2011-09-25

説経

今日は気分転換に、本物の日本語を読むことにした。私の言う本物の日本語とは、数百年前に書かれて、今なお読まれている文章のことである。まだ書いた当人の生きているような新しい文章は玉石混淆であり、しかもほぼすべて石である。数百年前以前に書かれて、今なお読まれている文章は、名文の可能性が高い。路傍の石の中から玉を拾うより、世間から何百年も玉だと言われ続けている石の中から玉を探すほうが簡単である。ちょうどブックオフで、新潮日本古典集成の説教集が投げ売られていたので、それを読むことにした。

今からたったの400年ほど前、日本には説経説き、または説経者と呼ばれる下層階級の芸人がいた。彼らは当時、三十三間堂の境内で、大きな傘をかざし、ササラと呼ばれる、竹で作った、こすりあわせて音を鳴らす原始的な楽器を擦り鳴らしながら、地蔵や仏像の由来を往来の人々に説き聞かせ、おひねりを得ていたのである。

三十三間堂の近くに住む者として、これがどうにも実感がわかない。今の三十三間堂は、決して無料見はさせじとばかりに周りを厳しく塀で取り囲み、たった一箇所の入り口から、拝観料を払って入る、まあなんとも近代的で罰当たりな商業施設である。地獄で銅の湯を飲ませられることは、まず間違いあるまい。それが、かつては人通りの激しい往来であり、しかもこのような所謂「ササラ乞食」の商売の場所であったとは。今の四条大橋のような雰囲気だったのだろうか。

さて、恐らく説経の中で一番有名な話は、「さんせう太夫」であろう。これは、森鴎外の「山椒大夫」という小説のためである。しかし、実際に説経のさんせう太夫を読んでみると、森鴎外の作品は、単なる劣化コピーに過ぎないことが分かる。もちろん、当時の説経説きと森鴎外とでは、力の入れどころが違うというのもあるが、原典はさすがに強烈である。安寿は凄惨な拷問によって焼き殺されるし、返り咲いたつし王丸がさんせう太夫に行う報いも、やはり残酷な処刑である。また、誓文の文句も興味深い。

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