2012-09-05

絵本西遊記

絵本西遊記を読み終わった。絵本西遊記は後にして、日本書紀を読もうと思っていたのだが、ふと開くと面白く、一気に二日で読んでしまった。

手に入れた絵本西遊記は、有朋堂文庫のものだ。実に、有朋堂文庫はいい仕事をしている。余計な脚注や解説などは一切ない。また、底本をほとんど修正しない。この仕事の素晴らしさは、いまの出版社も見習うべきである。いまの出版社は、やたらと脚注を増やし、もったいぶって前面に解説を押し出し、はては句読点をあまりに多くうち、かなを漢字に直し、漢字の誤字を正し、等々。挙げればきりがないほど余計な仕事をしている。

まあ、有朋堂文庫は、送りがなを正しているので、少し余計な仕事をしているのは同類だが。

まず不思議なのが名前だ。日本では、三蔵の弟子として、孫悟空、猪八戒、沙悟浄という名前が知られている。

孫悟空は、戦術の師匠である須菩提祖師からもらった法名である。また、自ら斉天大聖と名乗っていた。三蔵からもらった字は、孫行者である。絵本西遊記の地の文では、孫行者か、単に行者と書かれている。

猪八戒は、三蔵からもらった字である。法名は猪悟能といい、これは観音菩薩からもらった。ただし、猪八戒は愛すべきバカであり、地の文は八戒と書くが、しばしば、獃子(あほう)と書かれている。

沙悟浄は、観音菩薩からもらった法名である。三蔵からは沙和尚という字をもらう。地の文では、たいてい沙和尚と書かれている。

これを考えると不思議なのが猪八戒だ。日本では、孫悟空、沙悟浄とも、法名で知られているのに対し、彼一人字で知られている。地の文でも、猪とはあまり書かれず、八戒や獃子と書かれることが多い。

もっとも、獃子と書かれるのはまだマシな方で、かわいそうなのは沙悟浄だ。孫悟空は猿で、猪八戒が顔が豚だと書かれているのに対し、沙悟浄は容姿の描写がほとんどない。ただ、色黒だと書かれているだけだ。絵本西遊記の挿絵では、沙悟浄は普通の人間のむさくるしいオッサンの顔面をしている。非常に扱いがひどい。もっとも日本では、水の妖精というところから、河童の姿で描かれることが多いようだが。

沙悟浄は活躍しない。戦うのはほとんど孫悟空と猪八戒で、沙悟浄は三蔵と馬と行李を守る役だ。ただ、孫悟空は水中ではほとんど戦わないのに対し、沙悟浄は水中での戦いが得意なのだが、その役目も、猪八戒も前世が水軍の天蓬元帥なので、水中での戦いが得意であり、目立たない。

一応、前世は捲簾大将をしていたためか、機転を聞かせて弁舌で難を切り抜ける箇所が二箇所ほどある。ただ、ほとんどの機転をきかす必要のある場面は、孫行者が活躍するので、彼の活躍の場はない。

ただ、その制約のなさから、後世の作品では、沙悟浄は自由に性格設定ができる便利な人物だとして重宝されているようだ。特に、中島敦の作品では、沙悟浄を自分に擬して、あらゆるものの根本の意味について迷う妖怪として書かれている。

それにしても不思議なのは三蔵だ。いかにも中国らしい、偉人は何もしないという美徳を体現したような人物であるが、徳の高い和尚には到底思えない。人を殺すぐらいならば死ぬべきだと説くが、いざ命の危機が迫ると、泣いて助けを乞う。こればかりは、勅命を奉じて天竺に真経を取りに行く使命があるからという事情があるから死ぬわけには行かぬという理由があるしよう。しかし、せっかく孫行者が妖怪の罠だと見ぬいて忠告しても、むしろ怒って暇を与え、結果として窮地に陥ることがたびたびある。まあ、真経を取るために九九(81)の苦難に合わなければならないという都合もあるのだが、なんとも俗人臭い人物である。

結局、外国の宗教を受け入れるためには、その国にあった変容が必要で、支那の場合、仙人思想に変化しなければならなかったのだろう。

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