2008-06-10

仁和寺の法師は、実は馬鹿で無いのではないか

先週、ふと思い立って岩清水八幡宮に行ってきた。その途中で、ふと考えたことがあったので、ここに書き記しておく。徒然草の第五十二段に、次のような話がある。

仁和寺にある法師、年よるまで岩清水を拝まざりければ、心うく覚えて、或る時思い立ちて、ただひとりかちよりもうでけり。極楽寺、高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。さてかたへの人にあひて、「年頃思いつることはたし侍りぬ。聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけむ。ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思いて、山までは見ず」とぞいひける。すこしのことにも、先達はあらまほしきことなり。

国語の教科書にも載っている、有名な話だ。何の予備知識もなく、この話を読んだ人は、大抵、次のように思うに違いない。

「なるほど、何でも岩清水という寺院があるのだな。仁和寺のある老坊主が、この寺院を拝みたいと思い、歩いて出かけたのだな。寺院そのものは、山の上にあるのに、この坊主はその近くにある、極楽寺、高良の二ヶ所を拝んで満足し、肝心の岩清水は拝まずに帰って行ったのだな。来る人は皆、山の上に登っているというのに、何故登るか訊ねもしなかったらしいな。この教訓から学ぶべきことは、些細なことでも、助言を求めるべきなのだな」と。

この解釈は実際、間違いではない。吉田兼好の意図も、少なくとも文面上は、そうだったに違いない。しかし、実際はどうであろうか。

まず、仁和寺がどこにあるか、ということから説明しよう。仁和寺は、京都市右京区にある。これは、京都市の中でもだいぶ北西に位置する。

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次に、岩清水はどこにあるか。岩清水とは岩清水八幡宮のことであって、八幡市の男山の上にある。京阪の八幡駅を降りてすぐのところだ。

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現在ではどうやって行くかというと、次のようになる。

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Googleの提案は正しい。仁和寺から京阪までは、地図上でみれば大したことがないように見えるが、実際にはとても遠い。ましてや三条から八幡市となると、歩いていくのは相当な道のりである。もちろん当時は、列車などないわけだから、わざわざ鴨川まで行く必要はないにしても、歩く距離で言えば、そう変わらない。

では以上を踏まえて、仁和寺の法師の足取りを追ってみよう。

仁和寺にいた老法師は、岩清水を拝もうと決意する。そして朝早く出発して、昼過ぎまでかかって、ようやく男山のふもとにたどり着くわけだ。歩き疲れて棒の様になった足を引きずり、ふもとにあった極楽寺や高良を見たときの法師の感動は、どれほどであろうか。実に半日歩き続けて、ようやく念願の岩清水にたどり着いたのだ。

早速、その二院を拝む。ふと見ると、皆、山の上に登っている。法師は、何故皆が山に登るのか、疑問に思ったことであろう。その山は、男山と呼ばれている、とても低い山である。山と言うよりは、ほとんど丘である。木々が生い茂っていなければ、誰が山だと思うだろうか。仁和寺から東を望めば、すばらしい霊山、比叡山を目の当たりにできる。その比叡山と比較して、みすぼらしいこと限りない男山、とても低い男山。しかも、皆山の上に上がるため、わらじで踏み固められた道は、とても登りやすい男山。そんな山に、わずかでも霊力や畏怖を感じることがあろうか。

そして法師はこう考える。「なるほど、皆が皆、あの山に登るからには、何かあるに違いない。山伏だけが登るわけでもなし、大方は社か何かだろう。しかし、拙僧は仁和寺より徒歩でここまでやって来た。そして極楽寺、高良の二院を拝むを得た。これ以上、何の尊いことがあろうか。仁和寺から歩いてくる苦労に比べれば、あんなちっぽけな山は登るに足らず」と。

そうして、満足して帰って行ったわけだ。なかなかに行を積み、教を兼ね備えた聖にはあらずや。

因云。岩清水八幡宮とは本来、神社だった。しかし後に、神仏混合になった。神社でもあり、寺でもあったのだ。日本人の宗教観は、かなりおおらかで、この世には絶対的に正しいただひとつの唯一神がいる、などとは考えない。神であれ仏であれ、皆同様に尊いもので、敬うべきだと考える。だからこそ、本来神道であるはずなのに、八幡大菩薩などというよく分からないものが出てくるのだ。明治になって、神仏分離などという、大失敗の政策が取られた。悲しいことだ。

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