2009-11-11

名を残すには文才が必要

それにしても、柳田國男の文章はすばらしい。なるほど、後世に名を残すには、文才が必要なのだな。例えば、宮本常一や網野善彦も、劣らず優れていると思うのだが、彼らの名は、柳田ほどには知られていない。

遠野物語では、丈高き人(たけたかきひと)とかいう表現が、いとも自然に使われていたりする。今読んでいる所では、徒然草のむく犬など、思わずニヤリとする表現が随所に見られる。

とにかく、恐ろしくたくさん物を読んでいるのだなとは思う。

思えば、古くは孔子もそうだった。仲尼と愉快な仲間達は、今風にいえば、就職に失敗して、自分探しの旅にでた者どもであった。ただし、その弟子の弟子(柳宗元の論語辯によると、曾子の弟子らしい)が書いた論語が大当たりした為、人気になった。孔子自身が書いたという春秋は、どうもそれ自体の価値は、それほどではないのではないかと思う。というのは、後々に、左傳などの注釈付きの春秋云々がいろいろと作られ、世に行われているのは、もっぱら注釈書の方である。

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