IRCで、ある日本語学習者に対して、「頭痛が痛い」というのは、悪文の典型的な例であると説明したところ、では、「犯罪を犯す」という言い回しはどうなのだと聞かれた。確かに不思議だ。「犯罪を犯す」という言い回しは、あまり問題がなさそうに思える。
ググると、「遺産を遺す」、「被害を被る」、という言い方も、同じく、考えてみれば不思議だが、よく使われている例としてあげられている。
理由としては、犯罪という言葉は、あまりにも一般的で、単に「罪」を意味する名詞となっているので、頭痛が痛いのような違和感はおこらないという理由が提示されていた。なるほど、確かにその通りかもしれない。
おまけ:
私は、被害を被るの読み方は、「こうぶる」であって、「こうむる」という読み方はあまり頭に浮かばないのだが、ATOKでは何故か変換できない。辞書で調べると、「こうぶる」という読み方は古語に属するとある。いやでも、こうぶる、と読んでいる人は結構いるはずだ。とりあえず、辞書にラ行五段活用で登録しておいた。ATOKは古語変換というモードもあるのだが、被るという単語すら変換できずに、どうやってまともに古語を入力するというのだろう。
4 comments:
「頭痛が痛い」とは言わないけど
「頭痛がする」とは言うね。
「頭痛が」といった場合に、続く言葉は「痛い」になります。
「頭痛が痛くない」の用法は使われません。
それに対し、「犯罪を」「遺産を」「被害を」といった場合に続く言葉は特定されません。
「犯罪」でしたら犯したのか知れませんし、被ったかもしれません。「遺産」や「被害」も同様です。
次の文脈が予想される場合にはくどいため不要であり、予想できない場合は違和感を感じないのです。
しかし、犯罪という漢語は、「犯㆑罪」であり、罪を犯すと読みます。
遺産も、「遺㆑産」で、産を遺すでしょうし、被害も、「被㆑害」で、害を被るでしょう。
次の文脈が予想されるどころか、この二文字で完結しています。
そうならないのは、すでに犯罪という漢語が、あまりにも一般的に使われているため、単なる名詞として認識されているのではないでしょうか。
間に別の字が入ることで不自然さが軽減されているのでは?
と思いましたが、給食は食べますね。
次に、犯罪、遺産、被害が目的格なのに対し、頭痛は主格なので・・・
なんて5分ほど考えたのですが、果実が実ってもおかしくないですし。
もう少し考えてみると、犯す、遺す、被るは動詞ですが痛いは形容詞ですね。
頭痛は頭が痛いことからきているので、痛いという形容を含んでいます。
つまり形容表現が重なることを不自然と感じるのではないでしょうか。
「熱湯が熱い」「長文が長い」「難問が難しい」にも同じような不自然さを感じます。
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