昨日、怪しげな檀林寺の門を出て、哀れみに似たため息をつきながら大覚寺へ向かいつつ、親父にメールを打ってみたところ、現在の壇林寺は真っ赤な嘘で、実は古道具屋であると白洲正子が書いていたというメールが帰ってきた。どの本だと聞いたが、はっきりとは覚えていないという。その日の夕方、白洲正子の本をあさってみたが、どうもそれらしい記述は見つからない。しかたがないので、白洲正子は抜きにして、観光日記を書いた。
そもそも、檀林寺でググってみても、どうも怪しげな記述が目立つ。観光のガイドブックにも書かれていないらしい。理由もいまいち分からない。
ところが、さきほど白洲正子を読んでいたら、父親の言う通りの檀林寺の記述を見つけた。檀林寺のあの怪しさに惹かれた人のために、引用しておく。これは白洲正子著、十二面観音巡礼の、幻の寺の章の最後の方の部分である。
京都へ帰るタクシーの中で、運転手さんが耳よりな話をした。
「檀林寺ならすぐそこだっせ。史料も沢山ありまっせ」
騙されたと思って、寄ってみることにすると、祇王寺の前で降された。「ここです」という。この寺なら、まんざら知らないことはなかった。数年前、祇王寺へ行った時、「まあ、お入りやす。よっておいきやす」と、しきりに呼びとめる寺がある。この頃はお寺も客引きをするのかと、おかしかったが、まさか「壇林寺」とは知らなかった。物はためしと、百五十円払って、中に入れて貰う。妙に白々しい境内で、殺風景なコンクリートの建物が建っている。やがて、顔色の悪い爺さんが出て来たので、「檀林皇后のことを伺いたい」というと「それは御殊勝なことで……」と、胡散臭そうな目つきをした。
本堂の中は、小博物館といった感じで、薄汚い仏様達が、何の関聯もなく並んでいる。その真中のみすぼらしい観音様を指さして、じいさんは恭しくいった。「檀林皇后十八歳の御像です」
隣の部屋には、驚くほど沢山の「史料」が並べてあった。曰く、「檀林皇后の御衝立」、曰く、「檀林皇后の御茶碗」etc。
「このお寺は何宗ですか?」
「禅宗です」
「天龍寺の末寺ですか?」
「違います」
「では何派で?」
それには答えず、じいさんは引込んで、二度と姿を現さなかった。私は何百点とある「史料」を拝観した後、檀林寺を辞したが、外へ出たとたん、堪えていた笑いが一時に爆発した。巡礼をしていると、時々こういう御利益もある。
そこへ顔みしりの知人が現れたので、今、おかしな寺へ行って来た、まるで小道具屋だったと話すと、彼は苦笑いをしていった。
「小道具屋なんですよ。質屋もしていたという話です」
それで読めた。あの不可思議な仏達や、厖大な「史料」の数々は、酒手に窮した生臭坊主の質流れに違いない。観光寺院がはやるのを見て、ここで一もうけしようと、企んだにきまっている。それにしても、檀林寺とは、よくも名づけた。が、今時そんな名前を知る人は少く、思った程参詣人が来ないのは気の毒なことである。
やれやれ、どうやら私の智識も、それほど曇っていないようで安心した。私も檀林寺の門を出てから、哀れみに似たため息を止める事ができなかったのだ。とはいえ、心ある人があの檀林寺を見れば、怪しいことは火を見るより明らかである。
まあ、私に白洲正子をまともに読ませるきっかけを与えたのだから、あの寺もなかなかの善智識と言えなくもない。
6 comments:
私のときも寺の前で中に入るよう勧誘していました。
また頼んでもいないのに仏像の説明をはじめ、お守りを何個も買うようせかしてきて買わされました。
一個でいいのか、もっとご利益あるからと何個も売ろうとしてきて胡散臭い印象でした。
説明のあとにお守りを買わせる手口で多くの人が騙されているようです。。。
壇林寺はもともとは別の場所にあり1000年以上前に廃寺となりました。
それを東京オリンピックの年に勝手に再建したもので修行僧もいない単なる金儲けの道具です。
こんな詐欺寺初めてでしたが、京都の由緒あるお寺も修行僧にお金がいくならともかく、僧でもない人が贅沢に使用するなら罰当たりもはなはだしいです。
結局買ったんですかね。
私の時は、そんなことは一切ありませんでしたね。
まあ、私がいかにも怪訝そうな顔をしていたので、見込みなしと思われたのかも知れませんね。
本当の智慧を持っていれば、そんな手口をはねのけるなど、たやすいことです。
第一、偽坊主の贅沢がどうのこうのと言い出したら、京都の観光寺なんて、全部潰さなきゃなりませんよ。
檀林寺の横の、祇王寺も滝口寺も、見る価値もない、しょうもない観光寺です。
平家物語を読んでいれば、京都にいる坊主を敬愛したりなど思わないでしょう。
私も昨日母と祇王寺に行った帰りに、門前に大きく書かれていた「胎蔵界曼荼羅」の看板に惹かれて壇林寺に踏み入ってしまいました。受付に「運慶・快慶」「雪舟」「尾形光琳」など錚々たる日本美術の巨匠の名が書かれた紙があり、「こんな有名な人の作品があるんですか!?」と聞いた所「はいはいはい入って下さい」と促されました。中に入ると屍の様なじいさんが出迎え菊文様の素晴らしさとこの壇林寺がいかに由緒正しき寺院であるのかを力説された後、夢違観音に無理矢理お参りさせられ「腰を低く…腰を低く…この様にしなさい」とダメ出しされました。御朱印を貰ったら稚拙な字で書かれた挙句、400円もとられました。良いネタになりました。壇林寺ありがとう!!そしてサヨウナラ!また巡礼が落ち着いたら顔を出してみようと思います。
先日知らずに行って
お守り3つも買わされました
なんか受付のおばさんも無愛想で金のこと以外言葉を返さない
中では皇后の顔をした像にひざまずかされ
思わず苦笑いをしたら笑うなと怒られ
結果終始うっぷんがたまっただけで
2000円くらい使わされた
ここの寺(ダミー)本当に詐欺ですよね
土地外から来た観光客がこんなところ入ったら確実に京都のイメージが悪くなりますよ
おやおや、被害者が多いようで。
だいたい、その横にある祇王寺も滝口寺も、似たようなもんですよ。
近代化してから、どっかの公家さんが別荘を改良して寺にみたてたのですから。
何年か前に行った事があり、その時に門で「入館料」を払ったのに、建物内の博物館まがいの所でお賽銭をせびられました。「ありがたいウンタラカンタラの像です。お賽銭をあげてご奉仕ウンタラ~」と逃げられない状態でした。
ええ、お賽銭をねだったのは、皆さんと同じ方だと思います。ホシイモのようなご老人でしたよ(笑)
私のまえに入った若い女性は100円程払っていましたが、私は見学料払ったから!と5円払ったらものっすごい嫌な顔をされましたっけ。
その後、ご老人は若い女性につきっきりで説明してましたが、私には一切説明なしでした。
このブログで実態を知って、ああだからか、と思いました。
入場料を徴収しているのに、お賽銭を「ねだる」とは、他の寺や神社ではない待遇でしたね。
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