2009-06-24

自衛隊の地本てふ不可思議な場所

昨日、自衛隊の一般曹候補生の二次試験の、面接予行というものがあった。何でも、親切にも面接のリハーサルなるものをしてくれるらしいということだ。別に面接など、何度受けたって変わらないと思うが、どうせ暇なので、参加することにした。損にはなるまい。

行くと、私を含めてたったの五人しか来ていなかった。えらく少ない気がする。面接の練習というのは、どこの学校やセミナーでもやっているだろう。しかし、それは所詮、外部の人間が行う練習に過ぎない。これは、外ならぬ応募先自身、つまり自衛隊自身が、わざわざ面接の練習をしてくれるというのだ。参加して損だとは思わない。何故こんなに少ないのだろうと、その時は漠然と思った。

さて、面接の予行を受ける前に、どのような態度で臨めばいいのかという、あくびの出るほど暇な説明が、配られたプリントに書いてあることそのままに、棒読みで述べられた。曰く、

  • 第一印象が比較的重要となる。学生あるいは若者らしさが良い印象を与える。
  • 動作は係員の指示に従い、テキパキと若者らしく。
  • 清潔感は好印象を与える。

応答要領

  • 質問した面接官の方をみて回答する
  • 努めて落ち着いた表情で、明るく対応する
  • 正しい言葉遣いに気をつけ、はっきりと意見を伝える
  • 志願の動機を明確にしておく

まあ、代わり映えのしない文句ばかり並んでいる。これ自体は、別に悪くはない。ただ最後に、

※ 決め手になるのは入隊意志を如何に表現できるかである!

と書かれていたのが気になった。私は、上で、理由なく"border-style : double"を使ったわけではない。実際に配られたプリントにも、そのように印刷されていたからだ。この一文は、今回、とても重要な意味を持つわけだが、このときの私はまだ、その本当の意味に気がつかなかった。

さて、面接予行前の説明が終わり、実際に一人ずつ、面接練習を行う段になった。私は、地本から家が一番近いので、順番は最後になった。配られたプリントには、「曹候補生2次試験口述模擬質問事項」と題して、本日の面接練習で訊ねる質問事項が、すべて載っていた。自分の順番になるまで、なんと答えるか考えていてくださいとのことであった。そこまでするか。

参加者は、私を除くと四人いるわけだが、そのうちの三人は男で、女は一人だった。ちょうどみんな、職種に関するパンフレットを眺めていたので、私は会話を始めようと、こう言った。

「やあ、皆さん、職種とか、どの辺を希望してるんですか」

返事はない。かろうじて一人だけ、「整備かな……」と答えたきりである。仕方がないので、また聞いた。

「陸海空、どこを受けるんですか」
「空」、「陸」、「同じです」

あとは沈黙のみ。これでは会話というものが成立しない。見れば、みんなメモ帳を片手に、何かを書き殴っている。一体何をメモる必要があるというのだ。あらかじめ、どう答えるか考えた所で、実際にその通りに事が弾むわけがない。その答えに応じて、面接官がさらに質問を発展させるというのが、普通の面接ではないか。とすれば、何をメモる必要があるというのだ。

会話が成立しそうにないことを悟った私は、自宅まで本を取りに戻った。何しろ、私の面接は、一時間後なのである。

さて、本を取って地本に戻ってみると、紅一点の女子が、なにやら地本の担当者と話していた。

女子「わたし、自衛隊の訓練についていけるか心配で」
担当「いやいや、訓練なんて全然心配することないですよ。うんぬんかんぬん」
女子「水泳をやっていたんですけど」
担当「ほう、一日どのくらい泳いでいたんですか」
女子「一日五キロぐらい」
担当「自衛隊の訓練よりそっちの方が厳しい」

地本が、「自衛隊の訓練は心配するに足らず」と言うのは常の事だが、一日五キロも泳げる人間が、何を心配するというのか。

また、他方では、ある男子と担当官との間に、こんなやりとりがあった。

担当「適当に言ったらええねん。例えば、自分は車いじりが好きで学校行ってた頃からやってました。だから自衛隊でもそういう仕事に就きたいんです、とか」
男子「いや、自分、車はいじったことないスよ」
担当「まあウソでもいいやんか。矛盾さえなければ。大事なのはやる気を見せることや」

「やる気」という言葉が私の頭に響いたが、このときも、私はさほど気にはとめなかった。

この二つを除いて、あとは会話らしい会話がなかった。皆、何かメモることに必死であった。不思議なことだ。会話が成立しないので、私は李密の陳情表を読んでいた。すばらしい文章だ。これを書いたのは天才ではあるまいか。

陳情表を読むうちに一時間過ぎ、私の前の番の人が、面接を終えて、出てきた。ひどく疲れ切った顔をしていた。たったの15分、それもリハーサルに過ぎない面接で、何故そんなに狼狽できるのか、私には不思議だった。

ところで、狼狽という言葉は、ちょうど陳情表にも出てくるが、およそ漢文の世界では、狼狽という言葉は、「疲労困憊」と同じ意味で用いられる。中国語にも、「うろたえる」という意味がないわけではないが、文章の上で、狼狽を「うろたえる」という意味に用いることはないそうだ。

この男は、頭髪上指とでも言うべき髪型をしていた。頭髪という頭髪が、皆逆立っているのだ。一体どうすればそんな髪型を維持できるのか、入道頭の私には、分からなかった。その逆立った頭髪は、狼狽した顔には全然ふさわしくなかった。

私は思わず声をかけた。「お疲れ様です」と。狼狽の男は、何も答えず、頷かず、私に一瞥をくれただけで、速やかに帰って行った。

どうして、集まっている皆という皆が、こういう性格をしているのだろうと、私はいぶかしんだ。もちろん、皆の態度がよそよそしいのは、私の言動の至らぬせいもあろう。それにしても皆、冷徹無関心にも程がある気がする。さらに、これは面接予行、練習、リハーサルだというのに、皆ガチガチに緊張していた。不思議だ。

さて、いよいよ私の番になった。面接予行の内容は、詳しく書くに及ばない。ただ、一つ気になる点があった。というのも、面接らしい面接ではない、ということだった。人の言葉尻を捕らえて、ねちねちと掘り下げた質問をするのを、圧迫面接というならば、この面接予行は、圧迫面接から対極の面接であった。圧迫面接とまでは行かなくても、面接官が質問をして、それに答える。答えた内容について、さらに質問される。これは、面接の基本である。この面接予行には、それがない。質問される、答える、曰く、「ああ、そうですか」。これで終わりである。もう次の質問にうつってしまう。私は未だかつて、いかなる些細なバイトの面接であろうと、こんな歯ごたえのない面接を受けたことはない。今、私が箸にも棒にもかからぬ阿呆で、面接をする価値すらないとせよ。それにしても、これは面接予行である。本物の面接ではない。もう少し普通の面接らしい面接でもいいだろうに、一体これは何なのだろう。圧迫面接に対する対義語を、私は浅学にして知らない。たぶんそんな言葉に需要はないのだろう。

実に異質な面接だった。のれんに袖押しといおうか、豆腐にかすがいと言おうか、とにかく手応えという物が感じられない。そこで私は一計を案じた。
面接官、「団体生活で重要なことは何だと思いますか?」
私は答えた。「はい、周りに流されず、自分の意見を持つことだと思います」
面接官曰く、「ああ、そうですか」と。

待て、この答えすら、聞き流すというのか。普通、「団体生活において重要なことは、自分の意見を持つことだ」などと答えたならば、「でも、自分の意見を押し通せば、みんなから阻害されることにはなりませんか」などと、反論されるはずだ。この面接予行においては、それすらない。一体どういう事だ。

こうして、薄い粥のような面接が終わった。面接について振り返ってみましょうと言われ、見ると、そばの机に、メモ用紙と鉛筆が置かれている。なるほど、メモを取れと言うことらしい。私にはメモを取るという習慣はないが、とりあえずメモ用紙を手に取った。

面接官が言う。あなたは正直すぎますね。中学の頃はサッカーをやっていたけれど、高校はやっていない。そんなことは言わなくても好いじゃないですか。高校のことは、聞かれたら答えればいいんです。高校は将棋部の部長をやっていたが、特に何もしていなかった。まあ、それはそうかもしれませんが、せっかく部活の部長をやっていたんだから、それを生かさないと。大事なのはやる気をアピールすることです。たとえやる気があったとしても、面接でやる気が感じられなければ、採用されるものもされませんよ。それからあなた、英語ですが、TOEICで815点を取っているとか。まあ、それは結構いい点数なのかもしれません。でも、その点数を取るに当たって、どんな苦労をしたのですか。え、何も苦労してない。ええ、そうですか。困りましたね。やる気が感じられないと、云々

聞いていて、私は怒りがこみ上げてきた。何が「やる気」だ。それは、やる気は重要に違いない。しかし、やる気だけあっても何にもならない。およそ言語というものは、苦労して学ぶものではないのだ。必要なのは時間だけだ。あらゆる質問に対して、"Semper fi! Do or Die! Gung ho, Gung ho, Gung ho!"、と答えるだけが能か。そんなチューリングテストにパスしない自動機械を欲しているなら、最初から面接などやる必要がない。もはやこれは、私一個の問題ではない。

私は論じた。

さっきからやる気ばかりを重要視しているようですが、そもそも、やる気とは何ですか。それは、やる気は重要です。しかし、やる気だけではどうにもなりません。自衛隊では毎年、入隊したものの、教育の段階で脱落していく人が何人もいると聞きます。もちろん、たった15分間の面接で人の性格を判断するのは不可能です。ただ、実際の面接の前に、このような予行練習を開いて、教えることと言えば、やる気やる気の一言のみ。このメモに書けるのは、「やる気だけあればオッケー」でしかありません。この助言に従うとしたら、いざ本番の面接という時にも、「やる気があります、とにかく入りたいです、やりたいです」などという人しかいないでしょう。そんな面接では、正しく判断できるものもできなくなってしまいます。一体何でこんな馬鹿げたことをしているんですか。

面接官は言った。「君は、何で、ここにいるのかな」

面接予行を受けるために決まっている。私は言葉遊びをするつもりなど毫毛もないので、何も言わなかった。

「君以外の、ここに来た四人は、みな希望して来ているんですよ。つまり、面接が不安だから練習したいと。そういうわけで、このような練習を開いているんです。担当官になんと言われました。あるいは手違いがあったのかも」

私は自分から面接予行を受けたいと言った覚えはない。無論、面接は不安である。しかしそれは、自衛隊に入る意志があって、而も面接次第では落ちるかもしれないから、不安であるに過ぎない。

「というわけでして、心配しすぎている人に対する予行なんですよ。全員にこんな面接予行をしているわけじゃないんです。安心してください。」

なるほど、それでようやく理解した。この面接予行は、あまりにもやる気がありすぎるあまり、面接が心配で心配で、神経質になっている人のために行っているらしい。それで、自信を持てだの落ち着けだのということが応答要領にあり、さらには、やたらとやる気を強調する内容になっているわけだ。面接が、極力圧迫感を与えないようになっていたのは、そういう人たちへの配慮なのだろう。とにかく普通に、なるべく緊張させずに面接を終わらせることが、自信に繋がるからだ。参加している四人も、つまりはそういう種類の人間なわけだ。皆、やたらと緊張していたり、せわしなくメモを取っていたのも、性格のなせる業なのだろう。やれやれ、つまり、私は場違いらしい。

私はこんな問答をすることからみて明らかなように、議論においては、人を完膚無きまでに言い負かさずにはおれない性格をしている。何とでもいえ。これは私の天性の本能的気質と言ってもよく、矯めることは不可能である。私に必要なのは、むしろ、反論するなという助言だろう。

私が受かるかどうかは分からないし、私以外の、あの四人についても分からない。私が落ちて、あのやる気のある四人が受かるかもしれない。しかし、あの強迫観念に似た不安は、どこから来るのであろうか。なにも、自衛隊に受からなくたって死ぬわけじゃあるまいに。あるいは、私の自衛隊へのやる気が、彼ら四人に比して、あまりに薄いと言うことだろうか。そうとも思わないのだが。

1 comment:

Anonymous said...

志を持った人はいらないんです。(空挺なりに入れる人間が入隊前はどんな人だったか知りたいと思いましたが
あとその4人は単に心配性なだけじゃないですかね。やる気云々とか、深いとこまでいってないと思います。
まぁ水泳5キロなんてレベルじゃなかったですが・・・>教育
その点だけ言えば心配しててそんはないかもですね(わらい