今回はかなり他人のプライバシーに土足で踏み込む内容なので、これでもかなり抑えて書いている。ここに記述された人で、問題があればboostcpp@gmail.comまで、あるいは私につながる方法で連絡をくれれば、すぐに該当箇所を削除する(が、削除しても遅いだろうから、先に謝っておく。申し訳ない。)
18日
早朝、卓球ハウスで起床。すぐに出発。
今回、東京には用事で呼ばれているのだが、せっかくだから一週間ほどは滞在することにした。
どういう結果になるにせよ、これ以上C++の啓蒙を続けるには、他人に物理的に会ってC++を教育しなければならず、そのためには、プログラマーのいる場所に行くしかない。一極集中の日本では、プログラマーのいる場所といえば、ほぼ東京しかないのだ。なにかいい仕事があればいいのだが。
そのために東京に住まねばならないが、東京に縁もゆかりもない人間が、いきなり住んだところで、孤立するに決まっている。吉田寮のような場所が東京にもあればいいのだが。
すると、プログラマーを含めた多種多様な人間が集まりそうなシェアハウスにでも住むのが一番手っ取り早いわけだ。
というわけで、この機会に東京のシェアハウスを見て回ることにした。そこで、珍しく色々と計画と事前の予約を行った。
ギークハウス水道橋
ここには、ブインの提督、銀天すばる (SubaruG)さんが住んでいる。あいにくと、部屋はぜんぶ埋まってしまったようだ。
知り合いがいたからか、中に入ることはできたものの、やはり事前の調査通り、今のギークハウス水道橋から、吉田寮的雰囲気は感じられない。至って普通の平和なシャアハウスに成り下がってしまっている。これが普通なのだが、少し寂しい。当時から残っているという住人に昔の話を振ってみたが、昔は昔だったというだけで、とくに話したがらないようだ。全員働いているので、午前中のかなり早い時間に人はいなくなってしまった。すばる君の紹介があったからか、クッキークリッカー記事でブログが知られていたからか、「誰もいないけれどごゆっくり」とは言われたが、本当に誰もいないし、いてもどうしようもない平和で退屈な場所なので、すぐに次の場所に向かった。
ギークハウス文京護国寺
ギー水の崩壊に寂しさを覚えながら、私はギークハウス文京護国寺に着いた。ここは私から連絡したわけではなく、CyLydianの方から来てみないかと誘われたのだ。誘われた以上は行くのが礼儀というものだ。こちらは一転、すこし熊野寮のような感じがする。ただし、最近の熊野寮の閉鎖性も持ち合わせているようだ。ここは遊びに来るには面白そうだが、私の住むべき場所ではないように感じた。
ドワンゴ
先月の歌舞伎座tech#2で、ドワンゴに呼ばれて、C++14の新機能についての講演を行ったが、どうももう一度、今度は社内の講習会の講師として、C++の歴史について話してほしいということで、再び呼ばれた。
プログラミング言語の魔導書Vol.1で書いたように、私は以前からC++の歴史について興味があり、ひと通り調べている。基本的には、Bjarne Stroustrupの書いたHOPL-I, HOPL-II, D&Eが参考文献として使える。ただし、さすがに1990年代から2000年代前半にかけてのC++WG JPの事情はわからないため、この機会に、当時からC++標準化委員会に参加している人に色々と話を聞いた。それをまとめあげたのがこのスライドで、GitHubで公開している。
スライドでも書いたように、実に日本のC++事情は寒い。お寒い事情とは、すなわち、日本企業は独自のC++コンパイラーを社内の閉鎖的な環境で自作したかったが、それには技術力が足りないので、かわいそうな日本人でも実装できるC++のサブセット規格を作ろうとしていて、EC++の業界団体を立ち上げた。それがC++標準化委員会の日本支部と合流した。そのため、日本のC++標準化員会のスポンサーというのは、EC++という黒歴史のスポンサーだったわけだ。
当時のEC++関係者には気の毒だが、他ならぬBjarne Stroustrup本人にまでこう言われているのだ。
To the best of my knowledge EC++ is dead (2004), and if it isn't it ought to be.
私の知る限り、EC++は死んだ(2004年)、もし死んでいないとするならば、死ぬべきである。
もっとも、当事者によると、そういうわけではなくて、あくまで8-bit, 16-bit用のマイコンでも使えるC++のサブセット規格を策定したかったそうだ。
ただし、筆者はどうしても、まともなC++コンパイラーを自作できず(不自由ソフトウェアにこだわる以上必然なのだが)、だから日本人でも実装できる手抜きC++を作りたかったのではないかと邪推してしまう。
卓球ハウス
18日も一泊させてもらった。
さて、昨日今日と泊まっているこの卓球ハウスは、シェアハウスをやってみたい男たちが立ち上げた。狙ったわけではないものの、全員Web系のプログラマーだ。彼らはシェアハウスをギークハウスの混沌とした雰囲気にはしたくなかったらしく、まず、名前をギークハウスとはしなかった。曰く、「どうしても一度来てみたいという人がいれば拒むわけでないけれども、ギークハウスとは違い、平和にやりたい」とのことだ。そこで卓球ハウスと名づけた。名前が卓球ハウスなので、卓球台を調達した。その住所や住人は、Twitterなどの公の場で発言しているので、ここに書いても特に問題はないが、特に書くまでもない。
ただし、卓球ハウスは家の作りが豪華すぎるということだけは記しておいても問題にならないだろう。
卓球ハウスは普通の平和なシェアハウスだが、住人が全員プログラマーだけに、住んでみたくはある。
19日
卓球ハウスで起床、phaさんの住むところに向かう。
phaさんの住むところ
pha (pha)さんとは、ギークハウスの発起人だ。phaさんは元熊野寮生で、熊野寮の雰囲気を持つようなシェアハウス、すなわちギークハウスを立ち上げた。ギークハウスという概念は、もはや自治療も存在しない東京には新鮮だったらしく、だいぶ流行した。phaさん以外の人が、ギークハウスを名乗って、似たような性格のシェアハウスを建ち上げるようになった。ただし、他の人によって立ち上げられたギークハウスは、吉田寮や熊野寮を経験していない人によるものも多く、少し性格が異なっている。phaさん自体は、今は賑やかな生活にも嫌気が差し、静かな環境で暮らしている。結局、今のphaさんの住むところは、熊野寮の性格を表しているのではないかと思う。熊野寮と吉田寮は違うのだ。
phaさんの住むところは、今は少しネット上からは見つけにくい情報だ。詳細な住所は公開していない。厳格に隠している様子ではないとはいえ、積極的に公開もしていないようなので、ここではあえて具体的には書かないでおく。
phaさんの住むところには人懐っこい猫がいてとても和んだ。ただし、膝の上で眠りだすので動けなくなるのが、嬉しい悩みといったところか。
phaさんの住むところは、あまりにも静かすぎる。特に猫がいるので、それも人懐っこい猫がいるので、人懐っこくなくても猫がいるので、たまに遊びに来たいが、私の住むべき場所ではないように思う。
20日は、phaさんの住むところに一泊させてもらった。
20日
起床、猫が可愛い。ねこー、ねこー、ぬこー、ぬこー、ふぁぁぁ
ハッ、いかんいかん、これはまずい。いつまでも猫とたわむれていたいが、私は東京の滞在中に、なるべく多くのシェアハウスを見学して、住めそうなところを探さねばならないのだ。
私は吉田寮に入り浸っているので、必然的に気になるのは、妖怪ハウスだ。これは、吉田寮的雰囲気が崩壊して、今や退屈で平和な普通のシェアハウスに成り下がってしまった、ギークハウス水道橋に、崩壊前まで住んでいて、しかも元吉田寮生の平田朋義 (tomo3141592653)さんが、新たに吉田寮的雰囲気を構築するために立ち上げたシェアハウスだ。
ただし、私は20日には、ギークハウス秋葉原の見学も兼ねて、飲み会に出席しようと連絡していた。東京にいつまで滞在するかというのも問題だ。週末には帰ろうかと思っている。ここはギークハウス秋葉原には断りの連絡をいれて、最後に妖怪ハウスに行ってみようかと、平田さんに連絡を取ってみたところ、なんと、平田さんもギークハウス秋葉原の飲み会に出席するという。都合がいいので、今日はギークハウス秋葉原に行くことにした。
ギークハウス秋葉原
この場所に案内なしで地図だけをみて辿り着くのは不可能である。神田駅から5分というとても近い場所にあるのだが、絶対に案内なしにたどり着くことはできない。
ギークハウス秋葉原は、とても便利な場所にあるが、まだ始まったばかりで、今は住人が少ない。ただ、とても便利な場所ではあるので、住んでみたいとは思った。
さて、飲み会では様々な人が集まった。平田さんも来たので、近日中に妖怪ハウスに伺うということを伝えた。
平田さんは、飲み会を途中で抜けだしてクラブに行くという。私も誘われたが、私はクラブの喧騒は嫌いなので、やめておいた。私は音楽にもダンスにも興味はない。仮に聞くとしても、静かな音楽を聞きたいものだ。ただ騒がしいだけでは騒音でしかない。しかも、聞くところによれば、クラブはニコチン中毒者の巣窟であり、したがって常に忌まわしき煙が充満しているという。「誘われた以上、行くのが礼儀」とは書いたが、そんなドラクエで言えば毒の沼のような場所には行きたくない。ましてや、東京で住めそうなところを探すことには直接関係ない。
ただし、クラブには多種多様な人間が集まるであろうことは確かで、もし、静かで過密しておらず禁煙なクラブがあれば行ってみたい気はする。
さて、その後、Hanabiというカードゲームをした。このゲームは、全員で協力して花火を完成させるゲームだ。競争ではない。ただし、自分の手札は見ることができないので、他人に自分の手札の情報を教えてもらわなければならない。このゲームは、とても面白かった。競争させずに、ここまで面白いゲームが設計できるとは、フランス人もなかなかやるではないか。このゲームはいずれ買おう。
20日はギークハウス秋葉原に泊まった。
21日
卓球ハウスでカタンを行った。同日宿泊。
22日
起床。妖怪ハウスに向かう。
妖怪ハウスは、元吉田寮生の平田さんが、吉田寮を再現すべく努力しているだけあって、だいぶ吉田寮に近かった。ここはとても居心地がいい。住人のうち、プログラマーの割合こそ低いものの、ここに住んでいれば、多種多様な人と会うのに困ることはないだろう。
ただし、ここは吉田寮ではなく、平田ホスピタルである。
その肝心の平田さんは、今日はここにはいない。どうも、渋ハウスでイベントをやるらしく、そこに参加しているそうだ。渋ハウスもだいぶ開かれたシェアハウスであると聞いているので、多種多様な人と会えるのではないかと思う。ただし、聞けばイベント会場は、よその場所を貸しきって行うらしく、渋ハウスではないそうだ。東京で住める場所を探すという目的からは外れるので、行くのはやめた。
渋ハウスにも行ってみたいが、どうも聞けば、美術、芸術系の住人ばかりで、プログラマーはほとんどいないらしい。実際に現地を見ていない以上、まだわからないが、おそらく私が住むには適さないのではないだろうか。
22日は妖怪ハウスに泊まった。
23-24日
当初の予定では、週末頃に帰るはずだったが、妖怪ハウスの居心地がいいのと、年末に吉田寮に一週間ほど滞在してみたいという学生がいるので、案内がてら同道して京都に帰るため、もう少し東京に滞在することにした。
この妖怪ハウスには、将来的には住んでみたいと思うので、とりあえず住人に受け入れられるかどうかをみるために、今週もまだ何日か滞在しようと思う。あるいは、まだ行っていないシェアハウスを見学してみるべきか。
年末には帰る予定だ。
3 comments:
それらのシェアハウスの半数くらいに行ったことがあり、ギークハウス水道橋の良かった時代も知っている人間なのですが(歌舞伎座.techに行っていた関係で江添さんにはお会いしたかったのですが、蟄居の身につき残念)、いわゆるエンジニアの楽園というものは、シェアハウスにはないと思います。
シェアハウスは飽くまで「生活の場」なので、例えば技術的なコンセプトを打ち出しても、どうも混ざらないというか、日常的に生活の中で技術の話をしたり、考えを述べて研鑽しあうなどといったことは、あまり起こりませんでした。
むしろ、シェアハウスで技術的なことをやるなら、定期的にイベントやハッカソンなどを開催して、外部の人を募ってやっていくことが多いです。だとすると、その手のイベントは都内だとシェアハウスでなくてもできるという問題があります。
その辺りも含めて、シェアハウス選びについては、生活をするということを一義に考えて選ぶと良いと思います。ギークハウスを運営してみて、本当に優秀な人が来るような良い環境を作ることが出来なかった人間として、コメントをします。
私も、シェアハウスの中で技術的な議論が日常的に盛上がるとは考えていません。
ただ、人に物理的に会う上で、便利な場所であるということです。
大学寮みたいな生活の場と大学院みたいな研鑽の場を両立させるのは難しいだろうな。吉田寮と湯川記念館(基礎物理学研究所)ではフィリピンとフィンランドに住むぐらいの違いがあるしw
かの「トキワ荘」はどうだったんだろうな。そういう梁山泊的なものが成立するのは当該分野が黎明期の頃だろう。
ただ日本はまだこれといったITで世界的起業家は生まれていないし、シリコンバレーみたいなメッカもないから、それが逆にこれからの可能性も秘めているかもしれない。それができるとしたら、街としてはやっぱり京都かもしれなぁ。東京はやはり資本の理論が先に立ってしまう。
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