2009-09-30

岸部露伴の筆記具に関する考察

岸部露伴は、マンガ、ジョジョの奇妙な冒険の、第34巻から登場する、架空のキャラクターである。

彼の性格や語録については、すでに腐るほどまとめサイトがあるので、そちらを参照してもらうとして、ここでは、筆記具について取り上げる。

岸部露伴の使っているインク

第34巻の128ページに、インク壷がおいてある。「RILOT」というラベルが貼ってある。PILOTのもじりだろうか。PILOT | インキ製図用30mlは、有名なインクで、よく使われている。私も持っているが、瓶の形が、非常によく似ている。

同巻の181ページに、またインク壷がでてきているが、今度はラベルが違うし、瓶の形も違う。何というインクなのかは、分からない。

岸部露伴の使っている鉛筆

同巻、158ページ。普通の鉛筆だが、どうもナイフで削っているような描き方だ。

もっと話を広げようと思ったが、マンガ関係の文房具に関しては、知識がないので、ここまでしか書けない。

こういう文章を、私は書きたい

質の高いTwitterのアカウントを増やす方法 - ぼくはまちちゃん!(Hatena)

こういう文章を、私は書きたい。

ついったーやってる人なら誰だって自演用の副アカ増やしたいですよね…!
もちろん、ぼくもそうなんです!!

でもね、単純に副アカ増やすだけなら誰だってできますよ!

という書き出しで始まり、現行のTwitterの、ID変更に関する仕様を解説して、既存のインデックスされているTwitterアカウントが、SEO的にオイシイ事を論じ、然る後に、使われなくなった既存のTwitter IDの探し方を紹介している。

そして最後に、

現時点で上に書いた「IDを変更したひと」の探し方ででてくるアカウントの旧アカウントは、
あらかたぼくがすでに抑えてます!
すいませんあしからず!!

と〆る。

単に文体模写したいというわけではない。このような面白い文章を書きたいのだ。

documentに対するloadイベント

昨日、DOM要素が全部構築され終わった後に、Javascriptのコードを実行させたくて、window.addEventListener("load", ...)、と書こうとしたのだが、誤って、document.addEventListener("load", ...)、と書いてしまった。Chrome, Safari, Firefoxでは、動かなかった。

ところが、Operaでは動いた。

どちらの挙動が正しいのか、よく分からない。

DOM level 3 Eventでは、documentに対して使えるように読めるが、「リソースを読み込んだ場合」とだけあり、よくわからない。windowに関しては、当然ながら、規定されていない。

HTML5では、documentに対しても、windowに対しても、使えるように読める。ただし、いつ発動するのかという規定がない。なぜ、HTML5は、このような重要だが地味な各イベントがいつ発動するのかということを規定していないのだろうか。こういう地道な所こそ、真先に埋めておくべきだと思うのだが。

Steve Ballmer barked that Chrome and Safari are Rounding Errors

Microsoft CEO Steve Ballmer: Chrome And Safari Are Rounding Errors

the Microsoft CEO, Steve Ballmer barked that Chrome and Safari's market shares are rounding errors. Somebody need to shut his face.

Dear Microsoft IE team. Please implement the damn DOM level 2 and XHTML.

二等陸海空士の試験の要領が悪すぎる。

試験に10時間以上かかった。しかも、そのうちの半分ぐらいは、何もする必要が無くぼーっと待っているだけの死に時間だった。すると本来、五時間ぐらいで終わらせられるはずの試験なのだ。試験の要領が悪すぎる。なぜ筆記試験を一番最後にするのだ。筆記試験をするだけの時間は、十分あっただろうに、なぜに午後四時半から始まるのだ。午後は問診の数十分を除き、常に暇をもてあましていたのだ。つまり、四時間浪費していたわけである。その間に筆記試験ぐらいできたはずだ。

I wonder what they are smoking. I bet it's a really nice one. Too nice to remember that they are wasting our times.

ところで、どうやら眼鏡が合わなくなってきているようだ。たしかに、最近、眼鏡をかけていても、以前ほどハッキリ見えなくなった気がしていた。三年も使っていると、視力が変化してしまうものらしい。仕方がないので、帰りに眼鏡屋によって相談した。今使っている眼鏡のフレームは、結構良い物なので、レンズだけ取り替えようと思っていた。必要なのは、片目で1.0を出せる眼鏡である。ところが、そんな強力な眼鏡は、とても疲れるので、普段使うには不向きのようだ。考えたあげく、今のフレームには、新たに調整し直した、軽めのレンズを使い、安いフレームと安いレンズで、試験用の眼鏡を作ることを考えた。

実は、私は日常生活では、ほとんど眼鏡をかけない。たまに、常に眼鏡をかけていないと何も見えないという人がいるが、私には理解できない。そのくせ、視力検査では、裸眼視力は私と同じぐらいなのだ。私は、遠くにある黒板の字を読むだとか、ディスプレイの字を読む以外では、眼鏡の必要性を感じない。私はどうも、乱視気味らしく、そのせいで、細かい部分がぼやけるらしい。乱視の度合いなどで、検査の上では同じ視力でも、見え方はかなり異なっているのだろうか。他人の目で、世界がどのように見えているか分からないので、確かめようがないのだが。

2009-09-29

日記

早朝から四日ぶりにジョギング。やはりまだ、左脚に他章の傷みが残っている。しかし、だいぶマシになった。

雑草の生い茂る上で筋トレをしていたら、鳩の羽が落ちていることに気がついた。最近、つけペンにハマッている身としては、一度羽ペンを使ってみたい。羽ペンは、鳩の羽からでも作れるのであろうか。とりあえず、羽を集めて持って帰ることにした。

とりあえず持って帰った羽は、殺菌性能を謳ったハンドソープで洗浄することにした。道ばたに落ちている羽をそのまま使うのは、衛生上の懸念がある。

さて、あいにくの曇り空だが、窓際で乾かした。それにしても、羽は小さく細い。最大の物で、10cmをこえるかどうかの長さだし、太さもせいぜい1,2mmといった所だ。羽ペン製作の参考になりそうな物のWebサイトでは、

I usually go for almost a foot long feathers and the tube is usually 3/16 to a 1/4 inch thick.

How to Cut Quill Pens from Feathers

と書いてある。すると、長さは約30cm、軸の太さは4,5mmといった所だろう。とてもじゃないが、拾ってきた鳩の羽の比ではない。それに、軸を丈夫にするために、加熱とかいったことが書かれている。そもそも考えてみれば、私はナイフを持っていない。すると、まずナイフを買ってこなければならない。しかし、ナイフだけ買うのは好事家のすることである。真当に使うとするならば、当然、研ぎ石とか油とかも合わせて買いそろえなければならない。また、抜き身のまま置いておくわけにも行かないので、箱か何かも必要だろう。やれやれ、前途多難だ。

とはいえ、これはこだわりすぎであって、手軽に行くならば、加熱は別にしなくてもよいし、ナイフに関しては、100円ショップで売っているような、ハサミとカッターがあれば事足りるだろう。

とはいえ、材料の羽は問題である。どこかに羽は売っていないものだろうか。

と、色々と妄想を膨らませてみたのだが、普通に考えれば、耐久性では、ひとつ100円以下で売っている、金属製のペン先にかなうハズがない。つけペンとしての、金属製のニブ(ペン先のこと)は安い。というより、高級な物が売っていない。基本的にこれは消耗品なので、極端に高いものが売れないのだ。

2009-09-28

matchesSelectorについて

Selectors API Level 2

昨日公開されたばかりの最新のドラフト、Selectors API Level 2に、matchesSelectorというものが入っている。規格を読んだ限りでは、以下のように使うはずだ。

以下のようなドキュメントがあったとして、

<?xml version="1.0" encoding="UTF-8" ?>
<!DOCTYPE html >
<html xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml" >

<head></head>

<body>

        <p id="hoge">
本日現地時間午後11時、日本の傑作劇画ヒーロー、ケンシロウが、ラオウと呼ばれる悪役ヒーローを、東京西新宿で倒しました。西新宿に突然出現したラオウは、これまた現れた他のキャラクターを数十人殺傷したあと、ケンシロウによって倒されました。これは原作ストーリー通りの出来事であると、目撃者は証言しております。
        </p>

</body>
</html>

以下のコードの様に使える。

var hoge = document.getElementById("hoge") ;
    
hoge.matchesSelector("#hoge") ; // true
hoge.matchesSelector("body p") ; // true

hoge.matchesSelector("#hage") ; // false
hoge.matchesSelector("div p") ; // false

ようするに、ある要素が、指定されたセレクターの条件を満たすのかどうかを判定してくれる。どうもいまいち、使い所が分からない。具体的に何の役に立つのだろう。

いちおう、早くもwebkitでサポートされる見込みらしい。

Changeset 48723 – WebKit

2009-09-27

顔料インク

万年筆のインクには、水性染料インクと、水性顔料インクがある。およそ萬年筆用として売っているインクのほとんどは、染料インクである。染料インクは、扱いが比較的楽である。数ヶ月に一度ぐらい洗浄するだけでよいし、もしペンの中で固まってしまったとしても、数日水につけておけば、大抵は、問題なく書けるようになる。

ところで、コアな万年筆オタクの中には、顔料インクを好む人種がいる。万年筆用の顔料インクが売っていない時代から、普通の顔料インクを使っていたらしい。

ところで最近(四、五年前からだと思うのだが)、セーラーから極黒というカーボンの顔料インクが発売された。これは、「超微粒子顔料インク(ナノインク)採用」という謳い文句であり、万年筆用の顔料インクということらしい。2chには、万年筆のインクスレなどというニッチなスレがあるが、この極黒は、かなり人気だ。

なぜ、顔料インクがあそこまでもてはやされるのか理由が分からなかったが、つけペンを使ってみて、その理由が分かった。単純に色が濃い。染料インクというのはかなり水っぽく、万年筆で書くと、結構、線に濃淡がでる。ところが、顔料インクには、それがない。ハッキリと濃く黒い線が書ける。人気の理由は、ここだろう。

とはいえ、やはり扱いが難しい。染料インクと顔料インクの扱いの難しさの違いは、つけペンを洗う時に分かる。染料インクなら、コップの水にペン先をつけて揺するだけで、インクはあらかた落ちる。しかし、顔料インクでは、ペン先は黒いままである。タオルやティッシュなどで拭き取らなければならない。

まあ、今使っているのは、あくまでつけペンの為の、パイロットの製図用インクなので、極黒はもう少し扱いやすいのかも知れないが。

oldnewthing:セキュリティホールを機能として欲しがる人々

The Old New Thing : When people ask for security holes as features: Privileged execution

セキュリティホールを機能として欲しがる人々:特権実行

ある顧客が、ドライバを書かずに、特権命令を実行する方法があるかどうかを、訊ねてきた。

「命令をいくつか実行するだけなんだよ。いちいちドライバなんて書くのは面倒でしょ。だって、たったの三つの命令なんだもん。ドライバなしで特権命令を実行する方法ない?」

ドライバというモジュールのクラスがある、そもそもの目的は、そういったことを防ぐためにある。ドライバだけが、特権命令を実行できる。だからこそ、特権命令なのだ。

「だよねぇ。でもたったの三つだけなんだよ。わざわざドライバ書かないといけないのかな?」

たったひとつの命令ですらシステムをブッ壊せる。そういう強力なことをするには、ドライバからでなければ、ならない。

「ひょっとしたらさ、ぼくの実行したい命令を与えると、代わりに実行してくれるドライバを、誰かが書いてるかも知れないよね。そういうの使えば、実行できるかな?」

もし、誰かが、ユーザーモードから渡される任意の命令を実行するドライバを書いているとすれば、そいつはオモテに引きずり出してフクロにする必要がある。任意のコードを実行させるのですらバグなのに、ドライバ自ら、わざとやるというのか?

ドライバを書くということを、原子力発電所の重要な場所に入ると考えて見給え。コントロールルームに入る前に、セキュリティチェックを通過して、許可をもらわなければならない。君が原子力発電所のコントロールルームに入るのにだって、セキュリティチェックが必要だ。

「でもさ、それって面倒なんだよね。ぼくはただ、制御装置の設定をいくつか変えたいだけなんだ」

キミィ、だからこそ許可が下りず、設定も変えられないというわけだ。

君がすべきことは、自分でセキュリティを通過するか、セキュリティを通過できるものに頼むしかないんだよ。

「じゃあさ、セキュリティを通過できて、ぼくの頼んだ変更を何でも引き受けてくれる人知ってる?」

やれやれ、彼がまともな良識を持っていることを願う

最後のリンク先は、ホーマー・シンプソン。夫にして、父親にして、スプリングフィールド原子力発電所の安全監査員にして、ボーリング選手にして、ビール飲酒者にして、宇宙飛行士にして、中小企業の社長にして、夢見人にして、これらすべてを、いとも簡単そうにこなす者。

ブログを書くことが就職活動? またまたご冗談を

転職活動をする暇があったらブログを書け - @IT自分戦略研究所

就職活動する必要のない人間なら、何とでも言えるというお話。

今、吾人、ブログを書いているとせよ。自分のプログラミングの勉強の課程を書いているとせよ。Hello worldを究め、FizzBuzz問題をこなし、あたかも暗闇を手探りで進むが如く、未だその業稚拙なれど、自己の技術力向上に邁進しているとせよ。ブログの閲覧数は、一日に数十、数百を超えざりき。そこに届く一通のメール、あるいはコメント。

曰く、「突然のメール、これ甚だ禮を失すると雖も、貴君に伝えたき事有之候。今、子のブログをつぶさに読むに、その志高尚にして、不退転の決意明らかなり。以て我が社に於て働くに足れり。願わくは子、一度弊社に出向き、話をもし、事後の計らいをもせられんことを。」

などと送られてきたとして、たれか能く信ぜんや。これよくあるSPAM、あるいは詐欺の一種であると看過して、てんとして省みぬであろう。

あるいは、その書きたるブログの内容、高遠高尚にして、プロセッサの設計やアセンブリ言語の事は云ふに及ばず、組み込みから大規模なスーパーコンピューター、手堅い言語から、流行の最先端を行く言語まで、幅広く論じ、吾人の読者、日に数万を下らざるとせよ。また一通のメールあるいはコメント、

曰く、「夫、つらつらおもんみるに、バベッジ階差機関を考案し、アラン・チューリング計算機を数学的に定義し、ジョンフォンノイマン現在のコンピューターの基本を考え、ホッパー女史COBOLを考案せしより、歳月僅かに五十余年を経ぬ。コンピューターの発達速やかにして、今日の情報化社会に至りき。然る間、子のブログ、古今東西の情勢を漏らさず、難解不審の技術な論じ、解脱得脱、大悟を得たるの聞こえあり。愚社今、かくかくしかじかの難儀にあひて、子の助けを乞わんと云々」

これも、SPAMか詐欺であると見なされる事必定なり。要するに、素人であろうと玄人であろうと、急に勧誘のメールが来れば、SPAMと見なすに決まっている。それを分からずに勧誘メールを送ってくる、まともなところがあるのだろうか。

ところで、私の所にも、そんな勧誘メールが、一回だけ来た。ブログを読んだので我が社で働かないかとの文面であった。日本人にあてているのにも関わらず、何故か英語であり、その会社名でググると、インドの怪しげなソフトウェア会社がひっかかる。日本に支社はない。しかし、これは公に公開しているメールアドレスではない。一体どうやってメールをしてきたのだと思ったら、どうやら、Orkutのコメント経由で送ってきたようだ。なるほど、これならメールアドレスは公開していなくても、そのアカウントであるGMailに届くというわけだ。そういえば、そんなものを、Googleのサービスだからと、昔気まぐれに設定した気がする。即座にOrkutのアカウントを消した。

向上心のある素人だろうと、実力のある玄人だろうと、ブログを書くことが就職活動になるわけがない。就職活動をする必要のない人が何を言ったって、説得力に欠ける。そんなうまい話が向こうから転がり込んでくるわけがないのである。

嗚呼、何か面白い仕事ないかなぁ。

2009-09-26

つけペンと矢立。

つけペンを使うのが楽しくなってきた。細い字から太い字まで、自在に書くことが出来る。万年筆では、こうはいかない。確かに、ある程度太くすることはできるが、そもそも万年筆では筆圧が必要ないので、ペン先が傷む以前に、わざわざ筆圧を強くしようとは思わない。つけペンは面白い。

ただし、つけペンは携帯性に難がある。ペンの他に、インク壺を持っていかなければならない。それに、立ったままメモ帳に書き殴るということは、なかなか難しい。できなくもないが、ボールペンという文明の利器がある以上、無駄な過労と言わざるを得ない。

そもそも、我が国の筆記具の歴史を省みるに、明治以前までは、みな筆を使っていた。鉛筆や西洋のペンは、もちろんそれ以前に入ってきていたのだが、本格的に使われるようになったのは、明治以降である。

筆を携帯するための道具として、矢立というものがある。これは、みな言葉だけは知っていても、実際に、どういうものかは知らないと思う。怪しげな古道具屋を回れば、実物を見ることができる。以前買おうかとも思ったが、無意味に高いのでやめた。

矢立というのは、キセルやパイプのような形をしている。筒の部分に、筆が収まっており、膨らんだ部分が、ちょうつがいのフタで開くようになっており、そこに墨が入れてある。使う際には、水をいれて墨を溶かして書く。この水を入れる道具というのが別にあるのだが、これもまた面白い。大抵は金属で作ってあるのだが、かなり手の込んだ造形がしてある。美術品としての価値もあるのだ。

とはいえ、矢立と水差しは金属製で、かなり重い。あまり持ち歩きたいとは思わない。

修学旅行

先ほど、塩小路通りを歩いていたら、修学旅行生に道を聞かれた。何でも、三十三間堂に行きたいらしい。ちょうど私もその方向へ行くので、引き連れていくことにした。

思うに、この修学旅行生は、まだ比較的、恵まれている部類に属する。というのも、最近の修学旅行生は、あらかじめ手配された観光タクシーに乗って各所を回っているのが多い。それに比べて、この修学旅行生は、自分の足で自由に歩けるのだ。幸運だと言えるだろう。

無論、私は観光タクシーの運転手の能力が劣っていると言っているのではない。観光タクシーを使えば、安全安心な観光ができるだろう。うっかり道を間違えることもないし、時間が足りなくて、行きたい所に行けなくなったなどということもなくなるだろう。しかし、そんな平凡な観光は、果たして楽しいのだろうか。

ただし、聞く所によると、このあと清水寺に向かうらしい。というのも、学校側の指定で、必ず回らなければならない場所がいくつかあるという。清水寺がそこなのだとか。やれやれ、不幸なことだ。清水寺なんかに行かなければならないとは。

清水寺は、少し前、清閑寺をみにいく帰りに、そばを通った、はずだった。しかし、何故か外国語しか聞こえてこないのだ。はて、私は異国に来てしまったのだろうか。いや、日本に地続きの国はないし、ましてや京都市内に国境があるとは、聞いたことがない。すると、当然ここは京都で、清閑寺から帰る道だから、清水寺であるはずだ。第一、そこに音羽の滝があるではないか。清水寺に違いない。しかし、依然として聞こえてくるのは、日本語ではない。

思うに、観光地化してしまうと、ろくな事がない。清閑寺は、誰もいないので、実に平和だった。しかし、何故、清水寺があんなに人出があるのに、清閑寺は無人なのか。あの小督ゆかりの場所なのに、なぜ人が来ないのだろう。

日本字ペンとインクについて

日本字ペンを使ってみたが、Gペンより硬い感じがする。ただし、Gペンで日本語を書くと、少し力を入れただけで、意図しないのにやたらと太い線になってしまうことがあるが、日本字ペンでは、それがない。ただし、Gペンより高い筆圧を要求する。

しばらく使っていると、極端に高い筆圧でなくても書けるようになった。

つけペンもつけペンで、悪くない。

ところで、私は今まで、水性染料インクと水性顔料インクが、具体的にどう違うのか、知らなかった。万年筆には、大抵染料インクを使う。セーラーの極黒など、萬年筆用の顔料インクもあるにはあるが、やはり主流なのは、染料インクである。ところが、2chのスレを眺めてみたところ、極黒の人気が極めて高い。顔料インクはそれほど違うのだろうか。

せっかくつけペンを使い始めたのだから、インクを比較してみることにした。つけペンは水で洗って拭けば、簡単にインクが落ちるので、インクを頻繁に交換するのも、煩わしくない。染料インクには、パイロットの萬年筆用のインクを使い、顔料インクには、パイロットの製図用インクを使った。

まずインクの濃さだが、これはなるほど、顔料インクは濃い。パイロットの万年筆のインクがかなり薄く感じる。例しに、プラチナの染料インクも試してみたが、こちらの方は、パイロットの染料インクより濃く感じた。

顔料インクは書き味がよいとも言われている。つけペンで試してみると、顔料インクの方が、強い筆圧が必要だった。とすると、所謂、インクフローが渋い、というやつだろうか。太字の万年筆を使うなら、インク自体は渋い方が良いのかも知れない。あまりに極太の万年筆はもっていないので、よく分からないのだが。

Google Chrome Frameをめぐるアホらしい論争

MS曰く、「IE8ではセキュリティが非常に向上した。そんな中へ、Google Chrome Frameをインストールして、全く別のブラウザを混在させるのは、リスクだ」

それをゆうたら、おたくんとこのSilverLightとかをインストールするのもリスクやないか。さっさとあんなもんの開発やめたらどうや。

だいたいやな。Google Chrome Frameちゅーアホなもんを開発してるっちゅーのもやな。最新のIE8ですら、他の主要なブラウザがサポートしてはる最新規格を、全然実装でけてへんからやないか。そやろ。IE8だけやで、あんなにひどいんは。そんなこというとる暇があったら、さっさとまともにXTHMLとかDOM level 2(それもいまだにLevel 2すらでけてへんねやで、3やないで)とか実装せいゆーんや。

2009-09-25

ようやくauがRFC違反を是正したようだ

au by KDDIがメールアドレスの設定仕様を再変更。2006年の改悪前に戻しましたの巻

遅きに失するの感があるが、ようやく是正したようだ。私の妹も、@の直前にピリオドのあるメールアドレスを使っているから、人ごとではないのだ。まったくもってけしからん。

メールアドレスに、連続したピリオド、@直前のピリオドの使用はできない。

免許更新と紙芝居

今日は朝早くから、車の免許の更新に、長岡京へ出かけた。京都在住の人はご存じだろうが、京都府の自動車免許の更新には、わざわざ長岡京まで行かなければならないのだ。不便極まりない。

早朝の京都駅では、紙芝居の実演が行われていた。無視して電車に乗り、長岡京へ向かった。

長岡京は、何にもない所である。本当に何にもない所である。長岡京駅で降りて、バスで免許試験場に向かうのだが、これがまたひどい。駅から試験場までバスで行くと、30分ぐらいかかるのだ。しかし、試験場から駅までバスで行くと、すぐに着く。これは一体どうなっているのか、いまだに解せない。どう考えても、駅から試験場へのバスのルートが、甚だしく遠回りであるとしか考えられない。ためしに、Google Mapで距離を測ってみると、なんとたったの2.8kmであった。しかも、道は単純である。これぐらいなら、歩いて行くというのもありかもしれない。今度からはそうしてみよう。

さて、京都駅に帰ると、朝の紙芝居は、まだやっていた。黄金バットを熱演している。

紙芝居ほど理解できない娯楽もないものだ。何処の馬の骨ともしれぬオッサンの、ダミ声しぼりいだして紙芝居を演ずる。その間に、今日び、100円ショップでも、も少しマシな菓子が売っているであろうと思われる程の、まずい駄菓子を買って食べる。さっぱり理解できない。今日び、いかなる婦女童幼であろうとも見向きもしないであろうと思われる娯楽である。

しかし思うのは、当時紙芝居で飯を食っていた人が、少なからず居たらしいという話である。本当に食べて行けたのだろうか。不思議だ。

2009-09-24

余とGペン

此頃、余は常に萬年筆を使つて字を書いてゐる。咲ふ可し、まづい字しか書けぬ余の、にはかに筆道楽に走るを。

さて、世間の嘲笑には耐ふべけれども、まづい字しか書けぬというは、余とてもゆるかせにできぬ。そこで最近は、独学で字の稽古を致しておる次第である。

時に初秋、暑さもやうやうやみ、読書芸術に身を打ち込み易いこの時節、余は金之助君の「余と萬年筆」を読むによつて、萬年筆以前のペンに対する興味が沸いた。そもそも、萬年筆とは、ペン軸の部分に、印気の容器を取り付けることによつて、可なり長い間、印気切れを気にかけることなく字を書ける、舶来のペンである。それ以前のペンはどうであつたかと云ふと、ペン先の中央には、印気をとどめておくための切欠きがあり、ペンの中央からペンポイントに向けて、切欠きから印気を誘導するための、極めて細い切れ目がある。ペン先は非常に薄く、また切欠きや切れ目も非常に狭いため、僅かな印気を留めておくことができるのだ。勿論、この構造では、印気を大量に留めて置くことは出來ない。それ故、頻繁に印気壺の中に、ペン先を浸す必要があつた。

ペン先の素材も、金属、骨、鳥の羽等の、様々のものがあつた。我が朝では、古来より筆なるものがある。西洋人は、ブラシと呼んでいる。

さて、話を現代に戻そう。現代では、いちいちペン先を印気に浸す必要のあるペンを、総じて、「つけペン」と呼んでいる。ペン先は一般的に、金属で作られている。余はこのつけペンを詳しく調べようとしたのだが、如何せんインターネツト上には、大して役に立つ情報がないのである。余は人に講釋を垂れるほどの知識もないのだが、この情報不足の自体を憂慮して、蛮勇を振るつて、ここに講釋まがいのものを書いておく次第である。

現代のつけペンは、ペン先とペン軸に別れている。ペン先、すなわちニブの部分であるが、これは消耗品である。日本で最も有名なつけペンは、Gペンと呼ばれるものだが、聞説、漫画家諸氏はこのGペンを、原稿数枚でつぶしてしまうという。思うに、これは太い線を描くために、強い筆圧をかけねばならぬという、漫画の特性上のことであろう。字を書くだけなら、も少し長く持つ。

そもそも何故、Gペンと呼ぶのか。これには諸説有る。ニブの側面の切り込みが、Gの形をしているからであるとか、昔者はAペンからZペンまであり、最も使いやすかつたGペンのみが残つたなど。余はいずれの説をも是としがたい。側面の切り込みは、特にGとは思はれない。AペンからZペンまであつたのであれば、当時の広告やペンが残つているはずである。

ペン先はGペンの他にもたくさんあるが、それはまた、後の機会に解説する。

さて、Gペンを使うには、まずGペンを手に入れる必要がある。どこに売つているかというと、文房具屋、画材屋、デパートの文房具売り場、また、聞説、アニメイトでも売つているという。ニブの値段は、ひとつがせいぜい百円ぐらい。グロス単位で買えば、ひとつ数十円程度と、だいぶ安くなる。グロス、すなわち百四十四という単位が使われている所からみても、いかにも西洋人の手によるペンという氣がする。ペン軸は、一本数百円から売つている。

さて、ペンの他にも、印気が必要である。これは、特に何でも良い。というのも、つけペンは非常に単純な構造をしており、またペン先は消耗品で安価であることより、特別な印気を使ふ必要はないのである。水性染料印気、水性顔料印気、油性印気、はては墨まで、何でも使える。ただし、パイロツトの製図用印気が、よく用ひられているらしい。余もそれを購入した。これは水性顔料印気である。萬年筆に使うことは出來ない。参つたことに、萬年筆用の印気壺と、この製図用印気壺は、まったく同じ形である。ラベルに、実に分かりにくい薄い字で、製図用と書いてあるだけの違いである。パイロツトの印気を使う人は、気をつけてもらいたい。萬年筆用の顔料印気は、セーラーやプラチナから、特別なものがでているので、それを使うべきである。それでもなお、事故が多いと聞く。

さて、実際に書ひてみる。まず、ニブをペン軸に差し込み、印気壺の中に浸す。余の驚いたことは、印気は意外と長く持つということである。少なくとも、数センテンスぐらいでは、印気が切れることはない。あんがい、つけペンも使いやすいものである。ただし、忘れた頃にインクがなくなるので、気をつけないと、文章の途中でインクをつけねばならず、思考の中断される恐れがある。勧進の書き味だが、だいぶカリカリとした印象を受ける。薄い金属のペン先で、その特性上、インクもそれほど大量に流れないので、仕方がないと言えば仕方がないのだが。Gペンを使つた後に、試みに万年筆で書いてみると、そのヌラヌラとしたすばらしい書き味に驚いた。やはり、所詮はつけペンか。

先にも述べた如く、ペン先には、Gペンの他に、色々な種類が存在する。それらについては、またの機会に感想を書くことにする。

運動再開

予備自補の訓練で酷く体を痛めてしまい。この二週間というもの、全く運動ができなかった。肘が曲がらず、肩が上がらず、脚は痛む。人間の体というのは不思議なもので、運動をしないと、あれほどあった食事量が急激に落ち込み、今では、三食をまともに食べることすらできないほどの小食になってしまった。

昨日、ジョギングを再開した。どうも、まだ多少の痛みが残っているようだ。無理はできない。

2009-09-23

あの茨城県民のVIPPERはマーケティングの才能があると思う

これまでの経緯

  1. GoogleがMITに出した、「この暗号が解ければ、Googleに入社できるかもよ」という広告が、未だに解かれていないと話題になる。
  2. ひとりのVIPPER(茨城県)が、暗号を解いたと主張する。
  3. VIPPER歓喜
  4. 正しい解読法が判明する
  5. 天才茨城県民は釣りでした。
  6. VIPPER大恥←今ココ

一連の過去ログを眺めていたが、あの茨城県民は、一流の釣り師だと思う。技術はともかく、多少のマーケティング能力はあるのではないだろうか。

まず、おもむろに解けたと書き込み。次に、国際電話の識別番号は米国でいいのかと書き込み。

そのあと、よくわからない専門用語で解き方をほのめかす。

さらに、「Googleなんぞ興味ないので研究を続ける日々です。」などと、さらりと流す。

まあ、本当に解けていて、なおかつGoogleに興味がなくて、さらにVIPPERなら、まっさきに電話番号を晒すはずである。たとえ暗号が、そう簡単に解読できないほど難しいものだとしても、解読したのなら、解読した結果を晒せるはずである。そういう怪しい部分があるのに、見事に大漁のVIPPERを釣り上げたのは、なかなかの腕前と言わざるを得ない。

マーケティング能力に長けている人の例。Joel Bauer

賤しげなるもの、余と万年筆

先日、良い紙を使ったノートが欲しくなり、ツバメノートを買ってみた。紙の質は、確かによかった。安心して字の練習に打ち込んでいるものの、別の部分での不満というのが出てきている。それは、他ならぬ万年筆自身だ。

私はプラチナ万年筆の#3776の細軟を使っている。私は、今の万年筆を買うにあたって、少々迷った。万年筆は安くないので、気軽に何本も買うというわけにはいかない。それに、万年筆を買うからには、使わなければ意味がない。飾っておくだけなら、壺や掛け軸の類だっていいわけだ。太いペン先だと、ヌラヌラとした、いかにも万年筆らしい書き味がでるのだが、使う場所が限られる。さて、線の太さをどうするべきか。

色々試し書きをしたあげく、書き味よりも、線の細さを優先した。結果が、細軟だったのだ。思うに、これは正解だったと思う。メモ帳にも使えるので、今の私はどこに行くにも、メモ帳と万年筆を持ち歩いている。確かに、気軽に持ち歩いていては、壊す恐れもある。しかし、使わずに飾っておくのでは、せっかくの万年筆の甲斐がない。

ただし、外出中にメモ帳に書き殴るなら、細い線の方がいいが、字の練習に使うには、少々太い線の方がいい。幸い、親父が唯一持っている古い万年筆がある。今はまったく使っていないので、借りてきた。パイロットのCUSTOM 74で、字の太さはMである。だいぶ古いものだが、今でも問題なく書ける。万年筆の耐用年数の長さは驚くほどである。なるほど、確かにこれぐらいの太さだと、いかにも万年筆らしい書き味である。

追記:親父に確認を取った所、なんと23年前のものであるらしい。

しかし、私としてはやはり、プラチナ万年筆の方がいい。とはいえ、実際に問題なく書ける、太めの線の万年筆があるのに、わざわざ新しい万年筆を買うべきか。賤しくはないだろうか。そんなに字もうまくないのに、万年筆を何本も持っていても仕方がないのではないか。万年筆はいつでも買える。今は一文字でも多く、字を書く練習をした方が良いのではないか。

卜部兼好著 徒然草 第七十二段

賤しげなるもの。居たるあたりに調度の多き、硯に筆の多き、持仏堂に仏の多き、前栽に石、草木の多き、家の内に子孫の多き、人にあひて詞の多き、願文に作善多く書きのせたる。
多くて見ぐるしからぬは、文車の文、塵塚のちり。

ところで、万年筆に関する、夏目漱石の文章があったということを知った。題は、「余と万年筆」である。短い物なので引用する。

夏目漱石著 余と万年筆

 此間魯庵ろあん君に会った時、丸善の店で一日に万年筆が何本位売れるだろうと尋ねたら、魯庵君は多い時は百本位出るそうだと答えた。それでは一本の万年筆がどの位長く使えるだろうと聞いたら、此間横浜のもので、ペンはまだ可なりだが、じくが減ったから軸だけえてれと云って持って来たのがあるが、此人は十三年前に一本買ったぎりで、其一本を今日まで絶えず使用していたのだというから、これがまあ一番長い例らしいと話した。して見ると普通の場合ではいくら残酷に使っても大抵六七年の保証は付けられるのが、一般の万年筆の運命らしい。一本で夫程それほど長く使えるものが日に百本も出ると云えば万年筆を需用する人の範囲は非常な勢をもって広がりつつあると見ても満更まんざら見当違けんとうちがいの観察とも云われない様である。もっとも多い中には万年筆道楽という様な人があって、一本を使い切らないうちにあきが来て、又新しいのを手に入れたくなり、これを手に入れて少時しばらくすると、又種類の違った別のものが欲しくなるといった風に、それから夫へと各種のペンや軸を試みてうれしがるそうだが、これは今の日本に沢山たくさんあり得る道楽とも思えない。西洋では煙管パイプに好みをって、大小長短色々ぜた一組を綺麗きれい暖炉だんろの上などに並べて愉快がる人がある。単に蒐集狂しゅうしゅうきょうという点から見れば、此煙管パイプを飾る人も、さかずきを寄せる人も、瓢箪ひょうたんめる人も、皆同じ興味にられるので、同種類のもののうちで、素人しろうとに分らない様な微妙な差別を鋭敏に感じ分ける比較力の優秀を愛するに過ぎない。万年筆狂も性質から云えば、多少実用に近い点で、以上と区別の出来ない事もないが、いて無くても済むものを五つも六つもそろえるのだから今げた種類の蒐集狂と大した変りのあるはずがない。ただ其数に至っては、少なくとも目下の日本の状態では、西洋の煙管気狂パイプきちがいの十分の一も無かろうと思う。だから丸善で売れる一日に百本の万年筆の九十九本迄は、尋常の人間の必要にせまられて机上きじょうもしくはポッケット内に備え付ける実用品と見て差支さしつかえあるまい。して見ると、万年筆が輸入されてから今日迄に既に何年を経過したか分らないが、かく高価の割には大変需要の多いものになりつつあるのは争うべからざる事実の様である。
 万年筆の最上等になると一本で三百円もするのがあるとかいう話である。丸善へ取り寄せてあるのでも既に六十五円とかいう高価なものがあるとか聞いた。もとより一般の需要は十円内外の低廉ていれんな種類に限られているのだろうが、それにしても、一つ一銭のペンや一本三銭の水筆に比べると何百倍という高価に当るのだから、それが日に百本も売れる以上は、我々の購買力が此の便利ではあるが贅沢品ぜいたくひんと認めなければならないものを愛玩あいかん[#「あいかん」はママ]するに適当な位進んで来たのか、又は座右ざゆうに欠くべからざる必要品として価の廉不廉にかかわらず重宝ちょうほうがられるのか何方どちらかでなければならない。しかし今其源因を一つに片付けるのはの至として、又事実の許す如く、しばらく両方の因数が相合して此需要を引き起したとして、余はとくに余の見地から見て、後者の方に重きを置きたいのである。
 自白すると余は万年筆に余り深い縁故もなければ、又人に講釈する程に精通していない素人しろうとなのである。始めて万年筆を用い出してからわずか三四年にしかならないのでも親しみの薄い事は明らかに分る。もっとも十二年前に洋行するとき親戚のものが餞別せんべつとして一本れたが、それはまだ使わないうちに船のなかで器械体操の真似まねをしてすぐ壊して仕舞しまった。それから外国にいる間は常にペンを使って事を足していたし、帰ってから原稿を書かなくてはならない境遇に置かれても、下手な字をペンでがしがし書いて済ましていた。それで三四年前になって何故なぜ万年筆に改めようと急に思い立ったか、其理由は今一寸ちょっと思い出せないが、第一に便利という実際的な動機に支配されたのは事実に違ない。万年筆について何等の経験もない余は其時丸善からペリカンと称するのを二本買って帰った。そうしてそれをいまだに用いているのである。が、不幸にして余のペリカンに対する感想ははなはよろしくなかった。ペリカンは余の要求しないのに印気インキ無暗むやみにぽたぽた原稿紙の上へ落したり、又は是非墨色を出してもらわなければまない時、がんとして要求を拒絶したり、随分持主を虐待した。もっとも持主たる余の方でもペリカンを厚遇しなかったかも知れない。無精ぶしょうな余は印気インキがなくなると、勝手次第に机の上にあるんな印気でも構わずにペリカンの腹の中へぎ込んだ。又ブリュー・ブラックの性来きらいな余は、わざわざセピヤ色の墨を買って来て、遠慮なくペリカンの口を割ってました。其上無経験な余は如何いかにペリカンを取り扱うべきかを解しなかった。現にペリカンが如何に出渋っても、余はいまだかつて彼を洗濯したためしがなかった。それでペリカンの方でもなかば余に愛想あいそを尽かし、余の方でも半ばペリカンを見限みかぎって、此正月「彼岸過迄ひがんすぎまで」を筆するときは又と時代退歩して、ペンとそうしてペンじくの旧弊な昔に逆戻りをした。其時余は始めて離別した第一の細君を後からなつかしく思う如く、一旦いったん見棄みすてたペリカンに未練の残っている事を発見したのである。ただのペンを用い出した余は、印気インキの切れる度毎たびごと墨壺すみつぼのなかへ筆をひたして新たに書き始めるわずらわしさにえなかった。幸にして余の原稿が夫程それほどの手数がはぶけたとて早く出来上る性質のものでもなし、又ペンにすれば余の好むセピヤ色で自由に原稿紙をいろどる事が出来るので、まあ「彼岸過迄」の完結迄はペンで押し通すつもりでいたが、其決心の底にはうしても多少の負惜しみがこもっていた様である。
 余の如く機械的の便利には夫程それほど重きを置く必要のない原稿ばかり書いているものですら、又買い損なったか、使い損なったため、万年筆には多少手古擦てこずっているものですら、いよいよ万年筆を全廃するとなると此位の不便を感ずる所をもって見ると、其他の人が価の如何いかんかかわらず、毛筆をてペンを棄てて此方こちらに向うのは向う必要があるからで、財力ある貴公子や道楽息子どうらくむすこの玩具に都合のいい贅沢品ぜいたくひんだから売れるのではあるまい。
 万年筆の丸善における需要をそう解釈した余は、各種の万年筆の比較研究やら、一々の利害得失やらについて一言の意見を述べる事の出来ないのを大いに時勢後れの如くに恥じた。酒呑さけのみが酒を解する如く、筆をる人が万年筆を解しなければ済まない時期が来るのはもう遠い事ではなかろうと思う。ペリカンだけの経験で万年筆は駄目だという僕が人から笑われるのも間もない事とすれば、僕も笑われない為に、少しはほかの万年筆も試してみる必要があるだろう。現に此原稿は魯庵ろあん君が使って見ろといってわざわざ贈ってれたオノトで書いたのであるが、大変心持よくすらすら書けて愉快であった。ペリカンを追い出した余は其姉妹に当るオノトを新らしく迎え入れて、それで万年筆に対して幾分か罪亡つみほろぼしをしたつもりなのである。

なるほど、夏目漱石はブルーブラックが嫌いだったらしい。実は私も、日本の字を、青や赤の色を使って書くのは、どうもなじめない。万年筆といえばブルーブラックだという事は、もちろん知っている。今も役所の文書に、「黒か青のペンを使って」と書いてあるのは、当時はまともなボールペンがなく、万年筆で書いていた名残なのだ。朱墨などもあるにはあるが、主に訓点を書き加えるなどの目的で使っていたのだろうし、やはり日本の字は、黒で書くものではないかと、個人的には思う。

ところで、二十歳を超えたあたりから、夏目漱石や芥川龍之介の文章の価値が分かるようになってきた。中学生や高校生の時分には、一体彼らの文章の何が面白いのか、さっぱり分からなかったのだ。それに比べて、森鴎外や太宰治の文章のおもしろさは、実に分かりやすかったので、そっちばかり読んでいた。

Google Chrome Frameについて

Chromium Blog: Introducing Google Chrome Frame

Google Chrome Frameとは、IEのプラグインであり、HTML5のサポートや、高速なJavascriptをもたらす。

Google Chrome Frame - Google Code

Webサイトでこれを使用するには、以下のタグを使えばよい。

<meta equiv="X-UA-Compatible" content="chrome=1">

IEにインストールされているGoogle Chrome Frameプラグインが、上記のタグを検出すると、Webkitベースのレンダリングエンジンに切り替えてくれる。

このプラグインをインストールすると、IEのRaison d'êtreが崩壊していきそうだが、それもこれも、IEがクソだからに相違ない。

なお、このブログは、こんなプラグインの為にタグを書く気など、さらさらない。webkitが使いたければ、IEなんぞ窓から放り投げて、SafariやChromeなどのブラウザを使うべきである。こんなプラグインは邪道である。あくまで、興味深かったので紹介したまでに過ぎない。

追記:os0xさんが、実際にインストールしてみたようだ。より詳しい使用方法や、実際に試してみた感想などが載っている。
IEをChromeにするGoogle Chrome Frameがすごい(けど実用的なレベルではないよ) - 0xFF

2009-09-21

QuirksBlog: HTML5のドラッグ&ドロップはクソだ

QuirksBlog: The HTML5 drag and drop disaster

QuirksBlogで有名なPeter-Paul Kochさんが、HTML5のドラッグ&ドロップに関して、酷くののしっている。かなり好い文章で、興味深かったので翻訳してみた。記事が長いので、blockquoteを使うのは御免を被る。

一日半もテストして、HTML5 drag and drop moduleはクソなばかりか、ゲロみてえな臭いがプンプンするってことが、いやというほど分かったね。

コイツはHTML5規格から、ソッコーで消すべきだし、もっとまともな規格が制定されるまでは、現行ブラウザは、この機能を、一刻も早く無効にするべきだ。

Web開発者は、HTML5のドラッグ&ドロップを使うな。絶対使うな。RFC2119で規定されているMUST NOTの意味で使うな。使いたきゃ、従来通りのスクリプトで実装しろ。いいな。

これからその理由というヤツを述べていこうと思うんだが、その前に、ひとつ言っておくことがある。俺は基本的に、HTML5規格は支持してる。何でかっていうと、規格の出来が、結構好いからな。実際、こんな好い規格に、なんでこんなクソの塊が転がってるんだよ。マジでおかしいし。

マジで調子ブッコいてるほどアホくさいんで、俺はストを敢行する。もうこれ以上ドラッグ&ドロップについては調べん。てめーらで勝手にやんな。あるいはやんないか。まあ、どっちでもいいか。どうせ俺の知ったこっちゃあない。

以下に述べることは、実に言葉遣いがなっていないが、謝罪はしない。ドラッグ&ドロップは最悪だ。

誰の責任だよ?

マイクロソフトが、ドラッグ&ドロップを、「設計」して実装したのは、1999年のIE 5.0のリリースにまで、さかのぼれる。それ以来、IEはこれをサポートし続けている。

この次に述べるごとく、この規格は恐ろしくクソだった。責任の大部分はマイクロソフトに帰するといっていい。

最初は、独りマイクロソフトのせいだと思ってたんだが、HTML5 WGとブラウザ各社にも、責任がある。

HTML5と、その前身、WHAT-WGの基本理念に、先のワーキンググループが規定していなかった、実際のブラウザの挙動を規格化しようというものがある。たとえば、innerHTMLとか、offsetWidthとかだ。

俺も、この理念には賛成だが、マイクロソフトのドラッグ&ドロップに限っていえば、かなり問題があると言わざるを得ない。

Hixie曰く、「ドラッグ&ドロップAPIはひどいが、利点もある。IE6が実装しているのだ。SafariやFirefoxも」

まあ、現実はその通りなんだが、FirefoxとSafariとChromeは、ために悲惨な憂き目にあっている。Operaだけは悲惨な現状から免れている。

どこでもその機能が使えるってこたあ、たしかに重要だ。でもコレはないだろ。ドラッグ&ドロップは悲惨すぎるぜ。

俺様のテスト状況

オッケー。んで、一体HTML5のドラッグ&ドロップの、何がクソかって話だ。

教えてやるよ。

俺がテストしている状況を、そっくりそのままに記述すると、以下のようになる。俺は以下のような思考順序を経て、このエントリを書くに至ったわけだ。

今回のテストはメチャ最悪だった。ネットスケープ4が絶滅して以来のクソさ加減だ。だから記述には、暴力的な言葉が含まれているわけだ。それもメチャたくさん。

イベント多すぎ

ドラッグ&ドロップには、七個もイベントがありやがる。dragstart, drag, dragover, dragenter, dragleave, drop, dragendだ。

mousedown, mousemove, mouseupのイベントだけで実装できるモノにしちゃあ、何かやたらと多くないか。

まあ、これぐらいなら、別にクソって事もないんだ。ちょいとAPIの設計が汚いって程度だ。この中から使いたいイベントをいくつか選び、残りは無視しなければならない。

茫然自失

茫然自失

ハァッ? ナメてんのかッ? 何だとッ!?

dropイベントは、ユーザーがドラッグ中の要素をドロップした時に起こる。

そして、当然ながら、ドラッグ中の要素をドロップすることが、この規格の主目的なわけだ。

従って、dropとは、最も重要なイベントである。しかし、何故か起こらない。何故だろう。

茫然自失。

規格と使用例の確認。

オッケー、分かったよ。

dropイベントを発動させるには、dragoverとdragenterイベントのデフォルトをキャンセルしなければならない。

・・・・・・。

ハァァァァァァッッッ?

オッケー、もう一回、確認しよう。

dragoverとdragenterのデフォルトアクションは、要素をドロップさせないことである。そのため、要素をドロップさせるには、デフォルトアクションをキャンセルしなければならない。これ当然なり。いかにも明白の理なり。

・・・・・・。

ハァッ? ナメてんのかッ? フザけるなッ!?

オッケー、もう一度。

dragoverとdragenterイベントが存在する根本的な理由は、ドロップをさせたいWeb開発者に、デフォルトの挙動をキャンセルさせるためである。

またまたご冗談を。

無言。

フザけやがってッ! ブチ殺すぞゴミめらッ!

何でわざわざ、本来の一番重要な機能を発動させるために、てめーのクソイベントのデフォルトアクションを、ひとつならずふたつもキャンセルせにゃならんのだ。誰がそんなことするかッ!

じゃ、遊んであげないニャ。さいニャら。

このチンピラが オレをナメてんのかッ! この、ド低能がァーーッ

無言。

おいよく聞けよ、ボケなす。まあ、その頭じゃ到底理解不可能だとは思うがな。万が一ってことがある。ひょっとしたらお前みたいなクズにも分かるかもしれん。

デフォルトアクションとはな、ポジティブにあるべきなんだ。かくかくの挙動をしたら、しかじかが起こるというものだ。スクリプトでキャンセルしない限りはな。JavaScriptのイベントはそのように設計されているんだよ。

無言。

クソッ、タバコがやめらんねえ。

時間の浪費。

落ち着け、落ち着け。Let it be. どうにかなるさ。

まず、何か別のことをして気を紛らわせよう。

ようやくにして平常心を取り戻す。

dragstartイベントハンドラを定義すると、IEでは、他のイベントが起こらなくなる。他のイベントすべてだ。

Remy Sharpのテストケースをみると、IE8では、dragstartありでも動くらしい。

どうにも不思議だ。だいたい、規格はIEの実装を元にしているはずではないか。つまり、規格が、他のすべてのイベントがキャンセルされるという挙動を見逃したのだろうか。あるいは、IEが自分とこの独自機能すら、満足に実装できていないのか。

今のところ、後者ではないかと思う。ブラウザバグを一件発見。後で再テストして、再現方法の発見して、ドキュメント化しなければ。

やれやれ、なんとかマトモになってきたぜ。

まあ、他のヤツは、そんなにクソじゃないだろ。たぶん。

だが、その前にイベントに関して。

ドラッグこれイベント

dragイベントというのは、mousemoveに似ている。ただし、ドラッグ中に発生する。これはマトモじゃないか。ちゃんとどこでも動くだろうか。動くようだ。次。

ドラッグあれイベントとドラッグ何かイベント

dragenterとdragleaveは、すばらしいイベントのように思える。ドラッグ中に、HTML要素の中に出入りすると、発生するわけだからな。要素が妥当なドロップターゲットの場合、そのスタイルを、ondragenterとondragleaveで変更して、そのことをユーザーに伝えることが出来るって寸法だ。

マイクロソフトのAPIを元にした規格で、オレはdragenterとdragleaveが、mouseenterとmouseleaveと同等機能だと期待していたんだ。だが、違うんだなコレが。IEにおいてですら、違うんだな。mouseoverとmouseoutと同等で、あらゆる点においてクソだ。命名が間違っているわけだ。

mouseoverとmouseoutは最悪だ。というのも、常にbubbleで上がっていくので、重要なものとそうでないものを判断するのが、最高にムズかしいんだ。イベントがセットされている要素の、子要素に対して、mouse overするかdrag enterしても、発生する。そんなのいらねーんだよ。マウスが要素の上を通るたびに、イベントが無駄に発生するだろうが。有益なイベントと、そうでないものを選り分けるのが面倒なんだよ。

訳注:DOM Level 2のEventTargetインターフェースにある、addEventListener()を使ってイベントハンドラを追加すれば、第三引数をtrueにすることによって、bubbling phaseを無視できる。また、リスナーとして登録するEventListenerインターフェースのhandleEventメソッドの引数、Eventインターフェースにある、eventPhaseプロパティをみれば、現在のPhaseはすぐ分かる。この問題は、それほど面倒だろうか。

一方、mouseenterとmouseleaveは、定義されている要素にしか、発生しないし、bubbleもしない。こっちの方が使いやすいって事だ。

コイツらはマイクロソフトの独自拡張なんだが、いい機能だ。IEでしか動かない。

元々、mosueenterとmouseleaveはドラッグ&ドロップと同じで、互換だった。mouseenterとmouseleaveにとっては役に立つが、ドラッグ&ドロップに対しては、役に立たない。他のブラウザはどんな風に実装するんだろうな?

Web開発がこんなにクソ面倒なのも当然の話だ。こんな大マヌケがブラウザの挙動を決めてんだから。

おっと、これはマヌケに失礼だったな。

あ゛-、クソが。

drag大まぬけイベント

dragoverは、mouseoverとは何の関係もない。dragイベントとまったく同じだ。ただし、documentだけではなく、どんな要素にもセットできる、あるいは何か。どうでもいいけど。

じゃあ何で、dragイベントがあるのに、dragoverイベントが必要なのか?

プカー、スパスパスパスパ・・・・・・プカー

デフォルトアクションをキャンセルするためにある。

デフォルトアクションをキャンセルしなくて良けりゃ、dragマヌケイベントなんざ、ハナッから必要じゃねーんだよ。ボケが!

そうすりゃ無意味なイベントが、規格から無くなるだろ。だろ?

だから、デフォルトアクションを定義するんだよ。複雑なデフォルトアクションを。

もちろん、キャンセルできる必要がある。当然だ。動作を取りやめるためのキャンセルだな。

無言。

おい、誰かいないのか?

時間の浪費。

おい、オレ今、サイコーに好いこと言ってんだぞ。お前らさっさと規格改良しやがれ。

draggable

で、draggableっちゅー属性があってだな、trueにしとくと、その要素がドラッグ可能になる。Firefoxでしか動かない。リンクとイメージは、デフォルトでdraggableだ。

実際、これは実に好いアイディアだ。

ワーオ。やっとマトモなものを見つけたぜ。でも誰に感謝すりゃいいんだ?

思うに、draggableというのはHTML5による追加なんだろう。IEでは動かないもんな。HTML5 WGも、ひとつぐらいはまともなアイディアを出せたようだな。おめでとう。

だいたいだな。ドラッグ&ドロップに関するマイクロソフトのドキュメントが見あたんねーんだ。だからIEでdraggableがサポートされているべきかどうか、分からねーんだ。

見た限りでは、IEのアイディアではないってことだけは、確実だ。

(おめーらがマイクロソフトのドキュメントがどこにあるか知っていたとしても、コメントに書き込むこたあーない。もはや、どうでもいいことだからな)

マヌケすぎるSafari

はい、次の問題。

Safariでドラッグ&ドロップを動かすためには、CSSにこれを追加しろ。

#tobedragged {
 -khtml-user-drag: element;
}

・・・・・・。

Q:よお、この要素をどのようにユーザーに対して表現したらいいんだ?
A:それはドラッグ可能だ。

・・・・・・。

死ね、Safariチーム、氏ねじゃなくて死ね。

いやまてしばし。もういちど言ってみよう。丁寧な言葉は、乱暴な言葉よりも受け入れられやすい。

Safariチーム各位。「表現と挙動の分離」という事をご存じの方はいらっしゃいますか?

無言。

んなこったろーと思ったぜ。

時間の浪費

何にせよクソだ。

訳注:CSSとは本来、ユーザーに対して、どのように表現するかを指定するものである。ドラッグ可能かどうかという事は、表現ではなくて、むしろ挙動である。Safariのこの独自拡張は、表現を指定するはずのCSSで、挙動を指定するというものである。それ故、不可思議な拡張となっている。

ドロップエフェクトか? それともドラッグエフェクトか?

DropEffectプロパティ(訳注:確かに、Javascript側からみたら、プロパティだが、ここは属性と呼ぶべきでは?)は、ドラッグエフェクトを指定できるらしい。すくなくとも、規格では、そのように読める。

これは間違っているかも知れない。オレはドラッグエフェクト、あるいはドロップエフェクトの何たるかを知らんし、お前らも知らん。お互い様だ。

訳注:現行のHTML5ドラフトでは、「dropEffect属性は、ドラッグ&ドロップ中のユーザーが受けるドラッグ&ドロップフィードバックを指定する」と書いてある。名前はドロップなのに、ドラッグにも関係しているように読める。しかも、この文面だけでは、一体何のことなのか、さっぱり分からない。また、none, copy, link, moveという値を設定できるとも書いてあるが、それが何を意味するのかという規定はない。
規格の文面で、意味が何も言及されていない以上、「オレは知らんし、お前も知らん」、つまり誰も知らないのである。
このようにHTML5のドラフトは、まだ詳しく規定されていない部分や、未完成の文面が多々見受けられる。もちろん、まだドラフト段階であり、今後の議論により規定されていくのかも知れない。ただし個人的に思うのは、なぜ、未完成の文面の一部を、早々にドラフトに入れてしまうのかということである。例えば、別のペーパーなどで提案し、完成した段階でドラフトに入れる、という形を取った方が良いのでないのだろうか。

実験として、規格で規定されている値をすべて突っ込んでみたんだが、どのブラウザでも変化無しと来ていやがる。

で、ドロップエフェクト(あるいは、ドラッグエフェクトかもしれない)を許可するには、effectsAllowedをallにしておかなきゃならんってことに気がついた。ただし、何も変わりゃしねえ。ドラッグ(あるいはドロップ?)エフェクトを許可しても、どのブラウザもdropEffectに反応しない。

あるブラウザでは、effectsAllowdをallに設定した直後に、値はcopyLinkであると返してきた。何か根性らしきものを感じるね。

そもそも、なんでオレが許可を出さなきゃならないんだ? dropEffectをセットするということ自体が、オレが命令して(つまりは、許可を出して)、そのエフェクトを発現させるんじゃないか。

違うのか?

無言。

無言

クソが。もういい、オレは抜ける。

ストライキ

この上でまだ、ドラッグ&ドロップがクソだと思わないなら、Fransisco Tolmaskyの記事を読めば、ヤツの出くわしたバグと問題が載ってる。

ヤツの記事を読んでみると、どうもブラウザベンダーはドラッグ&ドロップを実装するのにトラブッているみたいなんだよな。

やれやれ、何でなんだろうな。

まあ、わざわざ知りたいとは思わんけどな。もうたくさんだ。

オレの知る限り、この記事で答えの出ていない疑問は、永遠に答えがでないだろうよ。オレはこのクソッタレなゴミ溜めに、もう二三日、無給で首を突っ込みたいとは思わん。

現状を変えたければ、どうぞご自分で研究してくんな。

あと、有益な記事とかサイトを教えてくれなくても好いぜ。もうどうでもいいし、どうせ読まないだろうから。

オレはストに入る。

ppkは、ドラッグ&ドロップに関して、相当辛酸を舐めたようだ。

追記:dropEffectという名前の属性や、その値である、none, copy, move, linkなどは、IEの実装上の都合らしい。
DROPEFFECT Constants (COM)

追記2:上記の追記からして、IEのこの機能の本来の目的は、IEとその他の外部との間のプロセス間通信としての、ドラッグ&ドロップなのかもしれない。それならなおさら、HTML5の規格からは取り除くべきである。Webとは関係がない機能だ。Webのドラッグ&ドロップというのは、もちろん、ページ内で完結しているドラッグ&ドロップのことである。たとえば、Google Readerには、フィードをフォルダという単位でまとめることができるが、その操作を、ドラッグ&ドロップで行える。

これはひどい

幼なじみは大統領

これはひどい。

エロゲは興味がないのだが、ちょっと欲しいと思ってしまった。ただ、9240円は高い。同じ一万円だすなら、延慶本を買う。

METAL WOLF CHAOS - FROMSOFTWARE WEB SITE

こんなのも。

user defined literalが予約語の制約を無視できる理由

2chで軽く論破されてしまった。こんな事に気がつかなかったとはなさけない。試験などで立て込んでいて、少々遅れたが、user defined literalが、予約語を無視できる理由について述べる。

アンダースコア二つから始まる名前と、アンダースコアひとつに大文字から始まる名前は、あらゆる利用を予約されている。
アンダースコアひとつで始まる名前は、グローバル名前空間において、予約されている。

予約されている名前を使うと、動作は未定義である。

ところで同時に、規格では、「アンダースコアひとつから始まらないuser defined literalのLiteral suffix identifierは、予約されている」と書かれている。つまり、user defined literalのLiteral suffix identifierは、アンダースコアひとつから始まらなければならないのだ。Literal suffix identifierとは、もちろんidentifierでもある。これは、予約語の制限と衝突する。これは一体、どう解釈すればいいのか。

実は、名前と識別子とは、同義ではない。名前の定義は、3 Basic conceptsに書いてある。

3 An entity is a value, object, variable, reference, function, enumerator, type, class member, template, template specialization, namespace, parameter pack, concept, or concept map.

4 A name is a use of an identifier (2.11), operator-function-id (13.5), conversion-function-id (12.3.2), or template-id (14.3) that denotes an entity or label (6.6.4, 6.1).

p4を一見すると、identifierはいかにもnameである。ところが、最後に奇妙な文がくっついている。"that denotes an entity or label"という文だ。どうやら、ただにidentifierなだけではnameにならず、entityやlabelでなければならないらしい。

labelというのは、gotoで飛ぶアレのことだから、識別子には当てはまらないが、entityとは、一体何だろう。entityはp3で規定されている。みると、値だとか、オブジェクトだとか、変数、参照、関数、列挙子、型、クラスメンバー、テンプレート、テンプレート特殊化、名前空間、パラメーターパック(Variadic Templateのこと)などなど。

ようするに、entityでなければ、nameではないということだ。予約語の制限は、nameに対して適用される。すべてのidentifierに対してではない。

さて、user defined literalは、現行ドラフトの、13.5.8 User-defined literalsに、以下のように定義されている。

literal-operator-id:
    operator "" identifier

user defined literalは、例えば、operator "" _x という形で参照しなければ、entityにならない。_xだけでは、entityではないのだ。entityでないということは、nameではない。nameではないということは、予約語の制約を受けない。

従って、以下の宣言はすべてwell-formedなC++0xのコードである。

// OK アンダースコアから始まっていてもよい。
int operator "" _x( const char* ) ;

// OK アンダースコアに大文字から始まっていてもよい。
int operator "" _X( const char* ) ;

// OK アンダースコア二つから始まっていてもよい。
int operator "" __x( const char* ) ;

ただ、問題はある。C++0xの規格が制定されたら、当然、実装が出回る。そうすると、皆C++0xの機能を使い出す。問題は、大部分のユーザーは、規格を読んでC++を学ぶのではない。なぜuser defined literalが、例外的に予約語の制限を免れるかという理由など、知るわけがない。

user defined literalの識別子は、アンダースコアから始まらなければならないが、果たしてユーザーは、その決まり事を守るかどうか。コンパイラがちゃんとエラーを出すかどうか。

user defined literalで、アンダースコアから始まる名前が使えること(というより、アンダースコアから始まらなければならない)を知ったユーザーは、果たして、それがuser defined literal限定であることも、学ぶかどうか。この問題を知らない人が、C++の参考書を書くかも知れない。ユーザーはそれを読んで、勘違いするかも知れない。今現在、ほとんどのコンパイラは、ユーザーが予約語を使ったからと言って、エラーはおろか、警告すら出したりしない。ユーザーが、名前はアンダースコアから始まっても良いのだと、勘違いしないだろうか。

アンダースコア二つ、あるいは、アンダースコアひとつに大文字で始まる名前は、あらゆる使用が予約されている。例えば、処理系独自の拡張機能を提供するキーワードなどだ。そして、大抵のコンパイラでは、そういうキーワードは、パースの時点で、特別に処理されるような実装になっていたりする。その手のキーワードが、識別子として使われている時点でエラーを出したりするかもしれない。これは規格違反だが、実際に多くのコンパイラがそういう実装になっている以上、無視するわけにはいかない現実だ。だから、アンダースコア二つ、あるいはアンダースコアひとつに大文字で始まるuser defined literalは、出来るだけやめた方がよい。

user defined literalがこのまま規格に残るのであれば、これらは気にしなければ行けない問題だ。願わくは、C++0xの参考書を書く人が、user defined literalを解説する時に、これらの問題も取り上げるべきだと思う。たとえ、細部に踏み込み、究極的な、「何故」にまで言及するような解説までは書かないとしても、user defined literalの識別子は、他の識別子とは違って特殊なので、これらの事に気をつけるべきだという、注意があってほしい。

「智慧」の人とか、「信実と勇気」の人は、おそらくはC++0x本を書くのではないかと思うが、もしuser defined literalを解説するのであれば、この辺のことにも言及しておいてほしい次第である。

2009-09-20

臼井儀人、死亡確定

なんて事だ。Michael Jacksonは、私が物心ついた頃から、すでに整形崩れした変人だったので、逝去の報を聞いたときも、それほど驚かなかったが、クレヨンしんちゃんは、子供の頃から読んでいただけに、驚きだ。最近は、だいぶ話の筋がおかしくなっているとは聞いていたが、果たして単なる事故だったのだろうか。

ツバメノートを購入

ようやく脚の痛みがなくなったので、脚の具合をみるため、歩いてみることにした。ちょうど、良質の紙を使ったノートが欲しいと思っていた所である。四条辺りに行くことにした。

四条の河原町あたりは、相変わらずの人混みだ。しかし、なかなか文房具屋が見つからない。母親にメールで訊ねてみると、壺中堂という店があるらしい。さっそく向かった。

行くと、ツバメノートが売っていた。やれやれ。さっそく購入した

せっかくここまで来たので、古本屋に立ち寄っていくことにした。確か、京阪書房に、長門本がおいてあったはずだ。延慶本と玉葉があるかどうかを確認しにいくことにした。

果たして、延慶本と玉葉はあった。延慶本は一万円、玉葉は二万五千円だった。とりあえず、神保町で買ってきた本を読み終わったら、購入を考えることにした。どうせ、そうそう売れまい。

さっそく、家に帰って、書き味を確かめてみた。たしかに、悪くない紙だ。ただし、私の使っている万年筆は、メモ帳用に使うこともあり、かなり線が細いものなので、味気なく感じた。プラチナ万年筆の#3776バランス、細軟である。

親父の万年筆を使ってみる事にした。刻印が、14K585とあり、その下に5とあることから、5号のニブである。おそらくは、パイロットのCUSTOM 74 であろう。線の太さはMなので、当然、ぬらぬらとした書き味なのだが、どうもやはり、パイロットはなじめない。プラチナ万年筆の方が良いと思う。

さんずいのある漢字は書きづらい

最近、漢字をうまく書く練習をしている。思うに、さんずいをもつ漢字は、バランスが取りにくいと思う。

また、現代の漢字は、国語教科書の影響を受けすぎているように思う。教科書以前の漢字は、活字、実際に書く字は、結構違っていたようだ。

くさかんむりには、三画と四画の二種類がある。最近は、三画に統一されている間があるが。教科書以前の漢字は、一般に三画で書くとされている字と、四画で書くとされている字があったらしい。漢字の細部というのは、教科書以前には、あまり統一されていない。「良」という漢字の部分があるが、これなど、五種類の違いがある。根本的には、全部同じらしい。

活字と書き文字とは、本来異なっていた。細部の違いは、あまり問題にされなかった。

例えば、しんにょうは、一点と二点があるが、昔は、活字は二点で、実際に書くのは、一般に一点だったらしい。どちらも同じとして許容されていたのだろう。

インク壷のある風景

万年筆を使うからには、インク壷からインクを補充する作業にあこがれる。そこで、数日前、コンバーターを買ってきた。さて、今朝ちょうど、カートリッジのインクがなくなったので、洗浄をした後に、コンバーターを試すことにした。

プラチナ万年筆は、あまりコンバーターに力を入れていない。そもそも、プラチナ万年筆といえば、あの独特のカートリッジが有名だ。プラチナ万年筆の純正コンバーターは、ねじを回すことによって、ピストン式にインクを吸い上げる方式だ。

まず、インク壷の蓋を開ける。ペン先をインク壷に全部浸ける。そして、ツマミを回す。失敗。空気が大量に入ってしまった。また、手にインクが付いてしまった。

二度目の挑戦で、何とか成功した。ペン先全体をしっかりインクの中に水没させるのと、ツマミを極めてゆっくり回すのが重要だ。

これはいい。机の上にインク壷のある風景は、じつにいい。さっそく、字を書く練習でもしよう。

2009-09-19

万年筆と紙

万年筆を使い始めて早や五ヶ月。そろそろ、紙の質が気になってきた。書きやすい紙もあれば、極めて書きにくい紙もある。

ひとつ困っているのは、ノートだ。あまりにも高いものを使おうとは思わないが、一冊数十円で売られているノートの質の悪いこと悪いこと。縦書きのノートは、そもそも安い物があまりないだが、横書きで、いい紙を使っているノートはないだろうか。

ググった所、ツバメのノートというのが、質が高いらしい。一冊数百円ぐらいだろうか。まあ、ノートはそれほどすぐに消費するわけでもないし、数百円ぐらい出してもいいだろう。明日にでも、探してみることにする。

2009-09-18

JavascriptとCanvasによるファミコンエミュレーター

JSNES: A Javascript NES emulator

JavascriptとCanvasを使ったNES(ファミコン)エミュレーターを実装したと主張している。Chromeならば、パフォーマンスも申し分ない。

にわかに信じられないが、どうやら本物らしい。

もし本当だとしたら、本物のROMを使用しているようなので、合法ではないのであまり深く追求しないが、ソースをみる限り、本当にエミュレーターを実装しているらしい。サイトの説明によると、vNESというエミュレーターを、JavascriptとCanvasを使うように移植したのだとか。

ところで、もし本物だとして、本当に本物のカートリッジからダンプしたROMを使っているのだとして、一体どうやってJavascriptからバイナリファイルを扱うんだろうと思って調べてみた所、どうやら、バイナリファイルではなく、スラッシュ区切りの十進数文字列にしているようだ。なるほど。それなら使える。

まあ、私は将来、クライアントサイドのWebアプリがもっともっと強力になることを信じているので、ファミコンエミュレーターぐらいなら、いずれ出てくるんじゃないかとは思っていたが、こうやって実際に動く例を、この時代に見るとは思わなかった。

技術的な話をすると、問題は音だ。audioは、URLとして渡されたソースを再生することしかできない。完全にクライアントサイドで、強力なWebアプリを作ろうとするならば、例えばPCMを生成して再生させるぐらいのことは、できてほしい。需要さえあれば、規格化されるだろうか。

関連事項として、WebkitがWebGLをネイティブに実装したということもある。3Dの描画を扱うのならば、音の需要も出てくるはずだ。

こんな英語学習ツールが欲しかった

Steve Jobs: What is Truly Important? - EnglishCentral.com

こんな英語学習ツールが欲しかった。プレスリリースによると、10月15日までは無料。それ以降は、有料コンテンツと無料コンテンツが混在するようになるのだとか。

試してみたが、私の発音でも高得点が取れる、なんだか緩い評価となっている。ただ、th, v, r, l、だけは、日本人として、やはりどうも苦手だ。頭では分かっているが、舌が回らない。

追記:ふざけて、いかにもジャップっぽいアクセントでやってみたが、それでもCはとれたりする。評価が緩すぎると思う。まあ、通じればいいのかねぇ。

2009-09-17

延慶本の文覚の発心譚が興味深い

周知の通り、平家物語には異本が多数存在する。一番有名なのが、覚一本である。今日の一般人が、平家物語を読もうとすれば、まず覚一本を読むだろうと思う。それも、龍谷大学所蔵の本を底本にしたものである。なぜなら、岩波から出ている平家物語がそうだからだ。

ほかにも異本は様々あるが、私は、まだ覚一本と源平盛衰記しか読んでいない。

延慶本というのがある。これは、最も古体を残していると言われている本である。とは言っても、延慶時代(1308年 - 1310年)に、根来寺によって写本されたもので、明らかに、全体的に書き直されたと推察できる証拠もあり、また、根来寺の宗派の影響も受けているので、これをもって原平家物語ということもできない。しかも、盛衰記からの影響を受けたとみられる箇所もある。

今まで、読んでいなかったが、ふと文覚の発心譚の部分を読んでみると、だいぶ興味深い。世間一般の文覚の逸話とは、だいぶ違ったことが描かれている。

ただし、どうみても脚色が甚だしい。ことによると、源平盛衰記よりひどいかもしれない。

ただし、よく書けている。かなり文学性は高いと思う。

とりあえず、全部通して読んでみることにする。

ゲームここまで抽象化できるとは知らなかった。

抽象化されたゲームたち - Radium Software

The Linear RPGは、一直線の道を進んでいくだけだ。といっても、あまりに早く先に進みすぎると、死んでしまう。そこで、行きつ戻りつ進むことになる。背景に、かつてないぐらいナンセンスな文章があるので、暇つぶしにそれを読みつつ、右往左往することになる。この文章は、本当に暇つぶしにちょうどいい。文章をちょうど読み終える程度のレベル上げ作業でクリアできる。

Progress Questは、自動で勝手に進められていくゲームである。起動して、ステータスを決めると、勝手にゲームを進めてくれる。

確か昔、ただひたすらボタンをクリックするだけのゲームがあった気がする。クリック回数によって、勝手にレベルが上がっていったり、ナンセンスな文章が表示されたりした気がする。名前を忘れてしまったのが残念だが、あれも結構面白かった記憶がある。

すばらしいアニメーション

Dad's at Work
Dad's Home

これは最高に面白い。

追記:Dad's at workが常に音を出すので、埋め込み方法を変更。

nVidiaの立体視映像

nVidiaが立体視に力を入れているというのは、ドライバのコントロールパネルに、そのような項目があることからも伺える。ところが、120Hzの液晶ディスプレイが必要だったり、専用眼鏡が必要だったりと、何かと敷居が高い。第一、実際に体験した人のレビューを聞かない。

と思っていたら、とうとう見つけた。

「佐藤カフジのPCゲーミング道場」 最新の3D立体視デバイスでPC版「バイオハザード5」をプレイ! - GAME Watch

現行では、ディスプレイを手に入れるのも一苦労らしい。しかも、WUXGAではない。

レビュー内容は、かなりのベタ褒めである。もっとも、これはスクリーンショットなどで確認することもできず、実際に自分で試してみるまでは分からないので、この記事が正しいかどうかは、分からない。

ステレオ効果OFFの場合、「テストA」で70.9fps、「テストB」で39.5fps。ステレオ効果ONでそれぞれ42.1fps、30.0fpsとなった。ステレオ効果OFF時に比べると、ON時ではそれぞれのテストでおよそ60%(40%ロス)、75%(25%ロス)のフレームレートになっている。

また、ベンチマークの結果を別の視点で考えると面白いことがわかる。「テストA」に対して「テストB」でどれだけフレームレートが低下しているかに注目すると、ステレオ効果OFFの場合45%ほどの低下がおきていることに対し、ステレオ効果ONの場合は29%ほどの低下にとどまっている。

数学には詳しくないのだけれど、パフォーマンスというのは、Frames per Secondではなく、Seconds per frameで表現した方が分かりやすいと思う。今、試みに、Milliseconds per frameを計算してみると、

テストA: OFF 14.1043724, ON 23.7529691 (OFFに比べて、68.4%のパフォーマンスの低下)
テストB: OFF 25.3164557, ON 33.3333333 (OFFに比べて、31.6%のパフォーマンスの低下)
「テストA」に対して「テストB」でどれだけパフォーマンスが低下しているかというと、
OFF 79.4%, ON 40.3%

フレームレートで考えるのは害悪だと思う。この記事では、パーセントを使っているので、まだマシなもの、たまに、「FPSがいくつ上がった」などという言葉を平然と使っている文章を見かける。

民主党、早くも記者クラブとべったり

広く開放するとかいう話はどこへ消えましたか。

民主党が公約を守らない政党であるならば、外国人参政権も守ってくれないだろう。我々日本国民は、むしろ約束を守らない民主党に感謝すべきである。

憲法改正しなければ、外国人参政権なんて違憲だろうけど。

2009-09-16

オンラインブックマークというWebアプリについて

オンラインのブックマークサービスを提供しているWebサイトがいくつもある。国内で有名なのは、はてなブックマークだし、海外でも、diggが有名だ。これらのWebアプリは便利であるが、私は、半分しか利用していない。

このブックマークサービスというのは、任意のURLを、オンライン上でブックマーク出来るというサービスだ。大抵は、そのブックマークにコメントが付けられたり、ブックマークしている人の数が分かったり、などというサービスも提供している。はてなブックマークであれば数百、diggであれば数千のブックマーク数を得たURLというのは、少なくとも、何らかの価値を有している事が多い。そういう点では、有り難いサイトである。例えば、大抵のブックマークサービスでは、最近急にブックマーク数が増加したサイトのフィードを吐いてくれるので、これをフィードリーダーで購読しておけば、今ネット上でホットな話題が、すぐに分かるというわけだ。自分にとって価値があるかどうかを、タイトルだけ読んで判断でき、面白そうであれば、実際のサイトに飛んで、じっくり楽しむことが出来る。そのため、価値のあるサイトを探すという手間が省け、そのぶん、実際のコンテンツを楽しむ時間に費やせる。まったく、便利な世の中になったと思う。

かように、私はオンラインブックマークサービスというWebアプリの恩恵を多大に受けているわけだ。ただし、自分で積極的にブックマークをしようとは思わない。これらのサービスは、ブックマークレットや、ブラウザのプラグインなどを提供していて、ブックマークするのは、それほど手間でもないのだろうが、やはり、わざわざ自分でブックマークしようとは思わない。読むだけで十分である。

従って、私は、半分だけ利用しているというわけなのだ。とはいえ、わざわざブックマークする人がいるからこそ、私のような利用方法も成り立っているわけで、全員が全員、私のような使い方をしていたら、このサービスの価値はなくなってしまう。もちろん、2chの様な掲示板を、書き込まずにROMに徹している人間も多いので、その辺は価値観の違いなのだろう。別に、誰も「ブックマークをせよ」と強制されているわけでもないし、それは自由である。

ただ、このブックマークサービス、ひとつ弊害があると思う。コメントだ。多くのブックマークを得たWebサイトは、それだけの注目されるコンテンツを作るのに、それなりの努力をしているはずだ。(中には、炎上するような内容で、その結果、つるし上げる形で、ブックマーク数が増えるというのもあるが、それはまた別の話である) それらのサイトは、メールアドレスを公開したり、コメント機能を設けたりと、読者からのフィードバックを欲している事も、よくあることだ。ところが、最近の傾向を見るに、このコメントは、ブックマークサービス側に寄せられていて、実際のサイトには書き込まれていない。

これは果たして、最上と言えるであろうか。

旧字体

七月よりメモ帳と万年筆を持ち歩くようになりしよりこのかた、暇な待ち時間などに、日記物などしたるが、ちよつと気取つて、分かる範囲で、旧字旧かなで書くやうにしてゐる。

抑、旧字のいくつ候やという疑問のありけるが、300に満たない数なりとぞ、物のWebサイトに書かれたり。就中、多くは新たに作られたるものにはあらで、俗字を以てこれにあてたるものなり。つらつら見侍りしが、いくつかの漢字は、無下に複雑なものあり、明らかに異質な筆の運びなるものありなんどして、なるほど俗字を以て新字体とするのも、当然の理と覚ゑたれど、不可思議のもの尚存す。

廢を廃せるは理なれど、沒を没とせしは、いかなる故にかありけむ。おぼつかなし。

擬古文風に書くのは疲れる。

没、沒の他にも、壹と壱も、よく似ており、複雑さもあまり変わらないと思う。おそらくは、似たような異字体が複数用いられていて混乱するので、統一したのだろうか。その辺の事情をまとめた本などがあれば、読んでみたい所だ。

2009-09-15

These people really need health care

Well, whether "public option now" or "no public option", all of these people are extremely fat and need health care immediately.

The public option is a government health insurance program. President Obama really push this. The reason US needs health insurance runned by goverment is that current profit insurances are not affordable for poor people. There are many protesters who claims that Obama want to destroy current insurance and what not. Some aurgment doesn't make sense at all but they believe it anyway.

US of A people tend to prefer small government: that is they don't like too much involvement from the goverment. That's why there are many protesters against non-profit health insurance by government. they just want government to leave them. They want to do it by themselves.

However, how could poor people get health care with profit health insurance? That's why Obama want to change it.

Some say these protesters are derived by the rich fat health insurance company. I don't know the truth though.

btw, I've heard that US health insurance has lifetime limit to how much treatment one can get. I've never heard these things in Japanease health insurance, or is it?

2009-09-14

先の時代精神3

またドラえもんの話。

「ウルトラミキサー」の回で、のび太家のトイレは和式であることが描かれている。

「王かんコレクション」の回では、切手コレクションが大流行である。これは当時、実際に流行ったらしい。私の亡くなったじいさんも、結構な数の切手をコレクションしていたはずだ。

「アソボウ」では、のび太のパパが、高級そうなコンポを買っている。もちろん、CDではなくレコードである。作中では、「ちがうなぁやっぱし! からだのしんまでずんずんひびくよ」と言っているが、現代の我々が、レコードなんぞで音楽を聴いた日には、雑音だらけのヘボい音と看過するに相違ない。

私の親父曰く、当時は、「どの会社のレコード針がいいか」とか、「レコードを回転させるには、ベルト駆動かギヤのどちらがいいか」、「スピーカーはどれがいいか」などと言ったことで、喧喧諤諤の論争があり、それで飯を食っている評論家も、大勢いたらしい。親父曰く、「CDの発明により、レコード針や駆動系の会社、それに評論家達は、なんも悪いことしてないのに、皆、職を失った。Aなのか、Bなのかと争っている間に、いや実はCなんだ、イロハなんだ、甲乙丙丁なんだといった、全く違う物が登場して、AもBも、どうでも良くなってしまう。時代とはそういうものなんだ」と。スピーカーに関しても、当時良しとされたスピーカーの特性を計測すると、見事にドンシャリなんだとか。

「昔の常識は今の非常識」とは、私の高校時代の国語教師の口癖だったが、よく言ったものである。現代にも生き残っている、昔気質な評論家の例。
HDDで音質が変わる
本田雅一の「週刊モバイル通信」

「たとえ胃の中、水の中」の回の最後に、のび太がインク壷を飲み込んでしまうというオチがある。インク壷は、万年筆を使っていなければ、そこら辺に転がっているわけがない。

かように、万年筆は、一時期、小学生でも使っており、非常に便利な者だったのだが、何故こんなに廃れてしまったのだろう。ペンを垂直に立てて書く必要のある、ボールペンなどより、よほど自然で書きやすいペンだと思うのだが。

追記:もちろん、未だにレコードには根強いファンがいる。物理的な音溝に針をあてて音を得るというのは、じつにアナログで分かりやすい仕組みだ。また、真空管アンプのファンもいる。真空管など、ノイズに弱いどころか、それ自身がノイズの発生源であるにもかかわらず、だ。ある実験では、ランダムなノイズが混じっているほうが、人は音質がよいと思う傾向にある、という結果がでたらしい。まあ、なんと言おうと、趣味の世界にいる人の決意を覆すことは難しい。

例えば、万年筆だって、機能的には、ボールペンに劣っている。手入れが必要だとかいう点もさることながら、ブルーブラックのインクでさえ、耐水性、耐光性という点で、油性ボールペンに勝てないのである。最近は超微粒子の顔料インクが開発されており、これを使えば、ボールペンにも勝る耐久性を有する字を書けるが、やはり、染料インクに比べれば、手入れが難しい。油性ボールペンは、前述の通り耐久性もさることながら、非常に安価で手入れも必要ないということもあって、到底、万年筆の及ぶ所ではない。

知ることと知らないこと - For How Much Longer Do We Tolerate Mass Murder? 出張所

たまたま、手元に村上春樹の短編集、「夜のくもざる」があったので、「ずっと昔に国分寺にあったジャズ喫茶のための広告」風にコメントを書いてみた。

まあ、経験の違いでしょう。 私が子供の時分、すでに万年筆は絶滅して久しかったのですが、家に万年筆はありました。 たまには、万年筆で字を書いていました。 そんなわけで、私は万年筆について、よく知っていたのです。 家にレコードはありました。ただし、レコードプレイヤーはありませんでした。 というのも、私の両親はCDが発明されるや、その音質の優れた事に感動し、すぐに鞍替えしてしまったからです。 そんなわけで、私はレコードについては、よく知らないのです。 どうかそのことで筆者に詰め寄ったりしないでください。もともとそういうことになっているのです。

まあ、そもそも私は音楽にあまり興味がないというのも、あるのだが。

久々にやってしまった

今日の昼食はサンマにしようと、大根おろしに精を出していたら、米を炊いている鍋からなにやら焦げたにおいが。しまった。ふきこぼしたのを見逃したか。あるいは、元々水が少なかったのかも知れない。とりあえず、これ以上焦がすわけにもいかないので、まだ時間が足りない気もするが、火を止めて蒸らすことにした。多分焦げているだろうなぁ。

サンマだけ先に食べつつ、戦々恐々。

追記:焦げている上に、芯のあるご飯になっていた。仕方がないのでお粥とする。

追記二:今日はよほどツイてない。脚はいまだに痛い。ぼんやりと足を引きずりながら部屋の中を移動していたら、飲みかけの豆乳が入ったコップを蹴り倒してしまった。何故床にコップなどを置いたのか覚えていないが、今さら言っても始まらない。白濁液が床に飛び散っているの図は、ますます気分を消沈させる。拭き取ろうとトイレットペーパーを取りにトイレに行ったら、何と一巻きぐらいしか残っていなかった。まだ買い置きが残っていたはずだと押し入れの中を引っかき回すハメになった。何で週の初めからこんな憂鬱にならねばならぬのか。今週末には一般曹候補生の一次試験もあるというに。

今日は何をやってもうまくいく気がしないので、おとなしく家に閉じこもって、脚を休めることに専念しよう。歩くだけで痛むのは、少々問題だ。昨日、ジョギングを再開するまでは、問題がなかったはずなのに不思議だ。訓練からかえって数日は、肩と肘の痛みを取るため、家で安静にしていたから、気がつかなかっただけかも知れないが。

文覚が頼朝に与えた影響について

平家物語の諸本では、文覚は劇的な活躍をしている。

平家物語の諸本の一致して伝える所では、治承三年(1179)三月日に、文覚は後白河院に寄進を強訴して、伊豆に流されている。頼朝の挙兵が治承四年なので、ものすごく早い展開だ。流されてまもなく、文覚は頼朝と会い、説得し、京都―伊豆間を往復し、平氏追討の院宣を取ってくるという筋書きになっている。

もちろん、史実は異なる。実際の文覚の勧進は、玉葉によれば、承安三年(1173)四月二十九日の事である。頼朝の挙兵までには、まだ七年もの長い時間がある。平家物語は、物語の展開を劇的に見せようと、このような日付の改竄を、頻繁に行っているのである。さらに、文覚は治承二年に、勅勘を解かれて帰京しているのである。理由は、建礼門院が安徳天皇を出産したことによる大赦によってだとされている。だから、愚管抄にある、「四年同ジ伊豆國ニテ朝夕ニ頼朝ニ馴タリケル」とあるのは、間違ってはいないと思う。承安三年に流されたのなら、四年ではなくて、五年かも知れないが。

さて、愚管抄を信じるとするならば、文覚自身が、頼朝に院宣を渡したなどというのは、ヒガ事であるという。ただし、愚管抄には、文覚が空気を読んで、後ろ押ししたなどという事が書いてある。「ソノ文覚、サカシキ事ドモヲ、仰モナケレドモ、上下ノ御ノ内ヲサグリツヽ、イヽタリケルナリ」

ただし、頼朝と文覚の間は、結構深かったようで、頼朝は木曽殿を勘発するのに、文覚を差し向けていたりする。玉葉寿永二年九月二十五日に、「伝聞、頼朝以文覚上人令勘発義仲等云々(つたえきく、よりとも、もんがくしようにんをもつて、よしなからをかんほつせしめたりとうんぬん)」とある。

ところで、この辺りの事情を考察するにあたって、玉葉という重要な資料がある。玉葉の筆者である九条兼実は、愚管抄の筆者とされている慈円の、実の弟にあたる。原・平家物語の筆者とされている、信濃前司行長は、九条兼実の家来で、慈円の弟子だったというから、平家物語、愚管抄、玉葉の関係は、驚くほど狭い話である。

玉葉もいずれ読もうと思っているが、愚管抄より読みにくい。有職の公家の日記なので、当然のことながら、変体漢文で書かれている。平家物語や愚管抄の好い所は、仮名文字で書かれていることなのだ。だから、平家物語や愚管抄ならば、誰でも読めるが、玉葉は、誰でもと言うわけにはいかない。漢文を読むのは、やはり仮名文字より面倒だ。

それに、玉葉を手に入れるのに、また古本屋を巡らなければならないだろう。しかし、もし玉葉が京都の古本屋に売っていなかったら、詐欺に近い。源平盛衰記が売っていない時点で、十分、京都の古本屋の事情は悲惨なのだが。

とりあえずさしあたっては、愚管抄を読破しなければ。

2009-09-13

運動

予備自補の訓練から帰ってきた時点で、額に手のひらを付けることが出来ないほど肘が痛かったものの、昨日は、痛みを感じないほどになった。念のため一日みて、今日、運動してみることにした。

ところが、走ろうとすると脚に違和感を感じる。1kmも走らないうちに、脚が進まなくなった。仕方なく、走るのを断念する。一年以上運動しない所から走った時でさえ、こんなにおかしくはならなかったはずだ。どうやら、空気イスと屈み跳躍の影響が、まだ残っているらしい。

歩くのさえつらかったので、その場で一時間ほどストレッチをして、脚の痛みが治まるのを待ってから帰った。やれやれ、どうしてくれよう。

2009-09-12

予備自補:Naughty sort of things

In this post, I'd like to write about naughty sort of things at Reserved JSDF(Japanese Self-Defence Force).

These sort of things are very important for men. I think I can safely say that almost all man DO masturbate in daily basis. However, these sort of things are hard to tell. That's why I choose English as the language to describe it. That way, I can avoid some of my friends from reading this post, yet I can tell others who has some interests for these kind of things. For that purpose, I should better learn Swahili or something.

So, this post is extreamely naughty and shouldn't be recommended for these people who dislike these sort of things.

Before I write, I must mention about myself. I reject reality and prefer HENTAIs. Think about it. There is no chicks who has a face worth staring it. These hotties you see in photos and movies are almost always photoshopped. The real world is ugly and sucks. That is the reason I choose HENTAIs.

However, Not much people agreed with this idea, and there is no exception in JSDF. Most people prefers real chicks(which I can't understand it though). So, you should be carefull before talking about HENTAIs.

About the dirty talk. At JSDF training, There were 5-10 of us, have to live in one room, no furniture, 'alf the flore was occupied by beds, and no such fancy word like "private". We are men yet We have completly different backgrounds, so what is the best things to talk? About the training, abusing somebody who haven't been there, and these naughty things.

We were talking about these Nudge nudge thingy like how to fuck girl and how does it feel. There are virgin and non-virgin together so it's very interesting to listen about what they're talking about. I, however, doesn't involving these discussions because basically I hate reality. Especially, I can't understand what's good for visiting so-called "soap"(Japanese whore house). Why I have to spend my money to fuck ugly stupid whores? I wouldn't do that if they were paying to me.

How to get a porn is a bit difficult problem. There is a PX(Post Exchange) in JSDF station(J-Ground-SDF use the term 駐屯地 which is officially translated to station.) It offers some dirty books, But not so good. I wonder how could they sell such bad books. It's like they are challenging us "If you can jack off with it, do it". It's Ridiculous. And only one HENTAI book. WTF.

If you have good smartphone, just google'd any porn as you damn well please. That is the best way to get porns from inside the JSDF station.

Now you got your porn. But! There isn't many place you can masturbate with it. Perhaps inside the bath is the only place you can perform required operations.

btw, you don't need to jack off anyway. I got no erection at all within the 10 days of training(and yes I am completely healthy). Even when I read the penguin-club. The reason is simple. Training is hard for both physical and mental. I don't need to be bothered these dirty things.

C++のvolatileについて

ある朝、hitoが不安な夢からふと覚めてみると、2chのC++0xスレで、volatileに関する不毛な話題が繰り広げられているのに気がついた。

C++0x 6

各参考書における、volatileのぞんざいな扱いと、アトミックな操作が可能な処理系では、大抵、処理系独自の方法が用意されていることを考えれば、volatileなど何の役にも立たない無駄機能であることなど、すぐに察せられるのではないだろうか。もし、volatileが本当に役に立つのであれば、参考書はこぞって詳しく取り上げているはずだし、各処理系は、わざわざ独自の方法など用意しなくても良さそうなものである。

どうせ無益だとは思うが、こういう時は、規格を読むのが一番早い。volatileの挙動については、1.9 Program execution [intro.execution]に書いてある。そのほかの箇所に書いてあるのは、型としてどのように振る舞うかという問題だ。

1.9のパラグラフのうち、p1からp6までは、"abstract machine" とやらの定義と、処理系がどのように追随すればいいかということを規定している。それによると、処理系の実装は、見た目が同じならば、どのように実装しても良いらしい。ここまでは、volatile限定ではない一般的な話だ。

さて、p7に、いよいよvolatileの事が書いてある。それによれば、

volatileなlvalueであると示されているオブジェクトへのアクセス、オブジェクトの変更、ライブラリのI/O関数、また、それらの操作を行う関数の呼び出しは、すべて副作用である。すなわち、実行環境の状態を変える事を言う。式の評価は副作用を引き起こすかもしれない。シークエンスポイントと呼ばれる、実行順序のある点において、それまでの評価による副作用はすべて完了していなければならないし、後続の評価によってもたらされる副作用が起きてはならない。

ところで、これはC++03の文面である。ご存じの通り、C++03には、マルチスレッドという概念そのものが存在しない。よって、この規定も、スレッドがない環境のことしか考えていないのだ。

よく分からないのでコードを書いてみた。

void f()
{
    volatile int x = 0 ;
    // この時点で、xはすでに0である。
    ++x ; // #1
   // この時点で、xはすでに1である。まだ2ではない。
    int y = ++x ; // #2
}

#2が評価される時点で、すでに#1の評価と、それに伴う副作用の適用は、すべて終了してますよということだろうか。でもこれは、volatileがなくても当然じゃなかろうか。スレッドがない環境では、これぐらいしか思いつかない。他には例えば、翻訳単位が複数あり、レジスタというものが存在する処理系で、externを使って外部の変数を参照していた時、常にレジスタ上に変数を置いていては、メモリ上の値と同期しない場合がある。そういう場合においても、動作を保証するだとかだとか、そういうこともあるのかもしれない。その場合は、volatileの変数に対する積極的な最適化をしない方向で実装されるだろうと思う。volatileが、積極的な最適化をしないという修飾子だという迷信が広がっているのは、このため歟。何にせよ、処理系に依存しすぎていて、純粋な規格の範疇からは外れてしまう。

スレッドは存在しないが、割り込みはある。p9に規定されている。割り込みが起こった時点で、volatile sig_atomic_t以外の型のオブジェクトの値は、不定であり、volatile sig_atomic_t以外の型のオブジェクトを変更した場合も、未定義である。

つまりはこういうことだろう。

volatile int x ;
volatile sig_atomic_t y ;

// 割り込み用の関数
// 終了したら、割り込み時の実行に戻る。
void interrupt_handler()
{
    ++x ; ++y ;
}

void f()
{// f()の実行中にinterrupt_handler()による割り込みが実行されるものとする。
    for ( int i = 0 ; i != 10 ; ++i )
    { ++x ; ++y ; }
}

void g()
{
    x = 0 ; y = 0 ;
    f() ;

// xの値は未定義
// yの値は11
}

割り込みならば意味があるが、型がvolatile sig_atomic_tでなければならない。

もう一度言うが、スレッドがどういうものなのか、C++03は知らない。もちろん、処理系はこれらの挙動と同じであれば、それでいい。それ以上のことをしてもかまわないわけだ。例えば、型がvolatile sig_atomic_tでなくても、割り込み時にアトミックな操作が保証されるだとか、スレッドというものが存在する処理系においては、スレッド間でもatomicな動作を保証するだとか、そういう風に実装するのは、処理系の自由である。ただし、実装しなくても、一向にかまわない。

ちなみに、C++0xでは、p7相当の文面が消えてしまっている。たぶん、registerと同じで、あまり役に立たなかったからだろう。
p13に残っていた。ただ、文面がだいぶ変わっている。これ、使い物になるんだろうか。

そもそも、C++0xでは、アトミックな操作が標準ライブラリに取り入れられているので、volatileなどという、不透明な修飾を用いる必要などないだろう。

2009-09-11

予備自補:靴磨きについて

自衛隊では、半長靴と呼ばれる革靴を履く。革靴を使うにあたって問題になるのが、手入れだ。スニーカーなら、丸ごと水洗いでもすればいいのだが、革靴はそう易々と水洗いするわけにはいかない。よほどのこと、例えば、雨や泥や海水に浸かったのでもない限り、水洗いするべきではない。

靴磨きやベッドメイク、アイロンといえば、いかにも軍隊的な躾だ。ただ、予備自衛官補だから緩いのか、教えられた靴磨きの方法は、どうも最上とはいいがたいものだった。

  1. ブラシで土埃を落とす。
  2. 官品のチューブ入りのリキッドクリームを、ブラシで擦りつける。
  3. ウエスでこする。

予備自補とはいえ、どうもこれはあんまりだと思う。私もあまり詳しい方ではないが、だいたい調べた限り、以下のような手順が一般的ではなかろうか。

  1. 泥、海水などの汚れがあまりに酷い場合、水洗い。
  2. 単なる土埃程度なら、ブラシで落とす。
  3. 汚れ落としを使い、前の靴墨を落とす。
  4. 皮が固いなどの場合は、ミンクオイルを塗る。
  5. しばらく放置
  6. ワックス入りの靴墨を塗る。
  7. しばらく放置
  8. ウエスでこする
  9. 水を数滴つけて、靴先を鏡面磨き

個人的には、鏡面磨きは、見た目が良いだけで、靴にとってはどうかと思うのだが、まあ、訓練ならありだろう。

また、水の代わりに、唾液を使う方が好いと主張する人がたまにいる。個人的には、唾液はよろしくないように思う。また、塗るだけでピカピカになるという触れ込みのお手軽クリームも、あれはペンキを塗っているのと、あまり変わらないのではないかとも思う。

2009-09-10

予備自補:タバコについて

今さら言うまでもなく、私は、タバコが大嫌いである。タバコなんぞを吸っている阿呆は皆、生きている価値がない。しかるに、自衛隊はこのタバコの問題に関して、実に無頓着である。

自衛隊では、灰皿のことを煙缶(えんかん)と呼ぶ。この煙缶が、建物の出入り口には、大抵設置されている。理不尽の極みというほかない。出入りのたびに煙を吸わねばならぬし、ドアは常に開放されているので、煙が廊下を通って、居室内まで入り込んでくる。一日のうち、煙を吸わないと言うことは不可能である。実に腹立たしい。私としては、もし民主党が、タバコを全面的に禁止してくれるのであれば、たとい日本がジンバブエやソマリア並みの経済になろうとも可である。もっとも、ジンバブエやソマリア並みの経済になって、麻薬がはびこらないわけがないのだが。

このタバコの問題のため、現在、私は自衛隊に入る意欲を、半ば喪失している。一応、秋の試験は受けるものの、何か別の働き口も模索せずばなるまい。

2009-09-09

先の時代精神 2

「○○が××と△△する」の回は、時代精神が豊富だ。例えば、のび太が、「ドラえもんが、ママと、テーブルの上で、ゴーゴーをおどる」と書く場面がある。ゴーゴーは、今や死語になっている。同じページの上の電話機は、黒電話の、ダイヤル式だ。おそらく、現代人には使い方の分からない人もいるだろう。

「タイムふろしき」の回では、白黒テレビが壊れたのでカラーに買い換えようというセリフがある。また、全自動式の洗濯機が欲しいというセリフもある。

どうもマンガの描画をみると、のび太家の使っている洗濯機は、洗濯機は一層しかないように見える。つまり、脱水槽がないのだろう。自衛隊の隊舎には、二層式の洗濯機が現役で使われているが、さすがに一層式は、私が生まれる二十年ぐらい前の物なので、実物を見たことはない。

ところで、自衛隊もあれだけ人がいると、いまだに二層式を好む人間がひとりふたりいたりする。世の中面白い物だ。

漢字が書けるようになってきた

メモ帳を持ち歩くようになってから、特に努力はしていないが、漢字がすぐに出てくるようになってきた。以前は、簡単な漢字も思い出すことが出来なかったというのに。どうやら、物事は使わないとすぐに忘れるものらしい。

筋肉痛はだいぶマシになった。数日で消えるだろう。ただし、肩と肘の関節の痛みは、まだ時間がかかりそうだ。一週間はみなければ。

2009-09-08

帰宅

クタクタになりながら帰宅。疲れた。

何しろ、腕立てをやり過ぎたからだ。肩と腕が、これまでにないぐらい筋肉痛だ。肘が曲がらないし、腕を上に上げるのもつらい。ただ、厳しい方が緊張感があって、悪くないのだが。

さて、とりあえず、筋肉痛を治さなければ。

2009-09-03

先の時代精神 1

ドラえもんの一巻を読んでいたら、「ペコペコバッタ」の回で、ある悪徳警官が、「ベトナム戦争も、光化学スモッグも、物価の値上がりも、みんなぼくの責任です。」などと言っている。時代を感じる。

また、「○○が××と△△する」の回では、しずかちゃんが万年筆を使っている。しかも、吸引式である。インクが飛び出ることをオチにしているのだが、今の人には分からないだろう。

実際、万年筆を使っている私にも、実感できないのだ。昔の万年筆は、振ったらインクがドバドバでるようなものだったと聞いている。しかし、最近の万年筆は、作りが良くなっていて、よほどの衝撃が加わらない限り、インクが飛び出ることはない。しかも、ごく少量しか飛びでない。また、最近の万年筆は、カートリッジが主流で、インクを直接使いたければ、コンバーターを使うようになっている。モンブランやペリカンは、未だに吸引式の万年筆を扱っているのだろうか。私はプラチナ万年筆しか使っていないので、その辺は不勉強である。第一、日本の万年筆のシェアの第一位は、おそらくパイロットであろう。パイロットはカートリッジかコンバーターである。プラチナ万年筆は、コンバーターにはあまり力を入れていない。まずカートリッジ限定である。吸引式の万年筆など、本当に趣味の世界でしかない。そもそも、万年筆自体が趣味か。ボールペンより、よほど使いやすいと、個人的には思うのだが。

まあ、時代精神と言えば、のび太のパパの着流しとか、スチール机とか、他にも色々あるのだが。

続く、かもしれない。

2009-09-02

興味深い文化の違い

この動画の猫が可愛いのはもちろんだが、問題はそこではない。セミの音だ。

この動画の英語のコメントに、バックグラウンドで流れている音は何なんだという声が、ちらほらある。ある人は、鳥だろうと言っている。

セミの声で、我々日本人は、夏だと言うことを実感するわけだが、セミがいない所では、そんな文化が生まれるわけもない。日本のドラマや映画の翻訳の一環として、セミの声を消すという作業もあるらしい。というのも、日本人には、セミの声が入っていることで、夏真っ盛りを演出したいという意図がわかるのだが、セミのいない所に住む人にとっては、単なる意味不明のノイズでしかないからだ。

話には聞いていたが、実際にこのようなコメントを読むと、やはり実感というものが沸く。

2009-09-01

運動再開

昨日はさすがに運動を休んだ。明らかに疲れていたからだ。今日は、一応疲れは取れたが、念のため、軽めに運動しておくことにした。

4kmをいつもより5分以上遅く走り、腕立てと腹筋をした。

最近、またC++熱が上がってきている。しかしそうなると、自衛隊ではなく、C++の仕事に就きたい。しかしまた、果たして原理主義のC++プログラマにとって理想的な職場などあるのかという疑問も沸く。もうこの業界の求人の面接に行くのが疲れたのだ。正直な性格をしている私は、それ以外の明らかに間違った思い込みを看過するわけにはいかぬのだ。「C++にテンプレートなんて必要ないでしょ? 趣味でやれば? 仕事には使わないでね」、「関数なんて使わずにmainに全部書けば早いでしょ?」

論語、子罕第九に云う。

子貢曰、有美玉於斯、韞匵藏諸、求善賈而沽之哉。沽之哉、我待賈者也。

子貢曰く、ここに美玉あり、(ひつ)(おさ)めてこれを藏せんか、善賈を求めてこれを()らんか。これを()らん哉。我は賈を待つ者なり。

しかしまた、老子の云うように、むしろ、「被褐懐玉(かつをきてぎょくをいだく)」の方が、幸せなのではないか。

自分が褐を被ているのは間違いないが、懐いているのは果たして玉か。ただの木石にあらずや。

これはひどい

陸自14万人分の情報漏えい容疑 過去最大、1等陸尉を逮捕 - 47NEWS(よんななニュース)

陸上自衛隊の隊員ら約14万人分の個人情報を含むデータを記録したCD―ROMを持ち出し、外部の業者に提供したとして、陸自警務隊は31日、行政機関個人情報保護法違反の疑いで自衛隊鹿児島地方協力本部の1等陸尉徳永安成容疑者(46)を逮捕した。

個人情報は陸自のほぼ全隊員と家族の氏名や連絡先などで、自衛隊員の個人情報をめぐる漏えい事件としては過去最大規模とみられる。防衛秘密などは含まれていないという。

警務隊は情報提供の見返りに業者との間で金銭の授受などがなかったかも含め捜査している。

防衛省によると、7月中旬、「東京都内で陸自隊員の個人情報などが入ったCD―ROMを拾った」と匿名の連絡が同省にあり、調べたところ、徳永容疑者が浮かんだという。

同省によると、徳永容疑者は鹿児島地方協力本部の鹿児島募集案内所で隊員の募集業務などを担当しており、隊員の個人情報を扱っていたとみられる。

自衛隊鹿児島地方協力本部(鹿児島市)広報企画室の平石義和企画班長の話 機密情報は含まれておらず、外部の方の個人情報でもないため、社会的な影響は大きくないと考える。自衛隊組織ではなく個人による犯罪であり、記者会見は開かない。われわれは個人情報を守る立場にあり、容疑者の住所などはマスコミに公表できない。

「拾った」といういかにも不思議な発表は、違法捜査の言い訳だという噂もある。あくまで噂だ。ただ、陸自14万人といえば、陸上自衛官のほぼ全員にあたる。流出できる状態にあったというだけで、悲惨だ。

しかし、鹿児島の地本の一尉が、全国のほぼ全員分の陸自隊員の情報を得られる状況だったというのも、だいぶ危うい。

というより、こんなことが明るみに出ただけで恐ろしい。普通は、影響が大きすぎて、数十年は発表できないんじゃないかと思うのだが。たぶん、これ以上詳しいニュースは出ないだろうと思う。やはり、実害のないおとり捜査の類だったのだろうかと邪推してしまう。陰謀論が好きな人間ではないのだが。