2012-06-25

ジョージ・オーウェルの1984の冒頭を訳してみた

どうにも最近、C++の参考書をすすめる意欲がわかない。時間を無駄にするよりはと、今日はふと思い立って、1984の冒頭を訳して見ることにした。

ジョージ・オーウェルの1984は、戦時加算の939日と翻訳権六ヶ月延長を考慮しても、すでに著作権が切れている。

第一章

四月の、まぶしくも寒い日のことであった。時刻はついさきほど、十三時を打ったところだ。ウインストン・スミスは、寒さしのぎに顎を懐に埋めながら、ガラス戸を抜けて勝利豪邸に素早く滑り込んだ。だが、舞い上がる土ぼこりの侵入を防ぐほど素早くはなかった。

通路はゆでたキャベツと古びたボロ布マットの臭いがした。通路の先には、カラーのボスターが貼られている。部屋に貼るには大きすぎるポスターが、壁に貼りつけられている。ポスターには、巨大な顔だけが浮かんでいる。一メートル以上はある、年の頃四十五の、黒々とした口ひげをたくわえた、勇ましい男の顔だ。ウインストンは階段に足をかけた。エレベーターは使い物にならない。調子のいい時でさえ、たまにしか動かないのだ。ましてや憎悪週間の準備のために、日中の電力が制限されている最中なのだ。部屋は七階にある。膝を痛めている三十九歳のウインストンは、休み休みゆっくりと階段を登っていった。各階のエレベーターの向かい側には、ポスターの巨大な顔が壁を見つめている。このポスターには仕掛けがしてあり、周囲の人間の動きに合わせて、目が追いかける仕組みになっているのだ。「偉大なる同志は見張っているぞ」とポスターの下部に印刷されていた。

部屋に入ると、何やら銑鉄の生産に関することを読み上げる声がした。声は、右手側の壁一面の曇った鏡のような丸い金属面から発せられていた。ウインストンがスイッチをひねると、声は少し小さくなったものの、依然として聞こえる程度の音量は保たれていた。この望遠画面(テレスクリーン)と呼ばれている装置は、多少の調整はできるものの、完全に止める方法はないのだ。窓に向かうと、党の制服である青い作業服を来た姿は、背景に溶け込んでしまいそうであった。ふさふさとした髪、自然と笑みをふくむ顔、粗悪な石鹸と切れ味の悪いカミソリによって荒れた肌。冬の寒さが終わったのだ。

閉めきった窓越しからでも、外にみる世界は寒々としていた。通りでは、つむじ風がホコリや紙くずを巻き上げ、日が照らしているとはいえ、空は青寒く澄み渡り、世界には色彩というものが欠けていた。ただし、いたるところに貼られているポスターは別だ。黒口ひげの顔は、あらゆる四つ角を見下ろしていた。ちょうど向かいの家の前に貼られている。「偉大なる同志は見張っているぞ」と文字に言う。黒い目がウインストンの目を深く見つめていた。通りをひとつ下ったところで、別のポスターが、片側だけとめられ、風にひるがえされていた。裏側には、単にエイシャとのみ、書かれていた。遠くでヘリコプターが屋根から屋根へと見張りの目を向け、ハエのように浮かび、また急に向きを変えて急ぎ飛び去っていった。あれは警察の巡回で、人民の窓辺を見張っているのだ。巡回は関係がない。思想警察が重要なのだ。

ウインストンの背後では、望遠画面がまだ、銑鉄と、第九回三カ年計画の計画を大幅に上回る実績についてつぶやいていた。望遠画面は、受信と送信を同時に行う。ウインストンが発した音声はすべて、極めて小さなささやき以外は、検出される。しかも、金属面の見える場所にいれば、向こう側に聞こえもすれば見えもするのだ。もちろん、ある瞬間に監視されているかどうかを知るすべはない。いかなる頻度で、あるいはどのような仕組みで、思想警察が回線を監視しているかは、想像に頼る他はない。彼らが全員を常に見張っている可能性だってある。とはいえ、いつなん時でも、彼らは好きな時に回線をつなぐことができるのだ。我々はこのような状態、つまりおよそ発する音声はすべて傍受され、暗闇でなければあらゆる動きは監視されているという状態に慣れなければないのだ。

ウインストンは始終、望遠画面に背中を向けていた。この方が安全だ。とはいえ、もちろん了解しているように、背中ですら雄弁である。一キロ先には、彼の職場である真実省の偉大に白い建物が、地表に生えていた。「これが」と彼はやや不快感をともないながら思考する。これがロンドンだ。第一空除(エアストリップ・ワン)の大都市だ。大洋国(オセアニア)の三番目に人口の多い場所だ。子供の頃の記憶をたどってみる。果たして、ロンドンは常にこんな感じだっただろうか。いま眼の前に見える朽ち果てた十九世紀からある家々が、倒れぬよう裸の木材で支えられ、窓には破れを塞ぐためにダンボールが貼られ、屋根はトタン板で、塀は破れていただろうか。そして爆撃を受けた場所にチリがまい木々が倒れ、爆撃により一掃された場所には、ニワトリ小屋のようにアバラ小屋が立てられていただろうか。だが、無理だ。覚えているわけがない。かろうじて覚えている子供の頃の思い出といえば、なにかぼんやりとしたイメージだけなのだ。

真実省ー新語ではショーシン[1]ーは、目に映る他のものとはひときわ異なっている。巨大なピラミッド型で眩しいほどに白いコンクリート造りで三百メートルの高さにそびえ立つ。ウインストンが今いる場所からでも、見事な字体による党の三つの標語が、くっきりと読める。

戦争とは平和
自由とは奴隷
無知とは力

注:新語は大洋国の公用語である。その構造と語彙については、巻末資料を参照されたし。

話によれば、真実省には地上から数えて三千もの部屋があり、地下にも同様に部屋があるそうだ。ロンドン内には、後三つ、同じ形と大きさの建物がある。周囲から完全に突出していて、勝利豪邸の屋上から、四つの建物がどれも見えるのだ。これは政府を構成する四つの省の大本営である。真実省は、報道と娯楽と教育と芸術が専門である。平和省、これは戦争が専門だ。友愛省は法律と秩序を徹底させる。豊富省、これは経済や物資を取り扱う。新語ではそれぞれ、ショーシン、ショーヘイ、ショーユー、ショーホーとなる。

友愛省は恐ろしい建物である。まず窓が一切ない。ウインストンは友愛省の中に入ったことはなく、ましてやその五百メートル以内に立ち入ったことすらない。用事がなければ立ち入ることのできない場所なのだ。入るには、鉄条網の迷路を抜けて、鋼鉄のドアをくぐり、機関銃の銃眼を抜けなければならない。建物に続く道すら、黒い制服に身を包み警棒で武装したゴリラ顔の警備員が大勢配置されているのだ。

ウインストンはさっと振り返った。望遠画面に向かうときは、顔面を穏やかな楽観的表情にしておくのが望ましい。部屋を横切り、小さな台所に向かう。この時間に省の勤務を抜けてきたため、食堂での昼食は諦めねばならなかったのだ。台所に食物のない事は承知している。黒ずんだパンの塊があるきりだが、これは明日の朝食にとっておかねばならぬのだ。戸棚から無色透明の液体が入ったビンを手にとった。ラベルには、「勝利ジン」とある。中国の米から作られた蒸留酒のような、病的で油のような臭いが鼻につく。ウインストンはコップに一杯分ほど注ぐと、覚悟を決めて、薬のように飲み干した。

たちまちに顔が赤くなり目が乾く。まるでニトロのような効き目、背後から棒で殴られたような衝撃。次の瞬間、喉元の焼け付きが過ぎて、世界が楽しげに見え始めた。「勝利タバコ」と印刷されたタバコの箱から、一本取り出して高々と掲げた。勢い余って、タバコを取り落としてしまった。もう一度挑戦すると、こんどはうまくいったようだ。居間に戻って、望遠画面の左側にある小さな机に座った。机の引き出しから、ペン軸とインク壷と、分厚い無地の自由帳を取り出した。自由帳は赤黒で大理石模様の表紙が付いている。

どういうわけか、居間にある望遠画面の設置場所は、ちょっと変わっているのだ。普通ならば壁の隅に設置され、部屋全体を見渡せるようになっているはずなのだが、なぜか窓の向かいの長い方の壁に設置されている。その隅には、今ウインストンが座っている、くぼんだ小部屋がある。おそらく、この部屋が作られた時には、書斎にでもするつもりだったのだろう。このくぼんだ小部屋に座って、壁に背を向けることで、ウインストンは望遠画面の目視による監視範囲から外れることができる。もちろん、依然として音は聞こえるわけだが、この今の場所にいる限り、見られることはない。この不思議な部屋の配置は、ある事をするのに最適だ。

しかし、この事というのは、引き出しから取り出した自由帳があるからこそ、したくなったのだ。この自由帳は特別に美しい冊子であった。その滑らかな白い紙は経年劣化によりやや黄ばんでいる。このような品物は、もう四十年は製造されていないはずだ。いや、思うにこの冊子はもっと古いはずだ。この冊子は、スラム街の小さな骨董屋の窓に置いてあるのを見つけたのだ。どのスラム街だったのかは覚えていはない。とにかく、なぜだか無性に欲しくなったのである。党員はそのようなどこにでもある店には行くべきではない。それは「自由市場との取引」と呼ばれている行為だ。しかし、この規則はそれほど厳格に守られているわけでもない。というのも、たいてい何か、靴紐なりカミソリなり、他の手段では手に入らない品物があるのだ。彼は素早く通りに目をやると、店に滑りこみ、二ドル五十セントで冊子を買った。その時点では、特に何か目的があって買ったわけではなかった。かばんに入れて、後ろめたさを感じながら帰路についた。たとえ何も書かれていなくとも、このようなものを所有することは恥ずべきことなのだ。

今、彼が使用としている事とは、日記をつけることであった。これは違法ではない。今や法律は存在しないのだから、違法などというものはもとより存在しない。しかし、もし見つかれば、まず死刑か、少なくとも25年の強制労働所送りだ。ウインストンはペン軸にニブを差し込み、油を取るために舐めた。つけペンは、もはや署名にすら滅多に使われることのない、大昔の筆記用具である。つけペンを手に入れるのにも、こっそりと大変な骨折りをしなければならなかった。やはり、このような美しい真白の紙には、インクペンシルではなく、本物のニブがふさわしいと思う。実のところ、手で書くということには全く不慣れであった。ごく短いメモを除けば、およそ文章はすべて話し書き(スピークライト)で書かれているのだ。もちろん、今これから行う事に、話し書きを使うことはできない。ニブをインクに浸して、一瞬たじろいだ。恐怖がからだを駆け抜ける。紙に記述することは揺るがせぬ行為となって残る。小さくつたない字で、彼は書いた。

千九百八十四年、四月四日

彼は背をもたれた。どうしようもない感情がこみ上げてくる。そもそも、今年が千九百八十四年であるかどうか、定かではない。しかし、このぐらいの年であるはずなのだ。というのも、自分は三十九歳であるはずで、自分が生まれたのは、千九百四十四年か千九百四十五年あたりだからだ。しかしもはや、一年や二年ぐらいの日付の誤差は、どうにもならないのだ。

「そもそも」と彼は疑問に思う「一体誰の為に書いているのだ」と。未来の未だ生まれぬ世代のためか。紙に書かれた不確かな日付に思いを巡らし、そして、新語の言葉である「二重思考」に突き当たった。ここに来てはじめて、事の困難さを意識したのだ。どうやって未来に託すのだ。そもそも不可能ではないか。未来が現在を継承するのであれば、この声は届かないだろうし、違ったものになるとすれば、この現在の状況は無意味だ。

しばらく、ぼんやりと紙を眺める。望遠画面は勇ましい軍隊音楽に変わっていた。今、彼が自己を表現する力を失っているという状況は興味深いことであるが、そもそも何をすべきであったかということすら忘れているのは、さらに不思議な事態である。何週間も、彼はこの瞬間のために準備してきたのだ。彼はこの事を為すにあたり、勇気以外には何物も必要ないと考えていた。書くこと自体は簡単だろう。単に、頭の中に長年浮かんできた独白を書きつづればいいだけだろうと。しかし、こうなってみると、独り言すら浮かんでこない。しかも、足の腫物がかゆくて仕方がない。しかしひっかいてはならぬ。前にひっかいたところ、よりひどくなるだけだったからだ。時間のみが過ぎていく。彼は依然として何も書かれていないページを見つめている。かかとの上がかゆくて仕方がない。音楽がやかましい。ジンですこしほろ酔いだ。

急に、何かにとりつかれたかのように、何か自分でもよくわからぬものを書き始めた。小さくつたない手書きの文字がページを埋めていく。大文字に頓着せず、句読点も気にせず、

千九百八十四年、四月四日。きのうのばん、映画いった。ぜんぶ戦争もの。いっこいいのあって、なんかどっかの地中海だかの人間が爆撃されてるやつ。デブが追いかけるヘリから泳いで逃げてるとこが観客に大ウケ、そいつさいしょなんかイルカみたいに水んなかぷかぷかしてて、でそいつヘリの銃座から丸見え、でそのあとすぐそいつ穴だらけ、周り真っ赤で穴から浸水したみたいに沈んでくの、沈むとこ観客に大ウケ拍手喝采。で、子供満載のボート写ってヘリがその上飛んでた。そこにたぶんユダ公だと思うんだけどオバハンが三歳ぐらいのちっちゃな男の子抱きかかえてた。子供怖がって泣いててそれで隠れてるつもりなのかオバハンにしがみついててオバハンは大丈夫だよって腕回してるんだけどでも明らかにオバハンも震えてるのがまるわかり、オバハン自分の腕が防弾仕様みたく子供守ってた。でヘリが二十キロの爆弾投下ピカッと光ってボート粉々。んで、子供の腕が空高く吹っ飛んでくのを撮ったのが流れてたぶんヘリの先にカメラでもつけてたんだろうけど党員席からは大歓声だけど無産者の席の女がわめいててこんなのこどもの前でみせるべきじゃないこどもとかなんとかかんとか警察きて女連れてってまあたぶん大丈夫だろうけど誰も無産者のことなんか気にしないしだいたい無産者というのはいつもいつも

十分な需要があるならば、C++の参考書を書き終わった後に、1984の翻訳に取り掛かって、GFDLの元に販売するというのも面白いかもしれない。

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