2010-02-24

手書き履歴書と万年筆

手書きの履歴書は、未だに広く行われている。しかも、甚だしきは、「万年筆を使うと評価が高い」という思い込みの元、わざわざ、千円程度のデスクペンを買ってきて、それで書くバカがいることである。

ここでは、彼らが万年筆を使うの愚を直接言わず、もし、履歴書を万年筆で書くことが評価される企業があるならば、その人事はどのようなものかという、仮想の物語をしたいと思う。

万年筆で履歴書を書くことが、評価されるとしよう。では、その会社の採用の評価手順は、どのようなものだろうか。

まず、万年筆である。詳しくは後述するが、千円程度で売っているデスクペンは、本物の万年筆ではない。あれは鉄筆である。たとえ万年筆が評価されるとしても、あのようなデスクペンを使う時点で、すでに評価はマイナスである。

次に、インクである。まさか、黒インクを使っていたりはすまいか。せっかくの万年筆に、黒インクなどを使っていては、評価はマイナスである。まず間違いないのは、ブルーブラックである。もちろん、古典的な製法で作られたブルーブラックインクでなければならない。現在出回っている。染料インクのブルーブラックもどきでは、評価はマイナスである。

さて、めでたく書類選考が通り、面接に望んだとしよう。ここからが問題である。履歴書が万年筆で書かれているかどうかが、評価の対象になるぐらいの企業である。面接は、よほどの万年筆マニアの人事担当が行うに違いない。果たして、そのマニアを説得できるだろうか。

面接の次第はこうである。まず人事担当は、履歴書が万年筆によって書かれていることをほめるだろう。ここからが問題だ。人事は君に、どの万年筆を使ったかを訊ねてくるはずである。ここでまごついてはいけない。最も避けるべきは、「えーと、よくわかんないんですけど、文房具屋で売ってた、千円程度のデスクペンってやつで」などと答えることである。評価は最低となる。

無難なのは、一万円前後の万年筆である。たとえば、PILOTのCUSTOM 74とか、プラチナ萬年筆の#3776あたりを答えれば、まあ、間違いはあるまい。人事は君を、凡人とみなして、面接を続けるだろう。

ここで評価を上げるのは難しい。というのも、万年筆は高ければ高いほどいいというものではない。それに、実際の書き味云々よりも、ブランド名で売っている万年筆もある。たとえば、殿様商売をしているモンブランのごときは、もはや製造中止となった、古い万年筆を使っている方が、評価が高くなるはずだ。

個人製作の万年筆とか、ニブに独自の加工を施した万年筆を使っていれば、評価はうなぎのぼりかもしれない。

もし、鉄筆がすばらしいと思うのであれば、ロットリングのような、製図用に名の知れたブランドの万年筆を挙げるのも、ひとつの手である。しかし、その場合、君は実際に、手描きの製図に優れていなければならない。

ここで、評価を上げる、意外な万年筆がある。PILOTのペチットや、プラチナのプレピーである。これらは、数百円の萬年筆であるが、評価が高い。しかし、この万年筆を使っていることで評価されるには、さらにマニアであることが求められる。このような万年筆を挙げた際に、理想的でスキルの高い人事が訪ねることは、決まっている。曰く、「ほほう、実は私もそれを使っていましてね。で、どのインクを使っているんですか」と。

ペチットやプレピーが人気である理由は、安いことだ。単なる万年筆以上にこだわるマニアが、よく使っている理由というのは、すなわち、インクである。ペン自体が安いので、渋いインクを使って詰まらせてしまっても、全く問題ないからだ。しかし、インクのマニアというのは、万年筆のマニアより、タチが悪いのである。

ここで評価される答えは、「Private Reserveのあのインクや、Noodler'sのこのインクを使っています」などという答えだ。ここでモンブランのインクと答えた場合、自分が単なるブランドでインクを選んでいるのではなく、実際にモンブランのインクの色あいが好きだから選んだのだと、よどみなく言えなければならない。ましてやモンブランは、最近、全面的なリニューアルを実施した。新旧ふたつのインクの違い、はては、インク瓶の形状の違いまで論じて、始めて評価してもらえるのである。

また、セーラーの極黒のような、カーボンインクを使っていると答えるのも、ひとつの手である。あるいは、最近パイロットやセーラーから出ている、染料系の鮮やかなインクも、もしその価値を説得できるだけの理由があるなら、答えてもいいかもしれない。

独自の色を調合してもらいました、あるいは、自分で調合しましたなどと答えるのは、相当の経験が必要である。素人の及ぶところではない。

しかも、これらの企業は、筆耕では断じてあり得ない。基本的に、彼らプロの筆耕は、あまり万年筆にこだわることはない。ましてや筆耕は、いかにクセを出さずに、普通の字を活字なみに普通に書くかが求められる仕事である。第一、硬筆といえば、万年筆も、もちろん使うが、やはりつけペンである。

結局、筆耕でないとするならば、ここまでの万年筆マニアを評価する企業とはなんだろうか。モンブランか(笑)

Togetter(トゥギャッター) - まとめ「手書き履歴書の実態」

追記:なんだか予想以上に受けているので、つけペンに関する話を書いた。
本の虫: 本物の手書き履歴書はつけペンで書け
良い筆記具で履歴書を書けば、評価につながると考える人間は、このリンク先を読んで、つけペンを使うべきである。

これは、笑い話に思えるかもしれないが、履歴書を万年筆で書くと評価されるという不思議な話が、世に出回っているのである。軽く検索をかけてみた結果、かなりの新卒が、これを信じている。

万年筆を評価する人間とは、どういうものであるかを示したのが、この文章である。万年筆を評価する人事である以上、最低限、このくらいは万年筆にこだわらなければならないのである。この文章は、万年筆のマニアにとっては、別に笑い話ではない。常識である。むしろ、かなりレベルの低い話である。本物の万年筆マニアは、この記事での万年筆に対する記述のレベルが低いと笑うことはあっても、この記事の万年筆の記述が、非現実的にやりすぎだと笑うことはないはずである。本物の万年筆のマニアは、もっともっと些細なことに、こだわるものである。

むしろ、この程度ほども万年筆を知らず、しかも履歴書が万年筆で書かれているかどうかを気にするような企業は、例外なくブラックであるので、避けた方が良い。つまり、就活をしている人間に、本来不必要な、デスクペン一本分の金銭的負担を強いるブラック企業である。

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