昔々、とはいってもたかが5, 6年ぐらい前まで、2ch.netでは、2ch語とよばれる、一種独特の言語が流行っていた。
藻前らみたいな香具師は半年ROMっても分からんだろうから、特別に教えてやると、2ch語というのは、こんな風にわざと誤字、脱字を多用した言語のことであると言ってみるテスト。
しかり、ほんの五年ほど前まで、2ch語の数の多いことは、今日の比ではなかった。多くの者は、無理やり使おうとしている感がする文章を書いていたが、結局、使っていたことは使っていたのである。それが、一体どうして、わずかにその名残をとどめるだけで、消え去ってしまったのか。
一方、時を同じくして、英語圏でも、当時はleetが流行っていたが、今は、殆ど死滅してしまった。これは一体どうしたことか。
誰か、この言語の流行り廃りが、何故起こるのかという研究している言語学者はいないものだろうか。インターネットでは、その流行り廃りの速度が著しく早く、また範囲も物理的な地理に制限されないということはあるが、基本的には、ネット以前の言語の流行り廃りと変わらないはずである。従って、ネットで使われている言語に当てはめられない法則は、単なる一学者の妄想であり、大いに間違っていると言わざるをえない。
私の意見としては、2chは大衆化しすぎたのではないかと思う。今の2chには、貴賎上下様々な人間が存在し、到底、共通の価値観を共有しあえない。とすると、共通の独自言語というのも、無理な話だ。
まあ少なくとも、資料だけは豊富だ。何しろ、一次資料である過去ログが、すべて残っている。しかし、残念ながら、いくら当時の一次資料であるとはいえ、過去ログを読んでも、理解できることは少ない。なぜなら、当時の社会情勢や話題の出来事などといった事が、言語に反映されているので、現代の我々には、到底理解不可能である。
思うに、これは俳諧と似ている。本来、俳諧とは、その時の社会情勢や心持ちを五七五と七七で、だらだらと続けていくものであった。別に、後の世に理解してもらおうなどとは、思ってもいなかった。その面白みが理解出来ないために、後の世になると、俳諧はクソだ。新に優れたのは俳句だなどと、ヘタレな自称俳人が言い始めたのである。
柳田國男は、その著作の中で、「たかが三百年前の文章に注釈を要するとは変な話である」と書いている。しかし、ほんの五六年前まで、2chでは、2ch語が普通に使われていた。それを考えると、たかが五六年前の・・・・・・いやよそう、こんなことを書き残しておくと、後の世に笑われることになる。
「おい見ろよ、昔は、五年前の大昔の文章が分からないと悩んでいたらしいぜ。無理に決まってるじゃん五年前なんて。今の時代では、三時間前の文章すら、注釈があっても理解できないんだから」
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