宇治拾遺物語を読み終えたので、愚管抄を読むことにした。
愚管抄の作者である慈円の評価できることは、愚管抄を仮名文字で書いたことだ。そのため、実に分かりやすい。
ただ、世間的には、あまり高い評価を受けていない。歴史的には、当時の朝廷から幕府へと、政権が移っていく激動の世の中のことを書いてあるので、興味深いのだが、文学的には、第一級とは言い難い。平家物語は、ある意味分かりやすい文学である。教訓的には、盛者必衰の理ぐらいしか言っていない。盛者必衰は、現代人でも、共感できる。ところが、愚管抄には、仏教的な道理というものが出てくる。というのも、どうも慈円は物事をすべて道理で考えていたらしく、あらゆる出来事が道理をもって評価されている。現代からしてみれば、あまり共感できる部分はない。これが、平家物語が評価され、愚管抄が評価されなかった理由なのだろう。慈円は平家物語を、事実を伝えていないとけなしているが、愚管抄も、事実はあるにせよ、その評価方法が極端すぎるので、どうも良い物とは言い難い。
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