先日、良い紙を使ったノートが欲しくなり、ツバメノートを買ってみた。紙の質は、確かによかった。安心して字の練習に打ち込んでいるものの、別の部分での不満というのが出てきている。それは、他ならぬ万年筆自身だ。
私はプラチナ万年筆の#3776の細軟を使っている。私は、今の万年筆を買うにあたって、少々迷った。万年筆は安くないので、気軽に何本も買うというわけにはいかない。それに、万年筆を買うからには、使わなければ意味がない。飾っておくだけなら、壺や掛け軸の類だっていいわけだ。太いペン先だと、ヌラヌラとした、いかにも万年筆らしい書き味がでるのだが、使う場所が限られる。さて、線の太さをどうするべきか。
色々試し書きをしたあげく、書き味よりも、線の細さを優先した。結果が、細軟だったのだ。思うに、これは正解だったと思う。メモ帳にも使えるので、今の私はどこに行くにも、メモ帳と万年筆を持ち歩いている。確かに、気軽に持ち歩いていては、壊す恐れもある。しかし、使わずに飾っておくのでは、せっかくの万年筆の甲斐がない。
ただし、外出中にメモ帳に書き殴るなら、細い線の方がいいが、字の練習に使うには、少々太い線の方がいい。幸い、親父が唯一持っている古い万年筆がある。今はまったく使っていないので、借りてきた。パイロットのCUSTOM 74で、字の太さはMである。だいぶ古いものだが、今でも問題なく書ける。万年筆の耐用年数の長さは驚くほどである。なるほど、確かにこれぐらいの太さだと、いかにも万年筆らしい書き味である。
追記:親父に確認を取った所、なんと23年前のものであるらしい。
しかし、私としてはやはり、プラチナ万年筆の方がいい。とはいえ、実際に問題なく書ける、太めの線の万年筆があるのに、わざわざ新しい万年筆を買うべきか。賤しくはないだろうか。そんなに字もうまくないのに、万年筆を何本も持っていても仕方がないのではないか。万年筆はいつでも買える。今は一文字でも多く、字を書く練習をした方が良いのではないか。
卜部兼好著 徒然草 第七十二段
賤しげなるもの。居たるあたりに調度の多き、硯に筆の多き、持仏堂に仏の多き、前栽に石、草木の多き、家の内に子孫の多き、人にあひて詞の多き、願文に作善多く書きのせたる。
多くて見ぐるしからぬは、文車の文、塵塚のちり。
ところで、万年筆に関する、夏目漱石の文章があったということを知った。題は、「余と万年筆」である。短い物なので引用する。
夏目漱石著 余と万年筆
此間
魯庵 君に会った時、丸善の店で一日に万年筆が何本位売れるだろうと尋ねたら、魯庵君は多い時は百本位出るそうだと答えた。夫 では一本の万年筆がどの位長く使えるだろうと聞いたら、此間横浜のもので、ペンはまだ可なりだが、軸 が減ったから軸丈 易 えて呉 れと云って持って来たのがあるが、此人は十三年前に一本買ったぎりで、其一本を今日まで絶えず使用していたのだというから、是 がまあ一番長い例らしいと話した。して見ると普通の場合ではいくら残酷に使っても大抵六七年の保証は付けられるのが、一般の万年筆の運命らしい。一本で夫程 長く使えるものが日に百本も出ると云えば万年筆を需用する人の範囲は非常な勢を以 て広がりつつあると見ても満更 見当違 いの観察とも云われない様である。尤 も多い中には万年筆道楽という様な人があって、一本を使い切らないうちに飽 が来て、又新しいのを手に入れたくなり、之 を手に入れて少時 すると、又種類の違った別のものが欲しくなるといった風に、夫 から夫へと各種のペンや軸を試みて嬉 しがるそうだが、是 は今の日本に沢山 あり得る道楽とも思えない。西洋では煙管 に好みを有 って、大小長短色々取 り交 ぜた一組を綺麗 に暖炉 の上などに並べて愉快がる人がある。単に蒐集狂 という点から見れば、此煙管 を飾る人も、盃 を寄せる人も、瓢箪 を溜 める人も、皆同じ興味に駆 られるので、同種類のもののうちで、素人 に分らない様な微妙な差別を鋭敏に感じ分ける比較力の優秀を愛するに過ぎない。万年筆狂も性質から云えば、多少実用に近い点で、以上と区別の出来ない事もないが、強 いて無くても済むものを五つも六つも取 り揃 えるのだから今挙 げた種類の蒐集狂と大した変りのある筈 がない。ただ其数に至っては、少なくとも目下の日本の状態では、西洋の煙管気狂 の十分の一も無かろうと思う。だから丸善で売れる一日に百本の万年筆の九十九本迄は、尋常の人間の必要に逼 られて机上 若 くはポッケット内に備え付ける実用品と見て差支 あるまい。して見ると、万年筆が輸入されてから今日迄に既に何年を経過したか分らないが、兎 に角 高価の割には大変需要の多いものになりつつあるのは争う可 らざる事実の様である。
万年筆の最上等になると一本で三百円もするのがあるとかいう話である。丸善へ取り寄せてあるのでも既に六十五円とかいう高価なものがあるとか聞いた。固 より一般の需要は十円内外の低廉 な種類に限られているのだろうが、夫 にしても、一つ一銭のペンや一本三銭の水筆に比べると何百倍という高価に当るのだから、それが日に百本も売れる以上は、我々の購買力が此の便利ではあるが贅沢品 と認めなければならないものを愛玩 [#「あいかん」はママ]するに適当な位進んで来たのか、又は座右 に欠くべからざる必要品として価の廉不廉に拘 わらず重宝 がられるのか何方 かでなければならない。然 し今其源因を一つに片付けるのは愚 の至として、又事実の許す如く、しばらく両方の因数が相合して此需要を引き起したとして、余はとくに余の見地から見て、後者の方に重きを置きたいのである。
自白すると余は万年筆に余り深い縁故もなければ、又人に講釈する程に精通していない素人 なのである。始めて万年筆を用い出してから僅 か三四年にしかならないのでも親しみの薄い事は明らかに分る。尤 も十二年前に洋行するとき親戚のものが餞別 として一本呉 れたが、夫 はまだ使わないうちに船のなかで器械体操の真似 をしてすぐ壊して仕舞 った。夫 から外国にいる間は常にペンを使って事を足していたし、帰ってから原稿を書かなくてはならない境遇に置かれても、下手な字をペンでがしがし書いて済ましていた。それで三四年前になって何故 万年筆に改めようと急に思い立ったか、其理由は今一寸 思い出せないが、第一に便利という実際的な動機に支配されたのは事実に違ない。万年筆に就 て何等の経験もない余は其時丸善からペリカンと称するのを二本買って帰った。そうして夫 をいまだに用いているのである。が、不幸にして余のペリカンに対する感想は甚 だ宜 しくなかった。ペリカンは余の要求しないのに印気 を無暗 にぽたぽた原稿紙の上へ落したり、又は是非墨色を出して貰 わなければ済 まない時、頑 として要求を拒絶したり、随分持主を虐待した。尤 も持主たる余の方でもペリカンを厚遇しなかったかも知れない。無精 な余は印気 がなくなると、勝手次第に机の上にある何 んな印気でも構わずにペリカンの腹の中へ注 ぎ込んだ。又ブリュー・ブラックの性来嫌 な余は、わざわざセピヤ色の墨を買って来て、遠慮なくペリカンの口を割って呑 ました。其上無経験な余は如何 にペリカンを取り扱うべきかを解しなかった。現にペリカンが如何に出渋っても、余は未 だかつて彼を洗濯した試 がなかった。夫 でペリカンの方でも半 ば余に愛想 を尽かし、余の方でも半ばペリカンを見限 って、此正月「彼岸過迄 」を筆するときは又一 と時代退歩して、ペンとそうしてペン軸 の旧弊な昔に逆戻りをした。其時余は始めて離別した第一の細君を後から懐 かしく思う如く、一旦 見棄 たペリカンに未練の残っている事を発見したのである。唯 のペンを用い出した余は、印気 の切れる度毎 に墨壺 のなかへ筆を浸 して新たに書き始める煩 わしさに堪 えなかった。幸にして余の原稿が夫程 の手数が省 けたとて早く出来上る性質のものでもなし、又ペンにすれば余の好むセピヤ色で自由に原稿紙を彩 どる事が出来るので、まあ「彼岸過迄」の完結迄はペンで押し通す積 でいたが、其決心の底には何 うしても多少の負惜しみが籠 っていた様である。
余の如く機械的の便利には夫程 重きを置く必要のない原稿ばかり書いているものですら、又買い損なったか、使い損なったため、万年筆には多少手古擦 っているものですら、愈 万年筆を全廃するとなると此位の不便を感ずる所をもって見ると、其他の人が価の如何 に拘 わらず、毛筆を棄 てペンを棄てて此方 に向うのは向う必要があるからで、財力ある貴公子や道楽息子 の玩具に都合のいい贅沢品 だから売れるのではあるまい。
万年筆の丸善に於 る需要をそう解釈した余は、各種の万年筆の比較研究やら、一々の利害得失やらに就 て一言の意見を述べる事の出来ないのを大いに時勢後れの如くに恥じた。酒呑 が酒を解する如く、筆を執 る人が万年筆を解しなければ済まない時期が来るのはもう遠い事ではなかろうと思う。ペリカン丈 の経験で万年筆は駄目だという僕が人から笑われるのも間もない事とすれば、僕も笑われない為に、少しは外 の万年筆も試してみる必要があるだろう。現に此原稿は魯庵 君が使って見ろといってわざわざ贈って呉 れたオノトで書いたのであるが、大変心持よくすらすら書けて愉快であった。ペリカンを追い出した余は其姉妹に当るオノトを新らしく迎え入れて、それで万年筆に対して幾分か罪亡 ぼしをした積 なのである。
なるほど、夏目漱石はブルーブラックが嫌いだったらしい。実は私も、日本の字を、青や赤の色を使って書くのは、どうもなじめない。万年筆といえばブルーブラックだという事は、もちろん知っている。今も役所の文書に、「黒か青のペンを使って」と書いてあるのは、当時はまともなボールペンがなく、万年筆で書いていた名残なのだ。朱墨などもあるにはあるが、主に訓点を書き加えるなどの目的で使っていたのだろうし、やはり日本の字は、黒で書くものではないかと、個人的には思う。
ところで、二十歳を超えたあたりから、夏目漱石や芥川龍之介の文章の価値が分かるようになってきた。中学生や高校生の時分には、一体彼らの文章の何が面白いのか、さっぱり分からなかったのだ。それに比べて、森鴎外や太宰治の文章のおもしろさは、実に分かりやすかったので、そっちばかり読んでいた。
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