今昔物語、震旦の巻を読み進めているが、なかなか面白い。
今昔物語は、独自の創作がほとんど見られない文章である。そのため、内容は、原典の影響を強く受ける。
まず、震旦の話には、布施による功徳という話がない。天竺には、米のとぎ汁の腐ったのを羅漢に施しただけで、将来二十劫にわたって三悪道に落ちるということなく、天上、人間に生まれて苦を受けずなどという話が、実に多い。ところが、震旦には、そういう話がない。これはつまり、中国には喜捨の文化が伝わらなかったということだろうか。
では、震旦でご利益があるのはなにかというと、主に写経である。それも、漢訳せられた経典の写経である。時には、写経しようという願を起こしただけで、利益を得ている。その利益というのも、やたらに現世の利益である。大抵は、ある者が突然死んだが、写経の功徳によって、生き返って命を延べたというものである。いかにも付け足したように、渡来は忉利天に生まれて云々ということが、最後の方に述べられることもあるが、やはり、生き返ったという話が非常に多い。
今昔物語の特徴に、笑えるような間違いが多いということがある。いくつもあるが、一番傑作だったのは、巻第六、第卅八である。
この話の元ネタは、三宝感応要略録巻中20らしいのだが、原典には、「会稽山陰縣有一書生」とある。今昔物語は、「会稽山の陰縣に一人の書生有りけり」としている。あの会稽の恥とか臥薪嘗胆という言葉で有名な会稽山の話だろうか。実は、これは間違いである。会稽山のあたりに、陰縣などという場所はない。実はこれは、会稽群の山陰縣の話であり、今の江蘇省の蘇州市市轄区の呉中区と相城区あたりを指す地名である。ここは、つい先日まで呉県という名前だったのだが、2000年12月に区画が変更されて、変わってしまったらしい。
ちなみに、会稽山とは、浙江省紹興市にある山である。
このように、非常に人間臭い、笑える間違いが多い。まあ、会稽山陰縣などと書かれていたら、ついうっかり間違えてしまいそうだが。
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