーを題材としている。先に書いた、本の虫: クッキー・クリッカーについてと、本の虫: ババア補完計画の続編に当たるものだ。私の文章が思いの外人気なので、当初の予定とは変更して、本気で文章を書いてみようと思う。先に書いた二編は、この物語を理解するために必須ではないが、あらかじめ読んでおくといいだろう。
本の虫: クッキー・クリッカーについて
本の虫: ババア補完計画
私は前々から、小説が書きたかった。しかし、いい趣向が思い浮かばなかった。私は玉たる文章力を持っていると半ば信じ、あるいは己の玉たらざることを半ばおそれるがために、ただ趣向のせいにして、あまり文章力を世間に行うこともなく、また鍛えることもなかった。今では、その文章力も錆び付いている。しかし、それでも、今は書こうと思う。昔果たせなかったおぼろげな小説を、いま、再び書いて形にすることを試みよう。かつて、私は小説家になるという夢を、何人かの友人に語った。その友人は、今では四散して、連絡も途絶えている。昔あこがれた小説を書きたい衝動に、今再びかられる。そして、文章は形となった。
述而不作と孔夫子はいう。私も夫子の顰に倣い、これまでの二作は、ただ述べるばかりで、一切作らなかった。ある者は先の二作を私の空想によるものだとするかもしれないが、作ってはいない。しかし、今作は、あえて少し作ろうと思う。
クッキー財閥の創業者である老エゾエは、新しいクッキーのアイディアについて思いを巡らしながら街を散歩している途中に、ムクイヌを見出した。やけに人懐こくエゾエに擦り寄ってくる。首輪はない。野良犬だろうか。エゾエは犬を連れ帰ることにした。犬を飼ってみるのも悪くないだろう。
エゾエは自宅兼クッキー研究所に戻った。祖父母の代から受け継いだこの家から、今や宇宙に君臨するクッキー財閥は始まったのだ。もし、あのときクッキーを焼こうとおもっていなければ・・・、「もし」は歴史において魔法のような言葉だ。もし、過去のある地点におけるある些細な選択が違っていたとしたら、将来にどのくらいの影響を与えるのだろうか。
「さあ」と、エゾエはムクイヌに言った。「さあ、入るがいい。ここが己の家だ。今日からはお前の家にもなる。外で己を楽しませてくれたかわりに、内では客人の扱いを受けるがいい。そら、そのすわり心地のいい上等のソファをくれてやる」
家の中には、ジジババとオヤジオフクロから受け継いだ様々な道具が転がっている。エゾエには、あまりよく使えない道具だ。所詮、これらの道具は他人から受け継いだものに過ぎぬ。自分で使うには、自分で使えるように努力しなければならぬ。利用せずに置く物は重荷だ。
年老いて今は死ぬのを待つばかりのエゾエは、この自宅で、ひとり孤独に暮らしている。なんというみじめな人生だ。己はクッキーによって一代で財を成した男だ。己のクッキーは今や、宇宙を独占している。他の次元、他の宇宙からも、わざわざ己のクッキーを買い付けにくる「存在」が大勢いるのだ。己は3ギガCpSを実現したのだ。己は世界一のクッキー持ちだ。それがなぜ、こんなところで朽ちなければならぬのか。
理由は明らかだ。エゾエは何事をもやる勇気がなかったのだ。それに、稼いだクッキーは、右から左に渡して、より大きなCpSを求めてきた。常に勤しむばかりで、受容する暇がなかったのだ。そうして、今このトシでここにこうしている。今はクッキーもある。しかし、クッキーがあるからとてなんだというのだ。八十に近い齢で、いまさら遊べというのか、家庭を持てというのか。受容のよろめきに身を委ねろというのか。バカげている。もう遅い。クッキーなど無意味だ。
そうだ。こういう気分の時は、好きなC++規格書を訳すに限る。どれ、原本を開けてみて、素直な感じのままに、一辺、神聖なる本文を、すきな日本語に訳してみたい。
「まずこう書いてある。©ISO 2013 — All rights reserved」
「ここでもう己はつかえる。なぜだ、なぜ言語規格が、著作権保護されなければならぬのだ。事実のみを厳格に記述したはずの規格文面に、なぜ著作権性が認められるのだ。それでは自由に使うことができぬ。自由に他人に配ることができぬ。自由に改良することもできぬ。そのような言語規格は自由な発展を阻害し、世のため知的生命のために害悪だ。邪悪だ。倫理に反する。人道上の罪だ。将来の歴史家への冒涜だ」
「ムクイヌ、己と一緒にこの部屋にいるつもりなら、うなることをよせ。吠えることをよせ。そんな邪魔するやつを、そばにおいて我慢してやることはできぬ。お前か己か、どちらかが、書斎を出て行かなくてはならん。用あらば早くしろ。でなければ帰れ」
「はてな。妙にみえるな。自然にありそうもない事だ。あれは幻か。現か。あのムクイヌは幅も広がり丈も伸びる。勢好く起き上がってくる。あれは犬の姿ではない。己はなんと云う化物を内へ連れて来たのだろう」
「もう火のような目、恐ろしい歯並をした、カバのように見える。お前のような異世界の存在には、このげんこつクッキーが好い」
エゾエは開発中の歯が折れるほど硬いげんこつクッキーの棒をにぎりしめ、異世界から出現したこの世のものならざる恐ろしげな存在に振り下ろした。存在はひらりと身をかわし、若い生意気そうな青年の姿になって現れた。
エゾエ、「ふん、これがムクイヌの正体であったか。大方、己のクッキーの評判を聞きつけて味を見ようと、別次元か別宇宙から、この世に出現した存在だろう」
メフィストフェレス、「まあ、そんなところですね、いやはや、さすがクッキー財閥の創業者は伊達じゃない」
エゾエ、「名は何と云うか」
メフィストフェレス、「私の名前などどうでもいいでしょう」
エゾエ、「いや、どうでもよくはない。たとえ形而上のものを扱うときでも、その概念を指し示す名前がなければ、論述が冗長になる。それに、定数には名前をつけるのはプログラマーとして良い習慣とされている」
メフィストフェレス、「おやまあ、私が昔世話したジジイとはだいぶ物の考え方が違いますね。ちぇ、思い出せば、あのジジイ、土壇場でドサクサにまぎれて夜逃げしやがって。あんなやり方は卑怯にもほどがある。何が永遠の女だ。聞いて呆れらぁ」
エゾエ、「用というのは愚痴を聞かせることかね」
メフィストフェレス、「いえ、愚痴を聞いてあげるのです」
メフィストフェレスと名乗る、この異世界から出現した存在が言うには、彼は別宇宙へ渡る能力を有しており、自分だけではなく、他の物体をも渡らせることができるのだという。メフィストフェレスはこの能力を使った宇宙渡りを、悩める知的存在に訪問販売しているのだという。
メフィストフェレス、「そこでですね。見たところあなたは大変悩んでいるご様子、どうです、別の宇宙に渡られては?」
エゾエ、「ふん、この宇宙で満足できんのに、別の宇宙なら満足できるとでもいうのか。言っておくがな、たとえ宇宙のすべてが俺の意のままに動く奴隷であったとしても、己は満足せぬぞ」
メフィストフェレス、「まあ、あなたにもご満足いただける宇宙はきっとありますよ。どうです、悩みをお聞かせ願えませんか?」
エゾエ、「長くなるぞ」
メフィストフェレス、「どうぞどうぞ、私にはこの宇宙の時間というものはあまり意味をなしませんので」
こうして、エゾエの半生の悩み語りが始まった。
エゾエのクッキー自伝
エゾエがクッキーを初めて焼いたのは、中学生の時分であった。当時、中学生のエゾエは、クッキーを作りたいという強い衝動にかられていた。そのことを周囲に打ち明けても、皆笑うばかりで、誰も食べたいと言い出すものはいなかった。無理もない話だ。当時のクッキーとは極めてマズいものであったからだ。
逆境にめげず、エゾエは始めてのクッキーを焼き上げた。そのクッキーは、誰も遠慮して手をつけようとしなかった。
メフィストフェレス、「要するに、マズかったんですね」
エゾエ、「・・・まあな」
エゾエがはじめて焼き上げたクッキーは、それゆえ、ゴミ箱に直行した。エゾエの家の周りに住んでいて、よく腐ったゴミをあさりにくるいじきたないアライグマも、このクッキーにだけは触れることすらしなかった。
エゾエは泣いた。
昔から泣き虫のあだ名あるエゾエであったが、さすがに中学生にまでなって泣くのはどうか。しかし、当時のエゾエは、それだけ悔しかったのだ。
悔しさをバネにして、エゾエは再びクッキーを焼く。そして、なんとか、身内なら一枚ぐらいは食べてくれるようなクッキーを作ることに成功した。
その後もクッキーの改良を重ねたエゾエは、ついに世紀の大発見をする。なんと、今までの材料に加えて、「小麦粉」なる材料を入れると、とても美味しいクッキーができあがるのだ。このクッキーはとても評判がよく、なんと、クッキーに当時の通貨を払う近所の者まで現れた。エゾエは近所で有名となり、中学生にしては大貨を手に入れたのだ。
エゾエには、欲しいオモチャがあった。クッキーの売上でそこそこの通貨を得たエゾエにとっては、好きなだけオモチャを買うことができた。しかし、エゾエは喉から手が出るほど欲しかったオモチャを我慢し、得た通貨を、さらなるクッキーの改良のためにつぎ込むことにしたのである。「カーソル」だ。
カーソル(Cursor)
当時、カーソルというハードウェアが注目を集めていた。このカーソルは、機械じかけの五指を備えたハンド、腕を模したアーム、そして、ハンドとアームを支える6本足の移動土台から構成されていた。ハンドは、たしか16個か17個ほどのサーボモーターで、指や手のひらを動かせるようになっていた。アームも油圧で稼働する。移動土台の6本足は、左右一本づつまでなら故障しても移動できる冗長性を備えていた。
さらに画期的なことに、カーソルはプリンターで印刷可能だったのだ。当時、一般的なプリンターといえば、まだ二次元プリンターであった。三次元プリンターも市販されていたが、まだまだ品質が低く、オモチャのようなものとみなされていた。カーソルは、当時の貧弱な三次元プリンターで印刷できるように設計されていたのだ。それだけではない。カーソルは全設計が自由に公開されていた。ハードウェアの設計からソフトウェアのソースコード(レシピとも呼ぶ)、コンパイラーに到るまで、すべてが自由な設計だったのだ。これは、カーソルを自由にプログラムし、また改良できることを意味していた。エゾエは通貨を三次元プリンターにつぎ込み、安価なカーソルを量産した。
この時点でエゾエは、クッキーの味についてはだいぶ改善していた。数年の研究により、従来の材料に、小麦粉だけでなく、「バター」なる材料も一緒に入れると、より一層美味しいクッキーが出来上がることを発明していた。また、理論上は、タマゴやミルクと呼ばれている液体を混ぜれば味が引き立つはずであったが、まだ研究中であり、実証実験は済ませていなかった。
問題は、クッキーの生産である。なるほど、小麦粉とバターを使うと、たしかにクッキーの味は引き立つ。しかし、これはエゾエが手動で小麦粉とバターを混ぜあわせ、こね上げ、クッキー生地として寝かせなければならないことを意味していた。これはクッキー生産の時間効率を著しく下げ、またエゾエを腱鞘炎にかからせた。ところで、エゾエはプログラマーであった。そこで、このカーソルをハックして、自動でクッキーの生産ができるように改良しようと思い立ったのだ。
多くの印刷ミスとコンパイルエラーに悩まされた後、とうとう、カーソルは自動でクッキーを焼けるようになった。問題は、そのCpS(Cookie per Second、クッキー毎秒)は、とてもおそかったのだ。
無理もない話だ。カーソルは、当時の貧弱な三次元プリンターで印刷して動作するよう、とても冗長性の高い設計をしていた。また、自由なハードウェアの常として、開発資金が十分ではなく、ほぼ素人集団によって設計されていたのも問題だった。カーソルは、あらゆる点で貧弱だったのだ。
そのため、エゾエは依然として手動でクッキーを焼き続けた。
クッキーを生産するうちに、いつしか月日は流れ、エゾエも一個の青年になっていた。この惑星では、青年のオスは、弱い接着剤をつかって髪を逆立て、精神に失調をきたす色彩の服を来て、無意味に座高の低い車に乗り、あるいは歌い、また踊り、若いメスに求愛活動(求活)を行うのが常であった。求活の結果、見事に若いメスをゲットした青年のオスは、「現実が充実している」と呼ばれた。
エゾエは数年に及ぶクッキー研究と生産のおかげで、一財産を築いていた。エゾエのクッキーが美味であるという噂は遠く広がり、街中に聞こえ、エゾエの家の庭はクッキーをせがむ子供であふれていた。
もっとも、エゾエの財産というのは、クッキーであった。この頃になると、エゾエのクッキーといえば、相応の値段で売れたのだが、エゾエはどうしたわけか、クッキーをクッキーとして貯蓄していた。この頃は、まだ誰も、クッキーにそれほどの価値を見出しておらず、別の通貨が使われていた。そのため、エゾエにはサイケデリックな服や無意味に座高の低い車で求愛活動を行う貨幣的余裕はなかったし、また歌や踊りも下手だったので、最初から求活には期待していなかった。エゾエは髪を剃り落とし、単色無地のエプロンを着て、クッキー生産に精を出した。
ところで、さすがにこの頃になると、エゾエは手動によるクッキー生産に限界を感じていた。しかし、カーソルは遅すぎる。できれば労働者を雇いたい。しかし、前述の通り、エゾエの財産は、当時まだ貨幣価値を認められていないクッキーしかなかった。そこでエゾエは、ババアを雇った。
ババア(Grandma)
ババアは、カーソルを除いては、最も購入コストの低いクッキー生産装置であった。ババアは対価の支払いに、当時の通貨ではなく、クッキーを受け取ることに同意したのだ。問題は、ババアのCpSは、とてつもなく低かったのである。
まあ、所詮はババアなのだ。何をか期待せんや。ババアのCpSは、カーソルよりはいくらかマシという程度で、手動のクッキー生産から比べれば、微々たるものであった。ババアの購入は、それなりの利点もあった。ババアは、麺棒という技術を有しており、なんとこれは、クッキー生地を素手でこねなくてもよくなるのだ。残念ながら、エゾエにはこの麺棒技術は使えなかった。ババアが麺棒を使えば、CpSは多少上がるのだが、やはり元が元なだけに、微々たるものでしかなかった。すっかり失望したエゾエは、手動によるクッキー生産を継続した。
メフィストフェレス、「その・・・、ババア、というのは、あなたの生物学上の祖母・・・ああ、つまりこの宇宙の言葉で言えば、あなたを生産したオフクロを生産したオフクロ、ということでいいのですか」
エゾエ、「ああ、最初のババアはそうだな。後のババアは、どっかのババアだが」
メフィストフェレス、「へぇ、変わってますねぇ。私のところの宇宙では、この手のものは、たいてい美少女なのですが」
エゾエ、「美少女、というのは、若い魅力的なメスのことかね」
メフィストフェレス、「ええ、この宇宙の言葉でいえば、だいたいそうなるでしょうね。あ、どうぞ話を続けて」
農場(Farm)
ババアに失望したエゾエは、次に農場に目をつけた。もちろん、クッキーは栽培可能であり、農場で収穫できる。
メフィストフェレス、「ちょっと待ってください。いま農場と言いましたか? クッキーを栽培? 植物のように?」
エゾエ、「君のところの宇宙ではできないのかね?」
メフィストフェレス、「あたりま・・・いや、現にこの宇宙がこうして存在している以上・・・、まあ、理論的には、まあ、その、できるんでしょうね、ええ、たぶん」
苦労の末、クッキーを支払って買い取った農地にクッキーを植え、品種改良の末、より多く、より簡単に収穫できるクッキーを発明した。農場は、ゆっくりではあるが、確実にクッキーを生産していった。
また、今では当然となっている主流のクッキーである、チョコチップクッキーに欠かせないチョコチップを発明したのも、この時期である。エゾエの発明した新しいチョコチップクッキーは、またたく間に評判となった。
工場(Factory)
農場で稼いだクッキーを元手に、エゾエはクッキーを生産する工場を建設した。工場の建設と、工場で働く労働者の対価には、クッキーを支払った。これには、当初、労働者側の強い反発があった。しかし、クッキーの価値が認識されていくに従い、反発は次第になくなっていった。
工場は、手動のクッキー生産に勝る、素早く、品質の整った、確実なクッキーの生産を可能にした。こうなると、もはやクッキー自体に価値が見出されるようになった。従来の通貨にかわって、クッキーが通貨として流通するようになったのだ。
文字通り、通貨を生産する工場を所有するエゾエは、大クッキー持ちになった。もうエゾエは青年の歳を超えつつあったが、求愛活動に髪や服を整える必要すらなかった。その気になれば、10歳は歳が離れた若い複数のメスをはべらすことだってできたのだ。しかし、それには少なからぬクッキーを浪費してしまう。エゾエは現状に飽きたらなかった。足りない。まだ圧倒的に足りない。生産したクッキーは、さらなる設備通しに回さなければならない。メスは後回しだ。
鉱山(Mine)
工場におけるクッキー生産で、もっとも時間がかかるのは、クッキーを焼くことではない。クッキー生地とチョコチップの準備である。クッキー生地は、よくこねて、しばらく寝かさなければならない。チョコチップは、とても細かく製造が面倒だ。
この問題の解決が、我々の足元に埋まっているのだ。ご存知の通り、クッキー生地鉱脈と、チョコチップ鉱脈、今すぐ焼ける状態で地中に埋まっている。これを掘り出せば、準備時間はかからない。
メフィストフェレス、「ちょ、ちょっとまってください。クッキー生地鉱脈? それは食べられる状態のクッキー生地が埋まっているのですか?」
エゾエ、「もちろんそうだが。君の宇宙だってクッキー生地鉱脈のひとつやふたつぐらいはあるだろう?」
メフィストフェレス、「一体どうやって?」
エゾエ、「クッキー生地鉱脈の発生理由については、まだこれといった証明された定理はない」
エゾエ、「科学者の間で主流の仮説としては、数億年前に、小麦粉とバターが一緒に地中に埋まり、地震などの作用によりこねられ、密閉されているために腐らず、現在まで保存されたものとされている。またチョコチップは・・・」
メフィストフェレス、「そんなアホな・・・」
エゾエ、「もちろん仮説だ。しかし、ちゃんと綿密に考慮されて、査読を通った論文で提唱されている仮説だよ」
メフィストフェレス、「ありえない」
エゾエ、「まさか君は、宗教団体の主張する、何か知的な存在があらかじめ地中にクッキー生地を埋めておいたという、実証なく反証も不可能な伝説を信じているのではあるまいな」
メフィストフェレス、「私はむしろそっちを信じますね。なにしろ・・・いや、よそう。どうせ言っても無駄だ」
エゾエ、「我がクッキー財閥は、たまたま運良くタマゴやミルクも一緒に埋まった良質な鉱脈を多数所有しているのだよ」
輸送(Shipment)
エゾエのクッキーへの飽くなき挑戦は止まるところを知らなかった。ご存知の通り、天文学者はもう百年は前から、主要な構成物がクッキーやチョコレートの惑星をいくつも発見していた。
メフィストフェレス、「・・・」
これらの惑星は、地表がクッキーでできており、チョコレートの海がある。核はドロドロに溶けた高温のクッキー生地であると推定されている。
もし、もし、このような惑星から、クッキーやチョコレートを地球に輸送できたとしたら、莫大なクッキー生産量になる。それには、高度な惑星間航行技術と燃費と加速度のいいロケットが必要になる。
また、農場、工場、鉱山は、社会から様々な環境汚染の原因として、槍玉に挙げられていることを考えれば、宣伝上も都合がいい。
彼ら、社会の木鐸を自称する奴らは、木を見て森をみずといった本質的ではない、科学的ではない、物の見方をする。彼らはクッキーの成功を妬み、クッキーが既得利権を脅かすものであると考え、ひたすら妨害工作に走るのだ。それに、クッキーはありふれているので、身近にある一見分かりやすい環境汚染の間違った原因として、愚痴で非科学的な一般大衆が容易に信じこむ。
曰く、クッキー農場では低賃金でババアが強制労働させられている。曰く、チョコレート農場は川をチョコレートで汚染している。遺伝子改良チョコレートの存在しない危険性をやかましく叫ぶ連中もいる。中でも解せないのは、自由放牧させた農場産のクッキーは味がよく健康にもいい、効率重視の詰め込みクッキー飼育は劣るとか主張する、いわゆる健康クッキー主義や、クッキーは動物由来の素材を利用しており食べるべきではないと主張するヴィーガンと名乗る菜食主義者達。わけがわからない。
工場もそうだ。地球温暖化はクッキー工場のせいだなどと非難されている。なんでも、大気中のチョコレートの増加が温室効果とか称するものを発揮し、熱を宇宙に逃すのを妨害するのだとか。また、一時期、各地でチョコレートの雨が降ったこともある。チョコレート雨は、実際のところ、工場のせいなのだが、当時、エゾエのクッキー財閥は、多額のクッキーを費やして、もみ消しに暗躍した。労働闘争も頭が痛い。結局、今では労働者は派遣に切り替えて団結意識を希薄にし、またロボットを導入している。工場製クッキーは肥満につながるという論文が発表されたこともある。まったくバカげている。肥満は食い過ぎのせいだ。
鉱山は隠し切れないほど最悪だ。当時のクッキー生産を支えるためには、クッキー生地とチョコチップの採掘は不可欠だった。しかし、鉱山は落盤による生き埋めや、クッキー生地発酵による酸欠で、大勢の鉱夫が犠牲になった。それだけではない。採掘は地震や地盤陥没を引き起こし、生産性が悪くなり採掘を打ち切られて放置された鉱山からチョコレートが溢れて周辺地域を浸チョコしたりもした。チョコレート鉱山の地下深くから発見された、不思議なチョコレートを食べる生物は、生物学の教科書を書き換えるほどの影響があった。
これらのすべての問題が、クッキー惑星からの輸送によって解決できるのだ。エゾエのクッキー財閥は、莫大な資金を投じて研究を行った。そして、ついに我々は惑星間航行技術を手に入れ、クッキーとチョコを輸送できるようになったのだ。
輸送は莫大なクッキー生産をもたらした。クッキー惑星は次々と発見され、輸送がますます盛んになった。純度99.8%の良質なチョコレート核を持つ惑星も発見された。チョコレートから構成された有機生命体も発見された。大昔の地球外の知的生命体の痕跡であるチョコレート鉱山の発見に、世間は騒然となった。
また、暇をもてあませたクッキー長者たちによる、宇宙旅行も盛んになった。中でも有名なのは、クッキーとチョコのトレーサビリティ技術を開発する会社を起こし、後にクッキー財閥に買収されてにわかに大クッキー持ちになった、あるクッキー長者である。彼はクッキーにまかせて宇宙旅行をし、さらにカーソル上で動作するCNU/Utenxベースの自由なOSを、ババアでも使えるように改良した。
CNU/Utenxについては、解説が必要だろう。昔、オペレーティングシステムは皆不自由なプロプライエタリソフトウェアであり、利用にあたっては屈辱的な契約への同意を必要とされた。このような不自由ソフトウェアは利用者から自由を奪うものである。そこで、ある自由クッキー主義者が、Cで書かれた自由なOSを開発すると宣言した。当時、不自由なOSとしては、Utesil(ユテンソル)というものが広く使われていた。このOSは、完璧ではないにせよ、すでに広く使われているし、満足できる設計であった。そこで、チョコ言語(その頭文字をとって、C言語とも呼ぶ)をシステムプログラミング用言語として提供するUtensil互換の自由なOSを作ることにした。この自由なOSの名前は、CNUと名付けられた。その意味は、"CNU's Not Utensil"の略語であった。Cはどこからきたのかというと、おそらくクッキーか、あるいはチョコレートの頭文字から来ているのであろう。
よくOSはチョコチップクッキーに例えられる。OSを構成するソフトウェアとしては、システムプログラミング言語のコンパイラーとライブラリ、そしてカーネルがある。カーネルとはクッキー生地であり、ライブラリは生地の上に乗るチョコチップだ。コンパイラーの役目は、クッキーのレシピ(ソースコードとも呼ぶ)である生地とチョコチップを練りあげて焼き、食べられるようにすることだ。そのため、コンパイラーは時として、オーブンとも呼ばれる。自由クッキー主義者のCNUは、チョコ言語のコンパイラー(cc)と、チョコチップライブラリ(libc)を完成させた。しかし
いまだに生地にあたるカーネルだけは、完成させることができなかった。
チョコレートの雪が降る寒い北国に、ある青年が住んでいた。青年というのは、どこの宇宙でも、往々にして馬鹿げたことをやるものだ。この青年は、自分でカーネルを作ってみたいというバカな夢を持っていた。青年は幼い時からカーソルを所有しており、生粋のハッカーであった。彼の母親はこう述懐する、「うちの子は手のかからない子でした。押入れの中にカーソルとクッキーと一緒に放り込んでやれば、それで満足するんです」と。青年はカーソル上で動く、Utensil互換のカーネル、Utenx(ユテンクス)を描き上げた。Utenxは、最初オモチャのようなカーソル上で動くオモチャのようなカーネルであったが、この青年がレシピを公開したため、またたく間に世界中に広がり、ハードウェア、ソフトウェアともに改良され、十分に使えるカーネルへと改良されていった。
しかし、カーネルは所詮カーネルである。チョコチップクッキーにおける生地とおなじく、カーネルはOSの一部にすぎない。クッキーの味は、その上に乗るチョコチップが決めるのと同様、カーネルにはチョコチップライブラリが必要なのだ。さらに、クッキーがオーブンで焼かれなければならないのと同様、カーネルも焼きあげるためのコンパイラーを必要としていた。
そのコンパイラー(cc)とライブラリ(libc)が、なんとすでに存在したのだ。それはCNUと呼ばれるOSであった。UtenxはCNUとともに使うことで、完全なOSとして動作するようになった。
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これが、後に名前論議を呼ぶことになる。Utenxは相当に有名になり、UtenxをCNUと組み合わせたOSは、たいてい、単にUtenxと呼ばれるようになった。一体、OSを決めるのは何か。カーネルか、ライブラリか。OSとはカーネルとライブラリ、その他のツールが一体化したものであり、その一部だけでは成り立たない。すでにCNUはカーネル以外のライブラリとツールを完成させており、Utenxカーネルはその生地を提供したに過ぎないのだ。つまり、Utenxカーネルは、CNUというOSのカーネルのひとつにすぎないのであって、UtenxカーネルとCNUを組み合わせたOSを、単にUtenxと呼ぶのでは、CNUの貢献が正しく理解されない。
そのため、クッキー生地とチョコチップを組み合わせたクッキーを、チョコチップの味への貢献を示すために、「チョコチップクッキー」と呼ぶのと同様に、UtenxカーネルとCNUを組み合わせたOSは、CNU/Utenx、あるいはCNU+Utenxと呼ぶべきである。/や+の利用は、CNUとUtenxが別々のものであり、組み合わさっていることを明示するために必要な区切り文字である。Utenxというときは、単にUtenxカーネルを指すものだ。
さて、このGNU/Utenxは、安価な6本足の移動式5指ハンドアームであるカーソル上で、実に快適に動作した。また、レシピが公開されているために、誰でも改良することができた。このため、最初はオモチャであり、プロプライエタリな商用Utensilとプロプライエタリなアーキテクチャのハードウェアにまともに対抗できるOSではないと考えられていたCNU/Utenxとカーソルは、またたく間に改良されていき、今では商用Utenxとプロプライエタリなアーキテクチャのハードウェアを市場からほとんど消すまでに成長した
これは、エゾエが早くから目をつけていたカーソルの機能を大幅に向上させ、カーソルは農場、工場、鉱山、ロケットの操作など、あらゆる場所で活躍し、そのクッキー生産性を大いに上げた。また、これは不釣り合いな対価を要求する労働者の削減にも貢献した。カーソルは一躍有名になり、海外ではカーソルが活躍するコメディドラマまで作られた。ただし、商標の問題から、カーソルではなく、スキャッター(Skutter)という名前になり、また指も3本に減らされ(それでも挑発的なハンドジェスチャーをするのには十分である)、移動もホバークラフトとして描かれている。まあ、所詮はフィクションだ。
さて、この時点で、もはやこの地球にはエゾエに匹敵するクッキーを所有するものはいなかった。他の惑星からもたらされるクッキーは、地球環境への影響を一切考慮せずに生産できるので、エゾエは無尽蔵とも思えるようなクッキーを手に入れた。
この大量のクッキーを使えば、例えば適当な居住可能な惑星をひとつふたつ買い取って、そこに住むすべての知的生命体(大勢の若いメスを含む)を、彼のドレイとして意のままにこき使うことが可能だったろう。
しかし、エゾエは、稼いだクッキーはすべて、さらなるクッキー生産効率向上のための技術投資に回した。足りないのだ。まだ全然足りないのだ。圧倒的に足りないのだ。クッキーをもっと焼かねばならぬのだ。焼いて焼いて焼きまくらねばならぬのだ。
錬金研究所(Alchemy Lab)
想像して欲しい。金のような無価値でありふれた物質を、クッキーのような高価値、高栄養価の物質に変えることができたとしたら。金を練って他の有益な物質に変える。そんな魔法のような技術は、昔から呪術的に扱われ、ファンタジーではお決まりの魔法として使われてきた。十分に発達した科学は魔法特別がつかないと、かつてあるSF作家はいった。その魔法が今、科学の力で実現するのだ。エゾエのクッキー財閥が総力を上げて投資した、練金研究所では、金をクッキーに、
メフィストフェレス、「いやいやいやいや、ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいよ」
エゾエ、「どうしたのかね?」
メフィストフェレス、「何で金を他のものに変えるんですか?」
エゾエ、「何故って、金はありふれた物質だからだよ」
メフィストフェレス、「お、おう」
エゾエ、「道を歩いて気がつかなかったのかね、そのへんに転がっている石ころや砂は、全部金じゃないか」
メフィストフェレス、「そういえば・・・あああああああ、あーあーあー」
エゾエ、「たしかに、昔は金といえば、どこにでもそのままの形であって、精製の手間もいらず加工しやすかったから、装飾品にも使われていたな」
エゾエ、「またごく最近までは、その高い腐食耐性、酸化耐性、導電性のため、様々な用途はあったさ。また金の反応が発見されてからは、触媒としても一時期はやったな。それと、単純に重いから、重しとしても使われてきたかな」
エゾエ、「しかしまあ、フェムトテックのある今では、そのすべてが、より優れた特性を持った他の原子や分子に取ってかわられているよ」
メフィストフェレス、「私のとこの宇宙では、金はそれ自体に価値があり、通貨として使われているのですが」
エゾエ、「ふむ、金のようなありふれた無価値の物質を貨幣として使うとは、君の宇宙ではだいぶ信用貨幣制度が発達しているとみえるな。うらやましい限りだ」
メフィストフェレス、「いえ・・・そうではなくて・・・ああ、もうなんでもよくなってきた。続けてください」
錬金研究所は、単なるクッキー生産以外にも、クッキー史で重要な発見をいくつももたらした。例えば、銀は、錬金技術を適用すれば、ホワイトチョコレートに変えることができると判明したのだ。そう、ホワイトチョコレートは当初、錬金技術の副産物として発見され、後に、錬金技術によらない商業的に使える生産方法が確立されたのだ。また、今はやりのチョコ宝石も、錬金術の副産物として生まれた。これにより、金やダイヤモンドに唯一の残されていた利用方法も、最新のクッキーとチョコレート技術に押されて消えていった。
錬金技術を応用すれば、金から、繁殖可能な若いメスを錬成することも、理論上は可能である。その証明済みの理論を発表する論文もある。しかし、そんな無駄な錬成をしては、何よりも重要な、何よりも大切な、クッキーの生産効率が落ちてしまうではないか。理論的には面白かったものの、そんな遊びに高価な錬金施設を使う研究機関や企業はいなかった。
錬金技術は、すばらしいクッキー生産効率をもたらした。何しろ、材料が金である。そのへんの道端に、石や砂としていくらでも存在する金である。たしかに、錬金設備への初期投資こそ高くつくものの、一度クッキー生産に入ってしまえば、すぐに元が取れる。それに、環境汚染もない。そのへんの石ころや砂を消費するだけだ。まさに全知的生命体の夢の技術である。ロケットによる他の惑星からの輸送は、なるほど、環境問題こそ起こさないものの、輸送費が高くついて、クッキー生産効率の点でいえば、あまり洗練されていなかった。錬金クッキー、これこそが未来なのだ。
残念ながら、錬金技術は、当初こそすばらしいクッキー生産をもたらしたものの、長期的にははかばかしくなかった。問題は、材料が金だということだ。確かに、金はどこにでもある。しかし、どこにでもあるというそのことが問題なのだ。クッキーの錬金には大量の金を必要とする。長期的なクッキー錬金を行うと、錬金研究所付近の金をすべて採掘しつくしてしまうのだ。いや、金などどこにでもあるのだから、適当な用地買収を行えばいいと思うかもしれない。しかし、土地の購入には多額のクッキーが必要になる。その買収価格は、その土地の金の埋蔵量で生産できるクッキーを上回る。つまり、クッキー鉱脈と違い、金採掘のための用地買収は赤字になってしまうのだ。他の惑星から金を輸送するというのも、うまく行かない。なぜならば、ロケット輸送はそうとうに高く付く技術であり、輸送するものがクッキーだからこそ黒字になる事業なのだ。金のような重い物質を輸送しても、赤字になるだけだ。なぜならば、輸送した金から生産できるクッキーの量は、輸送費を下回るからだ。
たとえ技術的にすばらしいものであっても、商業的にもすばらしいとは限らない。その例が錬金技術だ。
この金の、ありふれた物質であるがための赤字問題に気がついた時、錬金技術の価値は一気に下がってしまった。皮肉なことに錬金技術の研究者達は、錬金技術のさらなる研究のため、貴重なクッキーを錬成して、無価値の金に変え、その金を使って錬金研究をするという、本末転倒なことまでしはじめた。
しかも、錬金クッキーというのは、あまり消費者受けもよくなかった。錬金により生産されたクッキーは、栽培クッキーとか工場生産クッキーとか宇宙クッキーと全く同じで、したがって技術的には、安全性をはじめとした懸念は一切ないのだが、やはり一般大衆というのは科学よりもイメージが先行するため、何やらよくわからない難しい技術で生産されたクッキーの売れ行きは悪かった。
クッキー財閥は、赤字を埋めるために錬金研究所を売却した。たまに、大量のクッキーから若いメスを錬成する変わり者がニュースになることを除けば、錬金技術は一時の流行で終わってしまった。
メフィストフェレス、「そこで、とうとうIUCですね?」
エゾエ、「IUC? なんだねそれは?」
メフィストフェレス、「え・・・IUCは宇宙間通信(Inter-Universe Communication)の略ですが」
エゾエ、「知らんな。宇宙間といえばポータルだが」
メフィストフェレス、「あ、それです。そうでしたそうでした、この宇宙の言葉ではポータルって言うんでしたね」
エゾエ、「そう、次に己が発明したのはポータルだ」
ポータル(Portal)
宇宙は一つではない。我々の住む宇宙の他にも、様々な宇宙がある。その中には、宇宙の物質がほとんどクッキーで構成されているような宇宙、すなわちクッキー宇宙(cookieverse)もあるだろう。
もし、時空を歪めて、我々の宇宙と、そのようなクッキー宇宙をつなぐこと、すなわちポータルを開くことができれば、他の宇宙から我々の宇宙にクッキーがなだれ込んでくるはずだ。これが、ポータルによるクッキー生産の概要である。ポータルを開くための技術については、やや煩雑なので略すが、とにかく、己のクッキー財閥は、とうとうポータルを開くことに成功したのだ。結果は画期的だった。我々は無尽蔵にも思えるほどのクッキーを得たのだ。
別宇宙へのポータルを開くのは、とてつもなく難しい技術である。クッキー財閥が今までに稼いだ全てのクッキーをつぎ込み、錬金研究所も売却し、最後にはわずかな資金を捻出するためにババアまで売り払って、社運をかけて、基礎研究を行い、建築したのだ。もしポータルが開けなかったら、あるいはポータルを開くのがあと数年でも遅れたら、己はとっくの昔にクビを吊っていただろうな。ポータルには人生を賭けるだけの価値があった。クッキーは全知的生命体の夢だからだ。後にも先にも、あれほど不安で眠れぬ夜を過ごしたことはない。
メフィストフェレス、「そうそう、そのIUC・・・ポータルです。是非詳しく。何でもいいので教えてください。はやく、はやく」
最初のポータルは、クッキー財閥を傾けるほどの投資を必要としたが、一度ポータルが開いてから、その驚異的なクッキー生産量によって、クッキー財団は一瞬にして財務状況を急峻なV字回復し、それどころか、かつてないほど増長し、二つ目、三つ目のポータルを開くのにも、そう時間がかからなかった。
また、ポータルを開いてから、我々のすばらしいクッキーの存在が別世界にも知れ渡ったのか、別次元、別宇宙の「存在」が、我々の宇宙に強引に「出現」し、我々のたった一枚のクッキーを彼らの世界の大量のクッキーと交換するようになった。
メフィストフェレス、「いえ、それは先生方で、クッキーなんかどうでもよくて・・・効率のいいIUCを・・・」
メフィストフェレス、「ああ、すみません、話の腰を折ってしまいまして。どうか、続けて、続けて」
我々が宇宙について理解していることは少ない。ぢゃによって、只何事も知らぬ振りをして聞いておきゃれ。この天地の外にはな、所謂哲学の思も及ばぬ大事があるわい。
例えば、こんな宇宙はどうだ。この宇宙に生き残っている知的生命体は、すべてが若い繁殖可能で魅力的なメスで、子孫を残し絶滅を免れるために、健康で繁殖可能なオスを必要としている。そのような宇宙へのポータルを開き、己独りが入ってポータルを閉じれば、まさに夢のような生活が待っていると言えよう。
メフィストフェレス、「そういう宇宙なら造作もありません。実際、このすばらしいIUCが如何にして構築されているのか解析するために、そういうデバッグ宇宙を作って待ってたんですがね」
メフィストフェレス、「なぜか一向にそういう宇宙には通信チャネルが開かれないで、クッキー宇宙なんかに・・・」
メフィストフェレス、「ああ、こっちの話、それよりどうか、続きを」
しかし、そんなことしていてはクッキーの生産性に響く。ポータルは安い建築ではない。大量のクッキーがかかる。それゆえ、ポータルの建築は、さらなるクッキーの生産のために行われなければならぬのだ。メスなど所詮、クッキーで頬を叩けば、喜んで土下座して足を舐めだすわい。繁殖はクッキーさえあればいつでもできる。今はクッキー生産のほうが大事だ。
エゾエ、「そこで、己はタイムマシンを発明したわけだ」
タイムマシン(Time Machine)
これまで、己はクッキーをより効率的に生産するために、クッキーを支払ってきた。考えてみれば、これはおかしい。クッキーを得るためにクッキーを失っているわけだ。もちろん、より効率的にクッキーが得られるので、黒字ではある。労働者に支払うクッキーは最小にするべきだが、投資にクッキーを費やさなければ、さらなるクッキー生産効率の向上はない。しかし、やはりおかしいものはおかしい。誰が何と言おうと、結果的にクッキーを失っているのは確かだ。
「もし」、の話だ。仮定の話だ。もし、今までに支払ったすべてのクッキーを支払うことがなかったとしたら。今までに食べたすべてのクッキーが、食べられることがなかったしたら、クッキーが一枚たりとも失われることなく、現代にまで存在していたとするならば、その量は膨大になる。ポータルよりも多くのクッキーを得られるだろう。なぜなら、ポータルは所詮、別宇宙への通路に過ぎず、時間に逆らうことができないからだ。もし、時間に逆らえたら、この一見矛盾した理論が実現できる。
そしてタイムマシンが完成した。タイムマシンの生産性は圧倒的だった。タイムマシンに比べれば、ポータルなどもはや過去の技術になってしまった。
メフィストフェレス、「しかし、一体どうやってタイムパラドックスを回避するのですか」
メフィストフェレス、「もし、過去で支払いを受けたとたんにクッキーが消えたり、食べる瞬間にクッキーが消えたりすれば、それは未来である現在に影響を及ぼすでしょう」
メフィストフェレス、「経済が回らず、餓死してしまうのではないですか?」
確かに、そのような現代に直接影響を及ぼすクッキーを横取りすれば、現代に壊滅的な悪影響が出るだろう。ただし、世の中には、なくなってもいいクッキーが存在するのだ。
例えば、歴史書には、ブラック雇用者にコキ使われた我々の祖先の雇われコックの民が職場を脱出し、約束された安息の地へと向かう旅路の途中、神は天からクッキーを降らせ、祝福されたコックらの飢渇を救った事実が書かれている。神は毎日クッキーを降らせたもうた。我々の先祖のコック達は、必要以上にクッキーを収穫することは禁じられていた。とすれば、その天から降ったクッキーで、コックに拾われなかった余りは、消失しても問題のないクッキーだという事になる。そりゃぁ、そのクッキーを食べて生き延びた虫とその子孫が死ぬかもしれん。しかし、その程度の歴史改変は些細なことで、現代の知的生命体には大きく影響しないのだ。
他の例としては、アレキサンドリアのクッキー貯蔵庫の焼亡だとか、秦の始皇帝による焚クッキー坑コックだとかがあるな。
メフィストフェレス、「それはいつ起きたのですか?」
エゾエ、「数千年は昔の出来事だ」
メフィストフェレス、「おかしくありませんか?」
メフィストフェレス、「あなたがクッキーを改良するまで、クッキーというものは、とてもマズいものだったのでしょう?」
エゾエ、「そうだ。己が小麦粉とバターという画期的なクッキーの材料を発見するまで、クッキーというのはとてもマズいものだった」
エゾエ、「いや、そもそも、クッキーは食物ではなかったといっても差し支えない。昔我々は、家などを作るのにクッキーを使っていたのだ」
メフィストフェレス、「やっぱりおかしいじゃないですか。いいですか。タイムマシンでクッキーを持ってきた過去は、そもそもクッキーが・・・」
メフィストフェレス、「・・・というわけで、我々は美少女、じゃなかった、若い魅力的なメスへのクッキーの浪費を絶対に避け、諜報機関の手下や冤罪の危険性からメスとの接触を避け、クッキーのより一層の生産性向上のために、全クッキーを惜しまずに基礎研究と生産設備に投資するべきなのです」
エゾエ、「その通りだよ。実によく分かっているな、君は。一体どこでそれほどよく経営学を学んだのかね。どうだ、うちの財閥で働いてみる気はないかね」
メフィストフェレス、「いえ、それよりも、一体あなたは、どうやってタイムマシンを発明したのですか?」
エゾエ、「己が発明したのではない。未来の己がやってきて、その原理と設計を教えてくれたのだ」
メフィストフェレス、「未来のあなたはどうやってタイムマシンを発明したのですか?」
エゾエ、「当時、未来の己から、今の自分とまったく同じようにタイムマシンの原理と設計を説明したのを聞いたと言っていた」
エゾエ、「ついこの間、己も過去に戻って、タイムマシンの原理と設計を、過去の己に伝えた時も、同じ事を聞かれたな」
メフィストフェレス、「おかしくありませんか?」
メフィストフェレス、「いいですか、未来のあなたというのは、つまり過去のあなたであり、過去のあなたというのも、つまり未来のあなたであり、あなたがあなたから聞いたというのでは、本当の・・・」
メフィストフェレス、「ナンジャラモンジャラホニャラカピー」
エゾエ、「スイスイスーダララ、ギッチョンチョンノパーイパイ」
[訳注:ここから先は、言語が変わっている。そのため読者は、翻訳は依然として日本語だが、原文では言語が変わっていることを留意されたい。]
タイムマシンを使えば、例えば過去の己に競馬年鑑を渡し、ミリオネアになって、この家をビルに建て替え、想いを寄せていた幼馴染のメスとつがいになって、慎ましくも幸せな家庭を築くこともできたわけだ。メスの魅力は年々減っていくが、貨幣に物を言わせてプラスチック手術を施せばいいわけだし。しかし、それではCpSが減る。いや、それどころではない。せっかく築き上げたクッキーのヒストリーがなかったことになってしまう。そんなヒストリー改変をすれば、もう己は己ではなくなってしまうだろう。やはり、CpSのさらなる向上を目指すべきなのだ。しかし、タイムマシンまで存在する今、一体どうやってこれ以上の劇的なCpSの向上ができるのだろうか。
反物質変換装置(Antimatter Condenser)
答えは反物質だ。今までに稼いだクッキーをすべて研究につぎ込み、ついに、クッキー財閥は反物質をクッキーに変換する装置の発明に成功したのだ。反物質変換装置があれば、未曾有のCpSが実現できる。
メフィストフェレス、「反物質なんてあるんですか?」
エゾエ、「どうやら君の宇宙では、量子力学が発達していないようだね、反物質もしらないとは。では、特別に講義してやろう」
エゾエ、「反物質は、シュレディンガー方程式を相対論に拡張したディラック方程式の解のひとつとしてその存在が予言され・・・」
メフィストフェレス、「ああ、あの幼稚な古典物理学の近似式ですね。私のとこの宇宙では、小学校で習いますよ。精度は・・・まあ最悪だけど、小学生の算数の問題には都合がいいので」
メフィストフェレス、「たかしくんは500サトシ持って0.99Cの速度で歩いて宇宙の果てのレストランに買い食いに行きました。300サトシのホカホカのガスパッチョ・スープを注文した、たかしくんの全電子の存在確率を計算しなさいってな具合に」
メフィストフェレス、「反物質が存在することぐらいわかってますよ。問題は、どうやって反物質をつくるのか、ということです」
エゾエ、「つくる? 何を言っているんだ。反物質はどこにでもあるじゃないか」
メフィストフェレス、「どこにあるんです」
エゾエ、「いまここに」
メフィストフェレス、「どこに?」
エゾエ、「ここにさ。この宇宙には、我々物質とまったく同じ量の反物質が存在するのだ」
メフィストフェレス、「その言葉が正しければ、我々は今頃消えてますね」
エゾエ、「消える? 何故?」
メフィストフェレス、「物質と反物質が衝突すると、対消滅を起こして、質量がエネルギーに変わるからでしょうが」
エゾエ、「バカなことをいうなよ。物質と反物質が干渉するわけがない。円形粒子加速器を作り出すまで、反物質の存在は証明されなかったんだぞ」
メフィストフェレス、「バカなことを言わないでください。いいですか。確かに、ビッグバン直後は、物質と反物質は同じ量存在しました。そのため、対消滅、対生成を幾度となく繰り返したわけです。ただし、物質と反物質はCP対称性が破れていて、物質のほうがわずかに反物質より多く残った。そのため、反物質は消えさっても、物質は残ったのです」
エゾエ、「君の宇宙の法則はそうなっているのかね。物騒な宇宙だな」
ビッグバン直後に物質と反物質は、釣り合いを取るため、同じ量だけ全く同じように生成された。物質と反物質は通常、お互いに干渉することはない。粒子加速器を使って強引に衝突させない限り干渉しない。我々が反物質を観測する方法は、粒子を加速して衝突させるという極めて限定された方法しかみつかっていない。したがって、我々、物質には、反物質の世界はよく分かっていない。しかし、もし初期状態で反物質が物質と同じ量、同じ状態で生成されたのだとしたら、我々物質と反物質は、全く同じように重なり合っていると推測されている。
この事実が証明されてから、クッキー財閥は今までに稼いだ全てのクッキーを、反物質の研究に投じた。そして、ついに、反物質をクッキーに変換する装置の開発に成功したのだ。反物質は、金とは違い、どこにでも存在していて、一箇所に偏在していることがない。そのため、常に同じ場所から反物質を得ることができる。反物質を、クッキーという物質に変換するとき、反物質側がどうなるのか、よく分かっていない。ある理論によると、宇宙は釣り合いを取るために、なくなった反物質の2倍の量の反物質を虚空から生成するのだという。とにかく、反物質変換装置でクッキーを生産しても、物質界に悪影響はない。
メフィストフェレス、「ア、ア、ア」
反物質変換装置を使えば、任意の物質を任意の状態で作りだせる。つまり、若い繁殖可能で魅力的で何でも言う事を聞いて歳を取らないメスを作り出すことも可能だ。しかし、クッキーはさらなるCpS向上に費やさねばならん。この反物質変換装置をもっともっと建築するのだ。ただし、これ以上のCpSの劇的な伸びは、あまり期待できそうにないが。
別宇宙の訪問販売
エゾエ、「とまあ、これが、己の半生の述懐といったところだな」
エゾエ、「まあ、最高の人生ではないとはいえ、悪くはない人生であったとも言えるな。この宇宙は己のクッキーが支配したのだから」
メフィストフェレス、「いやあ、びっくりしました。あなたのような、不満はありながらも、宇宙でやれることはやりつくした知的生命こそ、私のお客様なのです。どうです、別の宇宙に渡られてはいかが。今なら粗品もご進呈いたします」
エゾエ、「すっかり忘れていたよ。君はセールスマンだったんだね」
エゾエ、「確かに、何もかも捨てて新しくはじめるというのは面白そうなんだが、何しろ己もトシだからな」
メフィストフェレス、「若返りですか? 簡単ですよ。あなたの若い時の状態を複製して、意識コードだけ今のあなたのもので上書きすればいいんです。記憶や意識は今のあなた、肉体は若い時になれますよ」
エゾエ、「なんだと、そんなことができるのか。いやしかし、全く別の宇宙に行くというのは。意識は今のままでクッキーを焼く決意をした昔に戻れるのなら・・・」
メフィストフェレス、「できますよ。宇宙は差分管理してますんで。昔のあるリビジョンをforkして、どっか他のいらない宇宙にいれて実行すればいいだけです。ただしあなたの意識だけbackportと」
メフィストフェレス、「ただしバタフライ効果があるので、完全に同じ未来は実現できませんがね。まあ、擬似乱数のシードを別の値で初期化したとでも思えば。いかがですか」
エゾエ、「しかし、結局、知識だけでは、CpSが頭打ちになるのが少し早くなるだけだが」
メフィストフェレス、「いいでしょう。ちょっとした粗品を差し上げますよ。突貫工事でチョチョイのちょいと」
メフィストフェレス、「これまで焼いたクッキーの総数に応じて、ちょっぴりCpSにかかる独立した係数を作ってあげます。名前は、青天上のチップ(Heavenly Chip)とでもしときましょう」
エゾエ、「青天上のチップ? CpSにかかる独立した係数だと。クッキーやネコなんかとの加算ではなく?」
メフィストフェレス、「ええ、悪くないんじゃないですか? 文字通り青天井になりますよ。その・・・クッキーが」
エゾエ、「そしてその代に己の方からどうすれば好いのだ」
メフィストフェレス、「そりゃあまだ急ぐことはありません」
エゾエ、「いやいや、訪問販売は利己主義だから、人の為になることを、容易に只ではしてくれまい。条件をはっきり言って貰おう」
メフィストフェレス、「そんなら、この宇宙を好きにできる権限をいただきましょう」
エゾエ、「この宇宙なんぞは己は余り気にしない。まあ、君がこの宇宙をこなごなに砕いたところで、己はもう別の宇宙にいるのだからな」
メフィストフェレス、「ではこの書類にプリンターで印刷可能なほど単純なハンコをおねがいします。はい、結構」
しかし、何も変わらなかった。
エゾエ、「何も変わっていないぞ。ははぁ、君は山師だな。まあ、なかなか面白かったがな。その演技に免じて、多少のクッキーを恵んでやってもいいぞ」
メフィストフェレス、「何も変わっていないって。そりゃ、こっちの宇宙はそのままですからね。別にあなたを消す必要はないし」
黙示
メフィストフェレス、「やれやれ、やっとこの宇宙の権限を手に入れた。まったく、どっかからテキトーにパクってきたコードとかわけわかんないし。まあでも、こんなコード書けないからパクるしかないんだけどさ」
メフィストフェレス、「まったく、早いとこ解析しないと卒論間に合わねーよ。何が画期的な低オーバーヘッド、低レイテンシー、広バンドのIUCが生成された、だよ。単にこの宇宙の数値はすべてフローティングポイントで、増えてるのはエクスポネントだけでしたってオチだったし。そんなのわかんないなんて先生方もたいしたことねーな。いや、自分もわかんなかったんだけどさ」
エゾエ、「何を言っているんだ?」
メフィストフェレス、「あー、解析の邪魔なんで、もう喋んないでくれる。ほら、念願の若い魅力的なメスをたくさん出してやるからさ。えーと適当に検索して、あ、みつけた、これでいっか。プログラム五色の船を実行っと。種類? えーと3かな」
突然、エゾエの周りに服を身につけないババアの群れが出現した。
エゾエ、「なんだこれは! 何が起こっている! ええい、ババアだらけで気持ち悪い。いますぐ止めろ」
メフィストフェレス、「え、ババア? いやー、こんな低級コードなんて書かないし見分けつかないよ。あー、フラグの値が違った。なーるほどねー。マジックナンバー使うなってこういうことだったんだ。全裸ビットとババアビットが同時に立ってらあ」
エゾエ、「だいたい、己はもう繁殖期はとっくに過ぎているのだ。いまさら服を身につけない若い繁殖可能で魅力的なメスがいたところで、どうにもならん。だから若返りを望んだのだぞ」
メフィストフェレス、「はいはい、消しますよっと」
エゾエ、「説明しろ」
メフィストフェレスの説明によると、この宇宙と、そして無数の並行宇宙は、彼の遺伝的宇宙淘汰の論文のために作り出された、シミュレーション上のプログラム宇宙なのだという。遺伝的宇宙淘汰は、もはや小学生が夏休みの自由研究で観察日記をつける程度の幼稚な遊びなのだが、彼はネット上に転がっている無数のシミュレーションプログラムを継ぎ接ぎして、淘汰条件も適当に決めて、相当にイテレーションを重ねたらしい。ただ、そんなめちゃくちゃなものからは、やっぱりあまりおもしろいものは生成されなかった。ただし、この宇宙だけは、法則がめちゃくちゃだが、とても効率のいい宇宙間通信(Inter-Universe Communication)を実現しているとみられたため、世界中で注目されていたようだ。IUCは、エゾエの宇宙では、何か魔術的な宇宙間をつなぐポータルとして認識されていた。一時期、別次元からの「存在」が無理やりこの宇宙に出現して、クッキーを一枚だけ求めたのは、単にIUCの挙動を確かめたかったかららしい。
ただ、それは単に、この世界の実装コードにおける数値が全て浮動小数点数で、それにも関わらずビット演算をしている箇所があったため、宇宙内計測で、見かけ上パフォーマンスがよく見えただけだったという。
メフィストフェレスは、なんとか卒業するために、一時期注目を集めた、このめちゃくちゃな法則でも実行時エラーにならず動いている宇宙のソースコードを調べ、結果を数年間学習させてきたソーカルという有名なニューロンネットワークの文章生成ソフトウェアに放り込んで、まあ、なんとか体裁だけは整えた卒業論文を生成する予定だそうだ。一体、そんな卒論に何の意味があるのか、エゾエには理解できなかったが、現実世界では、卒論は一定の文章量さえあればよく、実際には誰も読まないので、問題はないという。早く終わらせて就活(おそらく、彼の世界における求活であって、つまりメスへの求愛活動の一種であると思われる)に入りたいとぼやいていた。
また、このシミュレーションソフトウェアにおける宇宙の法則はほとんどがランダム生成と遺伝によるものだが、ハードコードされている根本的法則の一つとして、それぞれの宇宙は、一個の知的存在を所有者と設定し、宇宙の法則を所有者を満足させる方向へわずかに変更する機能を備えているらしい。このどこかからパクってきたシミュレーションプログラムはよく分からず、宇宙に干渉する権限を上書きする方法が分からなかったため、しかたなく権限取得にこういう形をとったのだとか。
エゾエ、「この宇宙が己を満足させるよう変わっていくとしたならば、なぜ、己は若いメスに見向きもされなかったのだ。なぜクッキーの生産だったのだ」
メフィストフェレス、「あなたの潜在意識がそう望んだのでは?」
エゾエ、「まあ、少なくとも、別宇宙にコピーされた己は、真実を知ったわけだ」
メフィストフェレス、「いや、あなたのコピーはこれを知る前の意識です。この会話を知ることはありませんよ。遺伝淘汰される宇宙に外の存在を教えると結果が認められなくなるので。そこだけは最低限守らないと。この宇宙は切り離したので、もう教えてもいいのです」
エゾエは失意に沈んだ。己の一生は何だったのだ。どっかのアホ学生のくだらない卒論のために作られたシミュレーション上の存在なのか。
メフィストフェレス、「まあまあ、そうしょげないでくださいよ。私だって、どっかの誰かのシミュレーションかもしれないんですから」
メフィストフェレス、「いえね、まだはっきりとわからないんですがね。最近の研究によると、私の宇宙、つまりこのシミュレーションを実行している外の世界ですが、これもシミュレーション上の産物ではないかという事を示す観測的証拠が見つかったっていうんです。すると、この宇宙はシミュレーションされた宇宙上でシミュレーションされた宇宙ってことになりますね。ややこしい」
エゾエ、「己はどうなるんだ。このまま消えるのか?」
メフィストフェレス、「まあ、好きにしてください。もうあなたの所有権は消えているので。何なら、この世界でも若返らせて、メスをあてがってもいいですよ。解析の邪魔をしなければ」
エゾエ、「この宇宙はどうなるんだ?」
メフィストフェレス、「まあ、しばらくは、このめちゃくちゃな宇宙の生成ソースコードを調べて、そのあとは、まあ、そうですね、いずれ消します。まあでも、この宇宙の時間でいえば数億年は先ですから、心配はいりません。ん、まてよ、この宇宙も相対性を実装してたよな。どの地点での数億年になるのかな。ここじゃないしなぁ。まあ、とにかく数億年です」
エゾエはしばらく呆然としたまま、唐突に告げられた宇宙の真実について思いを巡らせていた。急に、メフィストフェレスが叫んだ。
「ああ、こりゃひどい。これだから名前空間がなく、プロトタイプベースのクラスを悪用している言語は・・・」
「あのですね。私がちょうど見つけてパクってきた良さげなデバッグ用ライブラリが、あなたの識別子と衝突してるんですね。」
「面倒なので、あなた、消えていただけます? あ、もちろん差分管理されてますし、tarballも残してますんで、いつでもrevertできますよ。たぶんしないだろけど、じゃ、そういうことで」
続き: 本の虫: クッキー・クリッカー:リセットのループ