2009-05-04

漢字の使い方というのはいい加減である

万年筆の書き心地がいいので、数学を勉強するかたわら、論語を書写している。ところが、手持ちの論語の本は、実に1963年に初版発行の、第三十三版である。実際に印刷されたのは、1983年だ。私よりも長生きしている本だと言える。この本、ひとつ難がある。多くの異本や解釈を、それぞれ載せようと試みているのだ。異本に差がある場合は、一番長いものを書いて、そのdiffを点で表している。また、朱子学の解釈をも載せている。これには問題がある。

朱子学、これほど、日本の義務教育の歴史教科書が正しく伝えていない学問はない。歴史教科書曰く、「当時、武士たちは、朱子学を能くした」と。これだけである。朱子学のなんたるかは、さっぱり伝えていない。

はっきり言おう。朱子学とは、学びて思わざりし暗愚が、文章をごった煮にして作り出したツギハギだらけのイデオロギーの塊である。歴史教科書は、このことを全然伝えていない。否、伝えていないどころか、当時、こんな主観的でオカルトめいた宗教を学んでいたことが、学問であるかのように伝えている。不思議なことだ。

追記:本題を書き忘れた。手持ちの論語の本では、吾十有五而志于學、となっているべきところが、吾十有五而志乎學、となっていた。手持ちの新字源には、たしかに、乎が、于や於の変わりに使われるようなことが、小さく書いてある。しかし、どう考えても、いい加減だ。

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