2012-06-06

バーナーズ=リー「世の中はようやく、インターネットが誰にも属さないことに気がついたようだ」

Berners-Lee: World Finally Realizes Web Belongs To No One | Wired Enterprise | Wired.com

いまこの記事をWebブラウザーで読んでいるのは、サー・ティム・バーナーズ=リーのおかげである。こんなふうにハイパーテキストを使ったり、http://www.wired.com/wiredenterprise/2012/06/sir-tim-berners-lee/のようなインターネット住所を使うが、実際のアドレスは目にしないのも、彼のおかげである。

90年代の初めにスイスのCERNの核研究所で、最初のWebブラウザーが作られようとした時、この英国生まれのバーナーズ=リーは、アドレスは技術者しか見なくてもいいようにシステムを設計した。最初のWebブラウザーは、テキストとハイパーテキストしか表示せず、キーボードで何もタイプしなくてもページからページヘと飛ぶことができた。

「Webの当初の設計では、ユーザーはhttp://を見ることはなかった。単にテキストを読み、リンクをクリックするのだ」とバーナーズ=リーはWiredに語った。「最初のWebブラウザーでは、アドレスを表示するには特別なリンク表示機能を使う必要があった。だから、http://が読みにくいということは、問題にしていなかった。見るべきものではないからだ。」

Webが進化するにつれ、この設計は失われた、少なくとも部分的には。しかし、Webは期待を上回る向上をしたと言わねばならない。2010年、国際電気通信連合によれば、世界人口の三分の一がWebを使い、当初テキストを共有する目的で作られたものが、音声から動画からソフトウェアにいたるまで、あらゆるものを共有する媒体に変革し、ローカルコンピューターの枠を取り去ったのだ。

2004年、エリザベス女王はWebの誕生に寄与した功績として、バーナーズ=リーをナイトに叙した。この年、他の多くの表彰の末、サー・ティムは、Vint CerfやSteve Crockerに並んで、インターネット社会の偉人に列を連ねることになったのだ。

CerfとCrockerは、インターネットの父の長いリストの載っているふたつの名前に過ぎない。世の中は、インターネットがいつ作られたのかについてすら、決着をつけられないのだ。しかし、Webの起源は、一人の人間に帰結できる。1989年3月、ティム・バーナーズ=リーは、CERNで上司に、新しい「情報管理」のシステムの提案を提出した。上司は、「なんだかよくわからないが面白そうだ」といった。そこから数年かけて、Robert CailliauをはじめとしたCERNの研究者達の助けを借りながら、Webの根本となるハイパーテキスト・トランスファー・プロトコル(Hypertext Transfer Protocol)、HTTPが提案として出来上がっていった。

基本的に、バーナーズ=リーは、ハイパーテキストというアイディアを、既存のインターネットの転送コントロールプロトコル(Transfer Control Protocol、TCP)とドメイン名システム(Domain naming System、DNS)に組み合わせたのである。この時、80年代の後半、ハイパーテキストというのは既知のアイディアであった。バーナーズ=リーも言うように、すでにCD-ROMインターフェースなどの他の技術で使われていた。「私は単に、ハイパーテキストというアイディアをTCPとDNSに結びつけて、ジャジャーン、ワールド・ワイド・ウェブ、としただけさ」と彼は過去に書いている

この時、彼が下した設計上の選択は、未だに議題に上がる。二年前、ロンドンのTimesのインタビューを受けた時、彼は当時、ふたつのスラッシュではない設計にして、世の中を「多大な混乱」から救うことできたのだという回想をした。しかし、HTTPアドレスを設計した時、彼は皆のために設計したのではなかった。彼は、既存のコンピューターシステムと、出来る限り親和性の高いものにしようとしていたのだ。

「フォーマットとプロトコルは、既存のものに、できるだけ似せるように設計した」と彼は説明する。HTTPはNNTP、つまりネットワーク・ニュース・トランスファー・プロトコル(Network News Transfer Protocol)によく似たものになるべく設計された。このプロトコルは、インターネット上のニュースグループで使われていた。「目的は、既存のプロトコルを知っている者達をして、「おお、こいつぁ知っているぞ」と言わしめることであったのだ」

Webページを定義するハイパーテキスト・マークアップ・言語(Hypertext Markup Language、HTML)は、既存のマークアップ言語に似通ったものになるよう設計された。特に、CERNで使われていたSGML、標準汎用マークアップ言語(Standard Generalized Markup Language)だ。webアドレスの先頭に来るふたつのスラッシュは、Apollo/Domainというワークステーションのファイルシステムから来ている。「スラッシュがふたつなのは、あるコンピューターシステムでは、「コンピューターの外に出るよ」という意味だった。スラッシュひとつだと、ローカルのファイルシステムを意味する。スラッシュふたつは外を意味したのだ」

しかし、CERN外の研究者がWebブラウザーを実装した時、とくにイリノイ大学の米国立スーパーコンピュータ応用研究所のMarc Andressenの開発したモザイクブラウザーでは、この長いWebアドレスは、エンドユーザーに提示されることになった。ページの上部に、アドレスバーをつけたのだ。

そういうわけで、Webの基本的なところすら、バーナーズ=リーの思い描いたものとは、多少異なることになった。アドレスの名称も異なる。世間では、URL、Uniform resource locatorsと読んでいるが、サー・ティムは、今でもURI、Universal resource identifierと読んだほうが好ましいと考えている。

まあしかし、これはWebが受け入れられた過程のことだ。バーナーズ=リーは、単にWebを創造しただけではなく、創造物は「オープン」、すなわち皆がこの技術を、無料で使えるようになるべきだと決断したのだ。これによりWebは広まったが、創造もしない広まり方もすることになった。

そう、この古めかしいURL、もといURIは、Googleその他が、場合によって一部省略したりもするが、まだ存在するのだ。しかし、まだある。世界人口の三分の一に広がった今、Webは人々を、やや技術者っぽくしている。

バーナーズ=リーは言う。Webが広まっているものの、内部フォーマットとプロトコルがオープンであることや、ひとつの団体がインターネットを支配しないことの重要性が、一般大衆に理解されていないのではないかという懸念だ。しかし近年になり、彼は、世間がこの問題に反応したことに驚き、そして満足した。

そのとおり。彼にはまだ不満がある。特に、モバイル機器にWebを浸透させるため、ローカルなソフトウェアアプリケーションが盛んになっていることだ。「もし、iPhoneのアプリでブラウズしているのであれば、単にURLをつぶやいたりメールしたりすることはできない」と彼は言う「URLがあれば、それはWebの一部である。人類の明文化された情報の一部である。その良し悪しを皆が判断できる。批評することができるし、検索エンジンで見つけることができる」

「スマフォアプリやタブレットアプリにしてしまえば、その上の情報はこの既存の仕組みに載らない。これは損失である。」

同じように、と彼は言う。LinkedlnやFacebookなどのソーシャルネットワークに記録されているほとんどの情報は、情報へのアクセスを制限するように設計されている。「貯蔵庫だ。Facebookはどの画像に自分のかを知っている。しかし、その情報は、Linkedlnにいるときには使えない。同じ画像をLinkedlnの友人やFacebookの家族と同時に共有できないのだ」

とはいえ、今や世の中は、政府やISPがWebへの中立なアクセスを提供することがいかに重要であるかを理解している。「常に、巨大な団体がネットを支配しないかどうか、懸念しなければならない。それが国家であろうと企業であろうと」と彼は言う。「しかし、ここ数年の動きを見るに、一般大衆はこの問題にだいぶ気がついているようだ。私はかつて、これを問題視しているのは私だけで、孤軍奮闘して、「誰もインターネットを支配しないように気をつけろ」と叫んでいるのではないかと危惧していたのだが、どうやらそういうわけではなかったようだ」

たとえば、エジプトのような国家がインターネットアクセスを遮断した時、非難は非常に大きかった。ISPが不必要にコンテンツやトラフィックをブロックしている時も、同じように非難される。「今では、非難の声が聞こえるようになった」と彼は言う。

「URLは変わるべきではない」と彼はいう。「何故ならば、これこそが全てを結びつけるものだからだ」

実際、多くの不自由なスマートフォンやタブレットと称する新興デバイスが、アプリと称して、データへのURLを隠しているのは、憂うべき事態である。URLなくしては、我々は情報へのリンクを簡単に貼ることができない。リンクできない情報は、存在しないも同義なのだ。

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