大昔の話である。その頃は、不吉な方角であるとか、不吉な日時であるとかいった馬鹿げた迷信が、広く信じられておった。例えば、方違へといって、ある人のがり行くとて、方角が不吉なれば、まず逆方向へ行き、偶々その方角にある、よその家に泊まるという、不思議な習慣があった。あるいは、物忌みといって、今日は不吉だから、家に閉じこもって人と会わぬ、などという日もあった。およそこのような幼稚な迷信が、守るべき作法として信じられていた時代の話である。
さる屋敷に、嫁いできたばかりの生女房がいた。まだ若く、作法をよく知らなかった。そこでこの生女房は、紙を求めて、ある若い僧に、数々の作法、すなわち吉凶を書き記した、仮名暦を頼んだ。仮名暦とは、仮名文字で書かれた暦のことである。普通、暦をはじめ、この頃の文章というのは漢文で書かれるものであった。仮名は、ある有名なオカマ一人を除いて、基本的に女が使う物であった。
若い僧は、「やすき事」とて、二つ返事で請けおうた。この生女房の第一の失敗は、若い僧に頼んだことである。若いというのはすばらしいことであるが、得てして不真面目に走りやすいものである。この僧も、御多分に洩れず、そういう種類の若さを備えた青年であった。
さて、できあがった暦をつらつら見るに、初めは、真面目な暦であった。無論、現代に生きる読者諸君にとっては、迷信にまみれた馬鹿げた暦であると看過するであろうことは間違いない。神ほとけに祈る日、不吉なので家に閉じこもる日、等等。これを今日の価値観を持って見るにはあたらない。何しろこれは、大昔の話だからだ。
ところが、終わりの方になると、坊主も茶目っ気をだしたか、筆の運びが、やや怪しくなってきた。物くはぬ日、逆に、よく食ふ日などが記されていた。女房も不思議には思ったが、所詮、こういうものは形から入らねばならぬので、こういうものであろうと一人納得していた。
ところで、その茶目っ気の一つに、はこすべからずなんどと書かれた日があった。はことは何か。これは便器のことである。当時、身分ある女性は、用を足すのに箱を用いた。催した際には、この箱の中に用を足し、しかる後に、賤の女の童にでも命じて、捨てさせに行くのである。中には、この箱の中にまで気を使って、香木を入れていた自意識過剰な女もいるそうだが、それはまた別の話である。ともかく、はこすべからずとは、用を足すべからずという意味であった。
さて、この女房が、暦通りに作法を務めているうちに、とうとう、はこすべからざるの日がやってきた。その日は行いすましていたけれども、所詮は人間である。用を足さずにおれるわけがない。二日、三日とたつうちに、とうとう堪えきれず、左右の手で尻をかかえて、「いかにせん、いかにせん」とよぢりすぢりする程に……
その後の具体的な話は、遺憾ながら曖昧である。あるは、我慢はできたものの、発狂したと主張し、あるは、結局漏らしたとも主張している。しかし、これらの違いは、当の悲惨な女房からしてみれば、些細なことである。
この物語を笑う者に語を寄す。この仮名暦は、現代にも、なお多く存するのである。
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