夜寝る前に読んでいた今昔物語、ようやく、巻第一から巻第五まで読み終わった。この部分は、天竺の仏教に関する説話集である。
今昔物語は、色々と興味深い。説話は、ほとんどすべて、「今は昔・・・」ではじまり、「・・・となむ語り伝えられたるとや」で終わる。天竺部分では、一箇所だけ、とという形に持っていくことが出来ず、「かくなむ語り伝えられたるとや」という形で終わっている部分があるが、些細な違いである。
成立は、まあ1120年以降、源平のことは書かれていないので、まあ、まだ源平のことを昔とは呼べなかった時代であろう。作者は、まあ、複数の坊主だろう。柳田國男などは、当時の琵琶法師や歌比丘尼のネタ帳として作られたのではあるまいかなどと書き残している。
今昔物語の文章は、驚くほど簡単である。なるほど、芥川龍之介が今昔物語に凝ったわけも分かる。というより、芥川龍之介の文章は、かなり今昔物語の影響を受けている。面白いのは、どうも不思議な言葉、この今昔物語にしか見つからないような言葉も、結構目に付くということだ。補注には、文章上の記録は残っていないが、日本語の音声の変化を考えると、変化の途中にこのような言葉があったのではないかなどと、考察している。
しかし思うのは、漢字かな混じりの文学は、平安末期に一度だけ起こり、その後、明治になるまで停滞していた感がある。なぜだろうか。平安末期に、漢字かな混じり文学が一気に現れたのは、まあ、漢字という外来の文字を取り入れて、自分のものにするまで、五百年はかかったのではないかという意見を、どこかの物の本で読んだことがある。武士の世になって、ただでさえ怪しくなっていた変体漢文が、さらに奇妙なことになってきた。しかしどういうわけか、漢文もどきを捨てなかった。なぜそこで、漢字かな混じりの文章に移行しなかったのか。
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