2008-06-06

悪魔は泣くかもしんない4

私は昔から、流行に流されず、自分独自の価値観を持っている人間であった。もちろん、裏を返せば、流行に疎い、ということになる。

小学校のある時、クラスメート達が盛んに、福音、福音、と叫びだすことがあった。私はテレビなどには面白さを見出せず、まったく見ていなかったので、この現象を目の当たりにして、かの四人の福音者が書いた聖書、すなわちキリスト教というカルトが学校中に蔓延しているのか、と思っていた。何ぞや。私が福音だと思っていたその言葉は、カルト宗教にあらずして、新世紀エヴァンゲリオンというアニメのタイトルであったとは。

また、中学生のある時、クラスメート達が盛んに、DDR、DDR、と叫びだすことがあった。私は、「そうか、やはり、時代はDDR SDRAMか。何しろ速いからな」と、当然のごとくに信じていた。まさかそれが、足で踏んで操作する風変わりなダンスゲーム。ダンス・ダンス・レボリューションであるとは、夢にだにも思わなかった。何しろ、知らなかったのだから。

そういうわけで、上記二点に賛同してくれる、私と趣味の合う同志は、「デビルメイクライ」という言葉を聞いた時も、「悪魔は泣くかもしんない」と解釈した私に、幾ばくかの理解を示してくれることだろう。なにしろ、コンソール機のゲームといえば、スーファミ以降はまったく遊んでいない、この私なのだから。

何はともかく、デビルメイクライ4の体験版だ。

実際に遊んでみたが、あまり金をかけていない、私のPCでも、かなり快適に動作した。コントローラは、XBox360を前提にしている。私はもちろんXBox360のゲームパッドを持っているので、とても自然に遊ぶことができた。

ただ、あまり面白いとは思わない。ゲームを進めるために必要なのは、ボタンの連打だ。囲まれないように隅に追い詰めて叩いていれば、いつの間にか敵は倒せる。これではファイナルファイトとあまり変わらない。ファイナルファイトも、画面隅に敵を集めて、まとめて叩くだけのゲームだ。ただ、攻撃が連続して入るのは、一種痛快な感がある。しかし、数分ほど敵を叩いていると、奇妙な感覚を覚えた。それは手回し式オルゴールに似ている。オルゴールの美しい音楽を聴くためには、ハンドルを回さなければならない。片や、敵を倒す痛快な動画を見るためには、ボタンを連打しなければならない。いまならば、昔、ハイパーオリンピックが大流行した理由も分かるというものだ。見たいのは速く走るランナーで、そのためには、ボタンをできるだけ速く連打しなければならない。昔も今も、ゲームというものは、まったく変わっていないようだ。

太陽の下に新しきことなしとは古人の道破した言葉である。しかし新しいことのないのは独り太陽の下ばかりではない。宇宙の大に比べれば、太陽も一点の燐火に過ぎない。況や我我の地球をやである。

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